幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

1歳男児、ワクチン接種後に死亡 重い腎不全、因果関係不明 ”因果関係など1例でわかるわけがない/逆にワクチン接種が原因でないとの証明もできない”

2023-04-29 17:48:17 | 社会

 厚生労働省は28日、6カ月~4歳用の新型コロナウイルスワクチン接種後に、1歳男児が死亡したとの報告があったと同省の専門部会で明らかにした。男児は生まれつき重い腎不全などがあり、透析治療を受けていた。この年代の死亡例報告は初めて。情報不足で因果関係は評価できないという。

 評価した専門家は「接種翌日に発熱したが、格別な悪化はなかった」とコメント。専門部会の委員からは「症例からは判断が難しい。評価は妥当だ」との意見があった。

 厚労省によると、男児は2月16日にファイザー製乳幼児用ワクチンの3回目の接種を受けた。17日に発熱、18日午後9時半ごろ心肺停止状態となり、その後死亡した。


感想
記事より
情報不足で因果関係は評価できないという。
 評価した専門家は「接種翌日に発熱したが、格別な悪化はなかった」とコメント。専門部会の委員からは「症例からは判断が難しい。評価は妥当だ」との意見があった。

評価は妥当とは、「評価できない」が妥当だということでしょうか。
ということは、”わからない”ということです。
ですから、死亡はコロナワクチンでないということも言えないということです。
PL法では、製造業者が「因果関係がない」と証明する必要があります。
ところがコロナワクチンでは、日本政府はそれを国が背負っています。
そこで明らかな場合は保証し、不明な場合は補償しないことにしています。
不明とは、因果関係ないと断定できなかったのです。

専門家も分からないのです。
コロナワクチンに関しては素人と同じレベルなのでしょう。

ワクチンはある一定の人が犠牲者になる確率があるものです。
まったく安全なワクチンなどありません。
その程度の差はありますが。
よって、不明な場合は国がもっと補償して欲しいものです。
アベノマスクで無駄に使った543億円あれば十分保証できました。

「異彩を、放て。」長兄に影響されヘラルボニーを創業した双子の自叙伝 ”発達障害の兄がきっかけで”

2023-04-29 17:28:00 | 社会
主に知的障害者や施設と契約を結んでアート作品に正当な芸術価値をつけ、福祉を起点とする文化創造と障害へのイメージ変容を目指す株式会社ヘラルボニー。その創業者である松田崇弥(たかや)・文登(ふみと)兄弟の自叙伝「異彩を、放て。『ヘラルボニー』が福祉×アートで世界を変える」(新潮社)を紹介します。

社名「ヘラルボニー」の由来は、4歳上の長兄である翔太さんが小さい頃自由帳に書き記していた言葉です。幾つも繰り返し書かれていた「ヘラルボニー」に、これといった意味はありません。創業の時に初めて、「一見意味がないと思われるものを、世の中に新しい価値として創出したい」という願いが込められました。

今回は本の紹介がてら、ヘラルボニーの前日譚となる部分を簡単にダイジェストしたいと思います。興味を持たれましたら、是非何らかの形でお買い求めになってください。

長兄への眼差しを変えたい
松田兄弟は双子で、その4歳上に長兄の翔太さんがいる家族構成です。翔太さんは重度の知的障害を伴う自閉症で、彼こそがヘラルボニー創業に大きな影響を与えました。
三兄弟は仲睦まじく、一緒にゲームをしたりスポーツの試合を応援したりして幼少期を過ごしました。体格で勝る長兄のパニックを必死に抑えるときもありましたが、進んで風呂掃除をしたり練習なしで鍵盤ハーモニカを披露したりと、良き兄の側面もまた持っていました。
しかし周りの眼差しが翔太さんに対して冷たかったこともまた、弟たちは既に気付いていました。「兄は会話もするし感情もある」などと信じてもらえず、嘲笑や憐憫を向けられるたび、悔しさと疑問が満ちていきます。「兄も同じ人間なのに」「『ふつうじゃない』のがそんなに悪いのか」
何度か揺らぎはあったものの、長兄への眼差しを変えたい思い自体は社会に出ても変わりませんでした。「思考停止で『障害者』という枠に押し込める、そんな社会にこそ『障害』がある」その思いが爆発するきっかけとなったのが、「るんびにい美術館」です。

