幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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自殺対策白書公表「生まれてきた意味ってあるの?」こどもの自殺は過去最多水準で高止まり ”生きる意味を考える授業が求められる”

2024-10-29 18:38:58 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
https://news.yahoo.co.jp/articles/388c8e391a244d845b8d8ace637c67049c91d46a 10/29(火) 10:37配信 日テレNEWS NNN
 29日に公表された自殺対策白書によりますと、去年自殺したこどもは513人と高止まりの状況が続いていて、死にたい気持ちになるこどもは、以前と比べて、「あきらめ」の気持ちを持つことが増えてきているということです。 
 29日に公表された今年度の自殺対策白書によりますと、去年の小中高生の自殺者は513人で、去年より1人減りましたが過去2番目の多さで、高止まりの状態が続いています。 
 電話相談などをうける、認定NPO法人チャイルドライン支援センターが実施した、希死念慮(死にたい気持ち)をもったこどもの気持ちの分析によりますと、2016年からの7年間では、8.4%だった「あきらめ」の感情が、2023年度は12.3%に増えていたということです。 チャイルドラインには、「自分は必要ないとしか思えない。さっさと殺してほしい」「誰からも必要とされていない邪魔者。生まれてきた意味ってあるの?」など、生まれてきたことを否定する相談も届いていることからも、希死念慮をもつこどもの気持ちが、「苦しい」から「あきらめ」へと変化していると分析しています。 また、チャイルドラインに相談した動機は、「話を聞いてほしい」が最も多くおよそ8割を占め、「死にたい」などの思いを解決する答えがほしいとした子は2割以下だったということです。こどもからは、「そんなことで死にたいなんていうなとかじゃなくて、『がんばったね』『だいじょうぶだよ』といわれたかった。死にたいと思ってしまう自分を認めてくれる人が隣にいてほしい」などの声もあり、チャイルドラインは、まずは気持ちを受け止めること、寄り添うことが何よりも必要な支援であるとした上で、多様な生き方・価値観を否定するのではなく、お互いの生き方、一人一人の個性を認めることができる世の中こそが、誰もが「自分は生きていていい」と思える社会なのではないかと話しています。 
 また今回の自殺対策白書は、初めて、こどもの自殺が特に増える8月から9月の地域別のデータが公表されました。それによりますと、北海道や東北地方では他の地域よりも2週間ほど早い8月中に、自殺したこどもが増えていて、夏休み明けがほかの地域より早いことと関連があるとみられます。 
 さらに、自殺したこどもで自殺未遂歴がある場合について、自殺未遂の時期の分析も初めて行われました。自殺したこどもで自殺未遂歴があるこどもの半数以上は、1年以内の自殺未遂歴があり、特に女子小学生や女子高校生では、自殺の前、1か月以内に自殺未遂をしていた例がおよそ3割を占めました。 
 厚労省は、「こどもの不安や悩みに耳を傾け、必要な支援につなげることが重要。自殺対策を強力に推進していきたい」としています。 いま、つらさや生きづらさを感じているという方には、電話や「LINE」で相談できるところもあります。誰かに話すことで、楽になることもあります。相談してみてください。 
【電話】「こころの健康相談統一ダイヤル」0570-064-556 
【LINE】「生きづらびっと」「こころのほっとチャット」 
【webサイト】かくれてしまえばいいのです

感想
 「生きる意味があるか?」と問われ、どれだけの相談員がそれに応えられるだろうか?
 話を聴く、とても大切です。
でもさらに、生きる意味について一緒に考えることも必要です。
それに応えるためには、相談員自身が、「生きる意味」について考えていないと難しいです。
 生きる意味、それは哲学、宗教の領域です。
ロゴセラピ―はまさに生きる意味を考えるセラピーです。
 NHK「こころの時代」で6回にわたって、生きる意味を考え続けた、ヴィクトール・フランクルが取りあげられました。
 生きる意味を考える上で、この6回を視聴されるとよいです。
またそのメモは上記「ロゴセラピー」をクリックすると見ることもできます。

