・人間というものは、脳は考えたい、足は歩きたい、手はつかんだりぶん殴りたいんです。そういう機能の一つとして、人間というのは感激したいものです。
・小川 どうしてノーベル賞には数学賞がないんでしょうか。
藤原 それにはいくつか説があるんですけど、ノーベルという人はダイナマイトを発見した科学者ですね。彼は、ソーニャ・コワレフスカヤという美人の女性数学者に恋しちゃうんですね。
小川 相手が数学者ですから根が深そうですね。(笑)
藤原 で、このソーニャというのは、見ると誰もが惚れちゃう女性なんですね。男でも女でも時々いるんですね、とにかく異性を惹きつけちゃうという人物が。
小川 しかも優秀。
藤原 ところが、ノーベルの恋敵にミッタク・レフラーという数学者がいたんですね。その時、ノーベル賞に数学部門をつくったら、ミッタク・レフラーが獲っちゃう。これはたまらないということで、数学賞をつくらなかったという説がある。
小川 それはまた、心の狭い人ですよね、ノーベルも。
・天才(数学者)が出たところというのは決まっているんです。・・・どういうところに生まれるかというと、私の考えでは三つの条件があるんですね。
第一の条件は、神に対してでも自然に対してでもよいから、なにかにひざまずく心を持っているということ。
第二の条件は美の存在ですね。美しいものが存在しないと絶対に数学の天才はでないんです。子供のころから美しいものを見ていないと不可能です。
第三の条件は、精神性を尊ぶということです。
・小川 「
フェルマー予想」が証明されるためには、「谷山=志村予想」、日本人の研究成果が非常に重要な役割を果たしたそうですね。
藤原 1970年くらいに完成された「谷山=志村予想」というのがあって、それが解ければ「フェルマー予想」も自動的に解けるというのが1986年にわかった。だから、アンドリュー・ワイルズが直接に照明したのは「フェルマー予想」ではなくて「谷山=志村予想」なんです。・・・
小川 谷山豊という数学者は、実はその予想を打ち立てたあとに自殺しているんですよね。
藤原 数論の分野の世界中の権威が、1955年に東京と日光に集まって会議をしたんです。そのときにそこで発表したんですけど、だれもそんなもの相手にしない。反論もしない。無視ですね。それで、四、五年して突然自殺したんですよ。理学博士号をとり東大助教授となった年です。婚約して来月結婚というときに、いきなり自殺しちゃうんです。
小川 で、婚約者があとを追うんですよね。
藤原 一か月後にね。この二人はどんなことがあっても別れない、と約束したからと言って、婚約者の女性もあとを追ったんです。
小川 ですから「フェルマー予想」が解けるまでには、そういういろんな悲劇があったんですね。一方では喜劇もあったかもしれませんが。
藤原 350年にわたって有名無名の人が数多く攻撃してすべて失敗しました。ハーバードの教授や日本でも一流の教授が、解けたといって、間違いだったこともありました。また天才的と言われていた人が「フェルマー予想」に一生とりかかってしまったため、結局はほとんどなにもしないまま死んでしまったとか。世界中の天才、秀才、凡才殺しでした。
・図形化する、視覚化するということが、数学の発展では重要です。理解とか発見には視覚化というか、イメージがしばしば重要です。
小川 全然、円と関係ない問題にπが突然登場してくるということが、どうしても私には理解できないんです。
藤原 これは神様の悪戯です。・・・不思議です。ここにπが出てくるなんて。
感想;
小川洋子さんは、数学者に関する本を書きたいと思い、出版社に誰か数学学者を紹介して欲しいとお願いし、そして紹介してもらったのが
藤原正彦氏(新田次郎(父)/藤原てい(母))でした。
私もなぜ数学賞がないのか不思議でした。
小学生の時に、伝記に凝って、図書室にあった伝記をほぼ全て読みました。その中に当然、ノーベルさんもありました。後よく覚えているのが、牧野富太郎さんです。
小石川植物園の柴田記念館でたまたま牧野富太郎氏の展示があり、小学生の時に読んだ伝記の内容が蘇ってきました。それから牧野富太郎氏に関する本を何冊か読みました。
不思議です。牧野富太郎氏に関する記事が目に入るようになり、牧野富太郎氏の展示会があるのを知り出かけました。
小学校3年生の文集に「将来、牧野富太郎さんのような人になりたい」と書いていました。しかし、実際を知るとNHKの朝ドラのような良いイメージだけでなく、家の財産を食いつぶす、お金がないのに高い本を借金して購入するなど妻スエに負担をかけています。かつ高知に妻がいたのに14歳のスエに子どもをつくってしまいます。 高知の妻とは離婚しスエと結婚し13人の子ども(家人が成長)をもうけています。
牧野富太郎さんのようになっていたら、大変でした。
当時ニトログリセリンが工事の爆薬として使われていましたが、液体であることや直ぐに爆発することでとても危険でした。ノーベル氏はニトログリセリンを珪藻土に沁み込ませたことにより、ニトログリセリンを安全に取り扱うことが出来るようになり、工事の犠牲者を大幅に減らしました。
しかし、そのメリットでダイナマイトが戦争にも使われ、多くの兵士の命を奪うことにもなりました。それでノーベル賞を創設したと記憶しています。
成果が出るかどうかわからないことに挑戦する。これは私がやって来なかったことでした。
努力すれば成果が伴うものを選んできたように思います。
就職するとき、教授から「(論文)博士号とらせてやるから研究室に残らないか?」と言われました。でも、大学でやっていく自信がなかったので、会社に就職しました。
60歳で、定年の65歳を待たずに退職しました。
5年間の収入を捨ててでも、新しいことをやりたいと思ったからです。
それは人生にチャレンジして来なかった反省がありました。
やりたいことは医薬品の品質保証の経験と知識を後輩に伝えたいと思ったからです。
どうなるかわかりませんでした。それで収入が得られるかわかりませんでした。
まずやったことはHPを立ち上げてそこに知っていることをUpしていきました。
そうするとそのHPを見たセミナー会社から講師の依頼が、また執筆の依頼が、そして講演の依頼が来るようになりました。
捨てたから摑めたのかもしれません。