アール・ブリュットに魅せられて
「るんびにい美術館」もまた、ヘラルボニー創業に大きな影響を与えました。るんびにい美術館はベーカリーカフェとアートギャラリーを兼ねた場所で、知的障害者らのアートを展示しています。母親の勧めで最初に足を運んだ崇弥さんは、これまでのアートと一線を画す確かな力に魅了され、すぐさま文登さんら後の中核メンバーを招待します。他のメンバーもまた、同様に圧倒または魅了されました。
るんびにい美術館で見た作品たちにこそ、翔太さんへの眼差しを変える手掛かりがあると感じた兄弟は、ほとんど勢いで「MUKU」を立ち上げたといいます。MUKUは障害者のアート作品を何らかの商品として社会の目に触れさせていくプロジェクトで、ヘラルボニーの前身ともいえる存在です。
障害者のアート作品を商品化し売り上げを作者自身に還元する構想もこの時生まれたものです。るんびにい美術館の関係者は、この構想を聞いて無名の若者たちに協力する決意を固めました。本書には、るんびにい美術館のアートディレクターである板垣崇志さんの語りも載せられています。

始まりの高級ネクタイ
MUKUが初めて世に出そうとしたのは、アート作品自体を柄とするネクタイでした。技術面などから断るブランドが相次ぐ中、意外なブランドが応じてくれます。明治時代から続く老舗の高級ブランド「銀座田屋」です。全国3店舗での対面販売しかしていない厳格なブランドですが、職人魂が騒いだのか乗り気でネクタイをデザインしてくれたといいます。
ネクタイを売り出すため、そして製作資金を集めるためのクラウドファンディングも開始しました。当時はそれほど一般的でもなかった中で、ラッパーのGOMESSさん、Get in touch代表の東ちづるさん、NHK盛岡放送局といった強力な助っ人がMUKUに賛同し協力します。
結局、目標額の4割程度しか集まりませんでしたが、MUKUの理念そのものは伝わりました。出生前診断の結果から堕胎しようかと悩んでいた夫婦が、MUKUの活動を知ったことで産む決断を固めたという手紙も届きます。「あなた達のネクタイを販売させてほしい」という要望も何社かから届きます。
一方で、一部の福祉関係者から心無いことも言われました。「百貨店に置くものでもあるまいし、高すぎる」「障害者の作る商品は安く売ればいい」「障害者支援が目的だから、デザインは二の次だ」と、障害者の可能性や都合を考えていない発言が福祉に携わる人間から出たのです。
MUKUを立ち上げるよりも前、翔太さんの通っていた施設で、商品やサービスが安く買い叩かれている現場を目撃したこともあります。これを是正し、公正な価格で取引されることもまた願いでした。
障害者が施設の工賃だけでなく、資本主義社会の枠組みで利益を得られる仕組みを作ること。これが松田兄弟の作り上げようとする新たなビジネスモデルです。その実現に向けた大きな一歩が踏み出されました。

ヘラルボニーの目指す場所
ネクタイのプロジェクトから紆余曲折を経てヘラルボニーの創業に至る訳ですが、これは「長兄・翔太が幸せになる社会を実現する」「知的障害者とその周囲が幸せになる社会を実現する」というミッションに人生を賭けて取り組む意思表示でもあります。その通過点には、福祉領域の拡張における日本のリーディングカンパニーになる使命も含まれています。
ヘラルボニーが目指しているのは障害者福祉の新たな選択肢を作ることで、アートはその「第1章」にあたるといいます。まずは芸術の特異な障害者から社会への接点を増やしていき、障害者への認識を「関係ないもの」から「身近なもの」へと変えていきます。
その後に始まる「第2章」は、芸術に限らず何か得意なことを活かして社会と関わっていくフェーズです。そうして障害者と社会の関わりが増えていき、いつしか健常も障害もない、かつて翔太さんに浴びせられた冷たい眼差しのない社会になるのが、ヘラルボニーの目指す場所です。
「障害は欠落ではなく、違いだ。『ふつうじゃない』ということは、可能性でもある。この世には、放たれるべき異彩が沢山ある」
参考書籍
異彩を、放て。「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える(新潮社)松田文登・松田崇弥