自民25歳大空幸星氏にTV多数出演友人が苦言「残念でならない」夫婦別姓や同性婚に回答せず謎理屈 小選挙区落選も比例復活 "大空幸星氏が石丸氏と同じ類か、そうでないかが今後問われそう”

2024-10-29 09:10:30 | 社会

 27日に開票された衆院総選挙で、小選挙区で落選し比例復活した自民候補に、テレビ多数出演の女性コメンテーターが、「友人として本当に残念」とXでつづっていた。 
 25歳の初々しい姿で選挙戦を展開  日本テレビ「news zero」に出演していたクリエイティブディレクターの辻愛沙子氏は23日、ある動画を引用リツイートした。  
 東京15区の立候補者による公開討論会で自民から出馬した大空幸星氏が、事前のアンケートで「選択的夫婦別姓に賛成か、反対か」「同性での結婚を認めるか」の2項目に回答しなかったことを追及された場面だ。  
 立憲民主党の酒井菜摘氏から「回答しないのは残念。そうしないと勝てないと思っているのか?」と聞かれ、大空氏は早口で回答。「まさに政治家の発想だと思いました。理想主義より現実主義。イシュー化することによって進められない問題もあると思います」。  さらに「個人の多様性の尊厳は当たり前のこと。それを具体的にやるかどうかが大事。党の公約に掲げるとか、選挙の争点にするってことが大事じゃなくて、具体的にどうやっていくかが大事だから、イシュー化することで進まない社会問題もあるということ」と付け加えた。  
 辻氏は「大空くんのこの発言や姿勢は、友人としても同年代としても、本当に残念でならない。回答しないのはあまりに不誠実。何を恐れてるか知らないが、◯なら◯と、×なら×と胸を張って意思表示すべきだ。仮にも政治を志す者ならば。二枚舌に誤魔化されるほど有権者は甘くない」と記した。  
 続けて「そもそも、同性婚と選択的夫婦別姓について『イシュー”化”することの是非』と答えている時点でおかしい。これらは、”イシュー化”するしないの話ではなく、既に当事者にとってれっきとした”イシュー”なんだよ。現在進行形で痛みを被っている当事者がいる課題であり障壁であり人生を左右する一大論点。実態から目を背けないで欲しい」と要望した。  
 大空氏は25歳。慶大時代に24時間対応のチャット相談窓口を運営するNPO法人を立ち上げ、話題に。「朝まで生テレビ!」や各局の情報番組に出演し、若者の声を届ける役割を果たしていた。  
 元の書き込みにも「それで大空の意見は結局なんなの?」「イシュー化しない?でどうやって話し合い、法律にしていくのか。逃げてるだけ」「論点ずらし、ごまかしかぁ。」など、回答しない大空氏の姿勢に疑問の声が多数あがっていた。

感想
 大空幸星氏は、これらの意見を謙虚に聞く耳を持たれているかどうか。
代議士になると、人はつい態度がでかくなり、謙虚さを失います。
まあ、そういう人はそう言う人なので、見る側が認識すべきことかもしれませんが。

 それに比べ、辻愛沙子株式会社arcaはきちんとした判断力と誠意を感じました。
 
同じ慶応大学で知り合われたようです。

「家族にとってのグリーフケア――医療の現場から考える」坂下ひろこ編著 ”知ることから始まる”

