「自殺をするほどの要因が家庭にあるとは思えませんでした。それに生前、勁至(けいし)は『疲れた』『時間がない』などが口癖でした。『もうこれ以上、この学校の犠牲者を出したくない』とも言っていました」
2018年11月、学校法人武蔵野学院(東京都北区)に通う、高校2年生・高橋勁至さん(享年16)が自殺した。父親は冒頭のように証言する。
裁判では教職員による発言の違法性が認められず
残された家族は、学校での出来事が自殺の背景にあるのではないかと思い、同学院に調査を要望した。第三者委員会は「不適切な指導」を認めた。しかし、それらの指導と自殺との因果関係については「どの程度の影響を及ぼしたかを認定することは困難」としている。裁判もしたが、知りたい事実を知ることはかなわなかった。遺族は「調査が不十分」として、小池百合子都知事に対し、再調査を求める「要望書」を提出。署名も集めている。都は取材に対して、再調査をしない方針を明らかにした。 遺族は、学校側が設置した第三者委員会のほか、真実解明を求めて同法人を相手に損害賠償請求訴訟をした。東京地裁では一部の行為について、不適切な言葉遣いによる指導や注意を認めたものの、違法性は認められずに敗訴。東京高裁は、教職員の発言に対して、「教育者としての配慮を欠いた適切とは言い難い言動」としたものの、やはり違法性は認めず、敗訴となった。
裁判では、知りたい事実がわからないままだ。
遺族が自宅で筆者の取材に応じた。
不適切な指導が自殺の引き金に
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冒頭の勁至さんの発言は、家族との食事中に出たものだという。しかし、両親はこの時点で、自殺まで考えているとは思っていなかった。亡くなったのは18年11月24日。いつも朝6時ごろ起きるが、起床した姿を家族に見せなかった。そのため、母親が部屋を見にいくが、いなかった。家族で付近を探したが、3階建ての自宅の屋上で亡くなっている姿を姉が発見した。
学校側の第三者委でポイントになったのは、いくつかの不適切な指導だった。
18年4月、カナダ留学のレポートをめぐる不適切な指導。
18年9月、勁至さんが体育祭の練習に遅刻したときの不適切な指導。朝の小テストで合格ラインに達しなかった生徒を「裏切り者」と呼び、クラス全員が課題を課せられるという指導が行われていた――などだ。
教師の指導が不満で学校を抜け出し、泣きながら帰宅したことも
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ポスター作成の意図は、指導後に話をしましたが、指導では意図を聞かれず、『馬鹿にしているのか? 昔なら殴った』と、職員室で他の職員がいる前で、言われっぱなしだったというのです」(父親)
報告書では〈指導内容そのものが不適切であるとは言い難い〉
〈学校教育の指導としては内容面への再考を促す指導はあり得る〉
〈一般的な指導として、特段、違法とみられる内容はない〉としながらも、(勁至さんの)〈普段の行動と比較しても考え難い特異な行動〉〈精神的なケアにも配慮した指導を検討することが望ましかった〉と評価している。
欠席を容認しない異常な学校風土
一方、遅刻や欠席に対する学校側の異常なまでの態度も影響していると考えられる。 報告書によると、18年9月6日、体育祭の練習当日、勁至さんは腹痛となり、途中下車をしたことで集合時間に間に合わなかった。勁至さんは集合場所に到着後、担任の連絡先を知らなかったこと、腹痛で遅刻したことを謝罪した。しかし、担任は頭ごなしに叱った。
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小テストの不合格者を『裏切り者』と呼ぶ独自ルール
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もっと学校に強く抗議すべきだった
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遺族は都に再調査の要望書を提出
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第三者委に調べてもらえていない点については、
(1)40度の熱があっても一度は登校させるなど皆勤の強要があったこと
(2)学校案内役の強制
(3)11月上旬の二者面談で進路希望先について「お前の成績じゃ無理」と言ったこと
(4)連帯責任の早朝登校
(5)連帯責任がいつごろ始まったのか
(6)9月6日の指導後、「侮辱罪」というメモを残していた心情
(7)11月15日の朝テストで不合格になったこと などを具体的に挙げている。
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東京都私学部私学行政課は再調査を行わない方針
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感想;
酷い学校もあったものです。
一番よいのは、この学校に子どもを通わせないことでしょう。
そうしないと学校は変わらないでしょう。
その前に、この学校にはこういうことがありましたよと伝えることでしょう。
それにしても、この学校には子どものためにとの思いも、子どもを行き過ぎた指導で殺してしまったとの良心の呵責もないのでしょうか?
裁判所も違法性を認めなかったとのこと、じゃなぜ彼は自殺したのでしょう。
建学の精神・教育理念
武蔵野学院の源流は明治45(1912)年、日本橋に創設された大橋幼稚園にあります。当時は、女子教育に対する要請が高まってきており、女学校に注目が集まっていました。創立者である高橋とき先生は、そのような社会状況の中で、いわゆる「良妻賢母」的な女子教育ではなく、社会に役立つ人材を育てようと「婦人の真使命の確立」を唱えて、大正11(1922)年、東京西ヶ原の地に武蔵野高等女学校を開設しました。
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武蔵野学院の校訓となったのが、「他者理解」という理念です。「理解」は英語では“Under(下に)standing(立つ)”、つまり、「相手を下で支える」という意味です。相手を下で支えるためには、何よりも相手の心に共感し、心の支えになることが必要になります。頭で理解するだけでなく、心で感じ、体を動かし、人と関わる。そのような関わり合いを通じて他者を理解することで、自分の長所に気づき、それがさらに磨かれていくということに繋がります。
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高橋とき先生は草葉の陰で、泣いておられるのではないでしょうか?
高橋とき先生の精神は引き継がれていないようです。
校訓「他者理解」のところを読み、失礼ながら笑ってしまいました。
生徒に言う前に、先ずは先生が校訓を理解し実践して欲しいものです。
創業者なら、このケースどう対応するだろうか?と考えながら教育指導に当たることが建学の精神を引き継ぐことなのです。
理事長は 高橋暢雄氏
名字が同じなので子孫なのでしょう。
血は引き継いだけど、精神を引き継いでいないようです。
『今まで生きづらかった人こそ「これから」うまくいく』 高橋暢雄著
110周年を記念して、本を出版されているようです。
これからの子どもを苦しめて、健全な子どもを生き辛くして何をしているのでしょう?と思ってしまいます。
子どもの犠牲の上で「うまくいく」ことで良いと思われているのでしょうか?