感想
 障害者が自分の才能を生かすと障害者でなくなります。
また社会が支えると障害でなくなります。
 障害者が多い社会は障害のある社会なのかもしれません。

岩礁と潮のメタファー(ヴィクトール・フランクルのロゴセラピーから)/トラウマの対処法 

2023-04-29 16:33:16 | 社会
<フランクル引用>
「病気が特殊な劣等感、葛藤、問題、トラウマなどから来ると一般的な心身症医学が主張しているようことは、私は認めがたい・・・このような結論づけは、ちょうど引き潮の時に岩礁が姿を現わすので、『岩礁が引き潮の原因だ』と断定するのと同じことだ。実際には引き潮があるから、この岩礁が外に出てくるだけのことなのだ。」(Frankl, Theorie und Therapie der Neurosen, S.149 「神経症の理論と治療))
勝田茅生氏のロゴゼミナール(ヴィクトール・フランクルの一番弟子エリザベス・ルーカスの弟子)より

 <引用解説> 
  心理的な引き潮は心の中が満たされていない状況です。
  そして心の中が満たされていない時には、まるで海の水が引いた後の海辺のように、湿った砂地や岩礁などが外に出てきてそれが目に見えるようになります。
  つまり、昔体験したトラウマや悲しい出来事、あるいは現在悩まされている問題などを集中的に思い出すわけです。
  そしてよくある間違いは、今自分の気分が鬱々としているのは(つまり今引き潮なのは)、そういう岩礁(過去や現在の問題)があるせいだと勘違いすることです。
 ところで、もしこの人が精神的な次元で今自分が置かれている状況の意味からの要請を聞き取りその使命を実行に移すことができるなら、その人の気持ちは少しずつ満たされてくるはずです。ということは、潮がまた満ちてきて、とげとげしい岩礁や傷ついた砂浜も水底に沈んで目につかなくなるからなのです。
 ですから引き潮の時に大切なのは、そこで現れ出てきた岩礁を虫眼鏡で(分析的なセラピーで)くまなく調べまわすより、生活全体に潮(やる気)が満ちて来るような意味のある活動対策を考えることなのです。自分が「誰のために」、「何のために」役に立つことができるかを考えて実行することです。

<解答例>
 子どもの頃から父親に厳しく育てられ、温かい愛情を感じられずに過ごした女性がいるとします。大人になってから、男性との付き合いがうまくいかない、一度結婚したけれども関係がぎくしゃくして別れることになった、というようなことから自分に自信がなくなり、新しい友だちを作ったり、新しい活動を始めたりするような気持ちがなくなり、次第にうつ症状を見せるようになりました。
 それでセラピーに出かけ、セラピストから現在の問題が父親との関係にあるという解釈を聞いたのです。それ以来この人は実家の父親に対して批判的になり、親子の関係を断つまでになりました。
 そのあとでロゴセラピーに出会い、そこで過去の問題(岩礁)と現在の問題(引き潮)とは違う次元の問題として考えるようにと助言されました。そして男性との問題についてはもう考えることはやめて、これからは仕事や趣味に熱中し、さらに何かの意味のあるボランティアをするようにと勧められたのです。
 この人が老人施設にいるお年寄りに本を読んで聞かせるボランティアを始めたところ、とても感謝され、生き生きとした気持ちが再び蘇ってきたのです。
 こうして過去の問題からまた間隔を空けることができるようになり、「こんな自分でも充実した気持ちで生きられる」と信じられるようになりました。

勝田氏の補足
 フランクルはトラウマを小さくしたり、これをなかったことにすることはできないと考えていたと思います。
 むしろそれに対する対応の仕方(態度の取り方)で、トラウマが気になったり、きにならなくなったりすると見ているのです。

感想
 トラウマをターゲットにして、トラウマを気にならないようにする様々な療法があります。
 ロゴセラピーでは潮の水位を高くすれば、船の運航(自分の人生)には支障をきたさないと考え、水位を高くすることに注力します。
 今自分ができることをすること。
 行動すると変わってくるのではないでしょうか。


「トラウマ後成長と回復 心の傷を超えるための6つのステップ」スティーヴン・ジョゼフ著 ”これからの人生をどうしたいか?”