2024-10-29 01:46:46 | 本の紹介
第1章 
 病児の母として 看護師として教員として 璃音ちゃんのお母さんの体験
・生まれてきた意味
 こうした病院の変化から、私は、「璃音は、産まれてきて幸せだったのかな? 5か月だけの命だなんて短すぎる」という思いから、徐々に、「5か月だったけど、たくさんのことを璃音は教えてくれた」「5か月しか生きられなかったけど、璃音はすごいね!」と思えるようになりました。さらに、璃音は私に、「お母さんは患者さんのこと、家族のこと、わかってないよ」「お母さん、患者さんや家族にはこんな思いがあるって伝えてよ」って言ってるのかな? と考えるようになりました。これが私なりの璃音が産まれてきた意味の一つです。
 その頃、少しずつ自分の体験を教材化し、看護学生への教育ができるようになりました。今では、璃音と共に出勤し、璃音と共に看護基礎教育を行っています。終末期看護実習で、自分の体験段を踏まえて学生に話をした時に、ある学生が「先生の娘さんから大切なことを教わりました」と言ってくれました。この言葉で、私は、さらに璃音をそばに感じるようになりました。
 このように、我が子を亡くした直後は何も考えられず、ただ息をしているという状態から、社会が私を外に連れ出してくれ、「小さないのち」で同じ経験をした方との出会い、わかちあいを通して、そして癒されていきました。経験したこと、感じたことを話すことで看護が変わり、璃音はこれを伝えたかったかな? と意味付けし、決して乗り越えることはできないし、忘れることもできないけれど、今では、私は璃音と共に生きている感じています。

第2章
最後まで生きると信じた白血病との闘い 大介君とお母さんの体験
・主治医から検査結果の説明を受けました。「数値は回復しているから治療は始められるけど、ゴールデンウィークが終わってからの入院でもいいよ」と提案されました。私は迷いましたが、入院して治療を少しでも早く終えようと決断しました。この決断は大きな後悔になりました。この時「帰る」という選択をしていれば、大ちゃんの体力や骨髄は延期したぶん回復し、緑膿菌に感染したとしても打ち勝つことができたのではないか。大ちゃんはもっと長く生きていられたのではないだろうか、という思いが今も消えることがありません。

・先生も必死だったということを5年目にして知ることができて良かったと思います。主治医は血液検査の権威であり、経験も豊富であることから私は先生に依存し過ぎていたのではないかと考えています。もっと自分で考え、決断することができていれば、大ちゃんをもう少し早い段階で、楽に逝かせてあげることができたのではないかと、改めて思いました。これからは大ちゃんの看取りに折り合いをつけながら受容していこうと思います。

第3章
わが子への迫られる決断と永遠の葛藤 凛香ちゃんとお母さんの体験
・凛ちゃんが亡くなって5か月後、夫は、精神的ストレスからくるうつ病の診断を受けました。夫は、不妊治療で無理やりに弱い精子を卵子と受精させたことが今回の染色体異常の原因だったという思いを、どうしてもぬぐうことができなかったようです。以後、二人の間で次の子どもに関連する事柄すべてがタブーとなりました。私は不妊治療のクリニックに通院することを休止しました。
 代償行為として、私は図書館で本を読むことに没頭しました。そして心理学やグリーフケアの勉強を始め、大学院へ進学します。2年後、私が大学院を修了すると代償行為の期限がきました。いった保留していた次の子への葛藤に、再び直面することになりました。誰か相談できる人がいたら少しは楽だったかも知れないのですが、こういうことは、他人はおろか、自分たちの身内にさえ、言えるもんではありませんでした。腫れ物に触るようにお互い接し、刃の上に載っているような緊張に耐えられなくなった私たちは、離婚への道をたどりました。「苦しむだけ苦しんだ、もういいやん。楽になろう」と言うのが夫の言葉でした。夫も非常につらい想いをしたと思います。 
 子どもを亡くした夫婦の離婚率は高いと聞きます。経験した人にしかわからない心情というものが何にたいしてもありますが、離婚についてもそうなのだと思います。あれが私たちの限界だったのだと、今は思えるようになっています。