2023-04-29 10:14:44 | 本の紹介
・「トラウマ体験後の成長」に関する日本での最近の研究によれば、生命を脅かす病や他者との関係にまつわる問題、事故やケガ、大切な人の喪失、大災害などの様々な出来事を経験した人々が、その後の自らの成長を報告している。その変化は概してポジティブなもので、他者との関係が改善され、人生に対する感謝の気持ちが高まり、過去にはなかった自分の強さに気づいている。
 こういった研究成果は、アメリカやイギリスの研究と共通しているが、相違点もあるようだ。日本人に見られるのは、いっそう我慢強くなり、自分の限界や弱さを受け入れ、他者との結びつきを強く感じ、物質的欲望を失うなどの変化である。

・ニーチェ
「死なない程度の困難は人を強くする」

・ヴィクトール・フランクル
「人には、自らの運命と、それがもたらすあらゆる苦しみを受け入れ、耐えることによって、きわめて困難な状況に置かれたとしても、人生を意義深いものにする機会がふんだんに与えられている。勇敢で、品位を保ち、他者への思いやりを持ち続けることもできれば、保身のための苦い戦いにおいて、品位を忘れ、けだものになり果てることもできる。過酷な状況がもたらした、人としての成長の機会を活かしも殺しもできる。」
 のちにフランクルは、彼の患者が人生の悲劇や不運に意味を見出す力について論じている。苦悩の相反する両面をみつめ、不幸にはそもそもいい面などないのかもしれないが、そこから何がしかいいものを引き出すことは可能かもしれないと考え、この姿勢を「悲痛な楽観主義」と呼んだ。人は、存在の「根源的な事実」に向き合うことで、人生に意味を見出すためのかけがえのない機会を与えられると、彼は考えた。


・トラウマ体験後の成長の中核には、三つの実存的なテーマがある。
第一は、人生は不確かなものであり、すべては変化するという認識を持つこと。これが、不確かさに耐えることにつながり、つまるところ、存在の根源的な原理としての不確かさを受け入れる力をあわらしている。
第二は、マインドフルネス、今、この瞬間に注意を集中すること。これは、自己認識にかかわり、思考や感情、行動が相互に関連しているという理解や、個人の変かに対する柔軟な姿勢を意味している。
第三は、自らが人生の担い手であると認めること。これは、人生の選択に対する責任感や、その選択がもたらす結果に対する認識を伴う。

・幼児期に教え込まれた価値観は、あまりにも深く根づいているため、人はそれが自分にとってどれほど大きな意味を持っているかをほとんど意識していない。日常生活を繰り返す中で何かしら物足りない気持ちを抱えながらも、私たちは人生の基盤となっている価値観や信念、優先順位にはめったに挑戦しようとしない。
トラウマ体験が挑むのは、まさにこういった価値観である。
 私たちは、トラウマ体験によって、価値観や動機、優先順位などを振り返るよう促され、それらを手放し、新しい価値観や動機、優先順位を受け入れることが多い。この意味では、逆境後の成長という考え方は、人生の苦難を潜り抜けた人は新しい困難にも断固として立ち向かうことができ、苦悩が人生の教訓を与えてくれる、という仏教の教えを思い出させる。

「主はすぐ近くにおられます。思い煩うのはやめなさい。どんなことにも感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えをイエス・キリストによって守るでしょう」・・・
残りの人生をどんな風に生きたいのか一生懸命考えました。今では人生を当たり前のものと思っていません。乳がんの前とあとでは、別の人生が始まったように感じています。私は今を生きています。『昨日は歴史、明日はミステリー、今日は贈り物、だから、現在(present)はプレゼント』。そのとおりですね。

・感情中心型のコーピングがもっとも効果を発揮するには、心の知能(EI)を活用しなくてはならない。EIとは次のような能力である。
1)感情を認識する
2)感情に接近し、感情を生みだすことで、思考を支える。
3)感情や感情にまつわる知識を理解する。
4)感情や知性の成長を促せるように、感情を内省的に規制する。

・自分の回復や成長に責任を負うことは、トラウマ体験後のストレス反応に対処するうえでもっとも重要な最初のステップである。ヴィクトール・フランクルは、この姿勢がナチスの収容所で生き延びた人と亡くなった人との運命を分けたと考えた。言い換えれば、生きると心に決めたことが、少なくとも部分的には、実際に生き延びることにつながったのだ。このように、皆殺しの収容所のような悲惨な状況に置かれたとしても、誰もが自分の未来を決める権限を持つ。少なくとも自分自身の威厳を保つという選択をすることができるのだ。フランクルは次のように記している。
 「人は、つまるところ、自己決定的な存在だ。限られた条件や環境の中でどのような存在になるかを、自分で決めることができる。たとえば、生きた実験室であり試験場でもあった収容所には、聖人のように行動する仲間もいれば、卑劣な奴もいた。人は自らの内に両方の可能性を秘めている。どちらが出現するかは、条件によるのではなく、当人の決断によるものだ。」
 フランクルが私たちに気づかせようとしているのは、私たちの反応を決めるのはその身に起きたことではなく、むしろそれに対する意味づけだということだ。・・・
 意味は、私たちに与えられるために、どこかにあるわけではない。私たちが自分自身に与えるものだ。それは「物語」を通して与えられる。

・物語の力
 人間は生来語りだ。自分の身に起きたことを整理し、物語を綴ることによって、人生に意味づけをする。

・ヴィクトール・フランクルは、ある患者について述べている。
 医師である年配の男性患者は二年前に妻を亡くし、いまだに立ち直れなかった。フランクルは、あなたが奥さんより先に亡くなっていたらどうだったでしょうね、と問いかけた。妻はきっと酷く嘆き、つらい思いをしたことでしょう、と男性は答えた。そこでフランクルは、あなたが苦しみを背負ったのだから、奥さんは苦しまずに済みましたね、と言った。これは、この男性にとって、まったく新しい視点だった。男性はフランクルの手を握ってお礼を言い、妻の死に対する新たな意味づけとともに帰って行った。それは男性の苦しみを和らげるものだった。

・トラウマへの対処は、三つのレベルで生じる。
第一は、自分の経験に意味づけするために語る物語において、
第二は、再び語られた経験に対処するために選ぶ方法において、
第三は、各自のパーソナリティにおいて、パーソナリティによって、コーピングのアプローチが決まり、その結果として、パーソナリティが変化する。


・賛否両論の多い手法のひとつに眼球運動により脱感作および再処理法(EMDR)がある。

トラウマ体験者によく見られるのが、自己批判や恥辱感による苦悩であり、特にそういう人に有効だと言われている、

 最初は難民に対するセラピーとして考案された。暴露療法と供述療法を基礎にしたもので、トラウマ体験者に、トラウマ体験を含むこれまでの人生を時系列で語らせ、その断片的な報告を一貫した語りへ変えようとするものだ。

・最終的に、変わりたいと決められるのは本人だけだ。変化のための原動力は、セラピストではなく、クライアントの内側から生み出される必要がある。

・三つのメッセージが役立つだろう。
第一に、あなたは一人じゃない。
第二に、トラウマは自然で正常なプロセスだ。
第三に、成長は旅である。

・大事なルールがある。「今は無理だと思うことは、決してやるな」

・「成長モデル」
ステップ1 棚卸し
ステップ2 希望を育む
ステップ3 物語を書き直す
ステップ4 変化を特定する
ステップ5 変化を尊重する
ステップ6 変化を行動で示す

・ステップ1 棚卸し
 ・身の回りに危険はないか確認する
 ・必要な医療、心理療法、法的支援を得る
 ・よく食べているか
 ・よく眠っているか
 ・運動を続けているか
 ・リラックスしているか
 ・自分に思いやりを示しているか
 ・トリガーに気づく
 ・「回避」を回避する
 ・自分の反応を批判せずに観察する
 ・トラウマにまつわる記憶や感情に向き合う
 ・他者とつながる
 ・感情を理解する
 ・感情の及ぼす影響について考える
 ・できることに焦点を当て、少しずつやる
 ・笑い、微笑む

・ステップ2 希望を育む
 ・希望の力を過小評価しない
 ・希望を持つことは、忘れることではない
 ・逆境を乗り越え、成長した人の物語を読もう
 ・希望は、ゴールを設定し、自分を人生の担い手と考え、ゴールまでの経路を取捨選択するという三つの方法により育まれる
 ①ゴールを設定する
 ②自分を人生の担い手と考える
 ③ルートを取捨選択する
 ・希望を持つための練習を始める
 ・「奇跡の質問」を用いる
 ・社会的支援を活用する
 ・未来を見る

・ステップ3 物語を書き直す
 ・成長のマインドセットを育む
 ・メタファーを活用する
 ・書くことで表現する

・ステップ4 変化を特定する
 ・「いいこと日記」をつける

・ステップ5 変化を尊重する
 ・感情のエクササイズ
 ・喪失を想像する

・ステップ6 変化を行動で示す
 あなたが行ったことは、どれほどささいなことに思えたとしても、あなたが自分を受け入れ、自律性を高め、人生に目的意識を持ち、他者との関係を深め、状況をコントロールし、成長に対して前向きになっているという証である。

・本書で私が伝えたいのは、私たちは、トラウマ体験の光と影の両面をバランスよく追及しなくてはならないということだ。

・『アウシュビッツを一人で生きぬいた少年』トーマス・バーゲンソール著

感想
 多くの様々なトラウマ治療の心理療法があるのを知りました。
それだけ、治療が難しいのかもしれません。

 大きな苦難に遭っても、それを受け容れてその苦難を活かして新しい道を歩んでいる人も多いです。

 苦難には何の意味もないかもしれません。
しかし、その苦難に意味づけをしようと思うとできるのではないでしょうか?
そう思って一歩一歩前を向いて生きていると、その苦難が遇ったからこそ今が在ると思える人生を歩むことができるのでしょう。
 苦難が遭ったことで出会った人々、体験したこと、見つけたやりがい、価値、そして幸せが待っていると信じれば与えられるのでしょう。
 38歳で胃がんで胃を2/3切除しました。下痢と便秘の繰り返し、そして痔にもなりました。なんとか、ヨーグルトで調整できるようになりましたが、胃の負担を減らすためによく噛むこと、間食を多くしない、食事の時間はある程度同じになど日常生活に気をつけないといけないことがありますが、胃がんを体験したことで、始めたボランティアでの得た体験や、考え方を変えたことで仕事への姿勢など、多くのものを得ました。
 ロゴセラピーの学びもその一つです。

 この本にも何か所か引用されているヴィクトール・フランクルが始めたセラピーにロゴセラピーがあります。
 これはまさに「人生からの問いかけにどう生きていくか」を考えるセラピーと言えます。
 精神⇔身体&心
多くの心理療法が心を扱っています。
精神を扱うのは哲学や宗教の分野です。
ロゴセラピーはこの精神を対象として心理療法です。
トラウマに関しては、下記のフランクルの教えがとても役立つと思います。
<フランクル引用>
「病気が特殊な劣等感、葛藤、問題、トラウマなどから来ると一般的な心身症医学が主張しているようことは、私は認めがたい・・・このような結論づけは、ちょうど引き潮の時に岩礁が姿を現わすので、『岩礁が引き潮の原因だ』と断定するのと同じことだ。実際には引き潮があるから、この岩礁が外に出てくるだけのことなのだ。」(Frankl, Theorie und Therapie der Neurosen, S.149 「神経症の理論と治療))

トラウマは岩礁と考えています。
多くの療法は岩礁を無くそうとしたり、岩礁を岩礁と考えないようにすることをしています。
ロゴセラピーでは岩礁は岩礁のまま、潮の推移を高くすれば、船の航海(自分の人生)にその岩礁(トラウマ)は気にならないのです。
何かこれからやりたいことに注力して、それをやってみることで新しい意味(価値)を見出していくのです。