・凛チャンの生まれた意味を感じる瞬間
 しばらくぶりに助産婦さんが年賀状をくださいました。そこには、こう書かれてありました。
「昨年は、〇〇中学へ“いのちの先生”に行ってきました。いつものように、“凛ちゃんのお話”をしています。このごろ、凛ちゃんの生きた意味はここにあるのではないかと思うくらい、多くの生徒のこころを動かしています。また実家に帰った時には病院に寄ってくださいね」。

第4章
同じ病気をもって生まれた兄と弟 幸大君と康成君のお母さんの体験
・幸大を亡くした後、息子に宛てた手紙に、こう書いています。
「ママは、ずっと心の中に、この思いがあった。先生の話だけでなく、いろいろ調べていれば・・・ママがもっと先生に強く言えていれば・・・なんで私は出来なかったの! 一番大切なことだったのに! こんなママがあなたのママだなんて、言えないよね。いたらないママでごめんね」と殴り書きをしている文があります。私がもっとしっかりしてれば、何か変わったのかも知れないと思い続けました。

・このあと院長から、心疾患が見つかったことを告げられました。・・・。M子先生は、今のところ逆流はないけれど心房に小さな穴があり寝室に大きめの穴があると説明されました。手術は必要なんですか? と聞くと、「あの大きさだと必要ですね・・・」と申し訳なさそうにおっしゃいました。それを聞いて私は、とっさに、M子先生にすがるように「私、息子を心内膜欠損症で亡くしてるんです! この子は助かりますか?」と聞きました。先生は、「え? っと驚き、そのあと、不安でたまらない私の腕をそっと握り、お母さんしっかり立って聴いてくださいね。・・・というような表情で「今のところ、心内膜症欠損症という診断です」と言いました。わたしはもう、なにから考えていいのかわからなくなり言葉が出ませんでした。先生は続けて亡くなられた息子さんはどういった症状だったかわかりませんが、お腹の赤ちゃんは心内膜欠損症の不完全型です。中でも症状は軽くて、手術をすればきっと大丈夫ですよ」と、そのことに自信があるように大きくうなずきながら言ってくれました。私はそれを聞き、ようやく我に返り「息子は完全型で弁がなかったんです」と言うと、先生は、さらに大きくうなずき「お腹の赤ちゃんの弁はちゃんとありましたよ。きっと大丈夫です!」とおっしゃいました。その言葉を聞き、私はやっと正気を取り戻すことが出来ました。

・子どもが生きてそばにいてくれる奇跡
 私は、子どもを亡くすという経験をしているせいか、子どもたちの病気や事件や事故にも異常なぐらい不安を覚え、普通の生活の裏で恐怖と隣り合わせています。・・・
 子どもたちが、生きて傍らにいる、ということが奇跡のように感じられます。声を聴くことができ、触れることができ、姿を見ることが出来ていることに毎日感謝しています。そのことは子どもたちにも言葉にして伝えています。
 幸大は生きて傍らにはいないけれど、幸大が私のもとに生まれてきてくれたこと、出会えたことにとても感謝しています。幸大に会いたい思いは薄れることはなく、いつかお空で遇えることを切に願い続けています。

第五章
私の大切な妹の誕生 そして死 璃音ちゃんと彩音ちゃんの体験
・医師・看護師がしてくれたこと してほしかったこと
 嬉しかったこと
 ・妹の誕生に立ち会わせてくれて、少し触らせてくれたこと。
 ・ドア越しだけど面会させてくれたこと。
 ・お母さんやお父さんが妹のところに行っているとき、私と遊んでくれたこと。
 してほしかったこと
 ・ドア越しではなく、妹に直接合わせてほしかったです。
 一回でもいいので生きている間に、お姉ちゃんらしく抱っこをし、妹にしゃべりかけたり頭をなでてあげたりしたかったです。

・妹を亡くしてから2年後、弟が生まれました。妹がなくなってからも、友だちから「何人きょうだい?」と聞かれると、「3人きょうだい」と答えてます。

・私は妹から、多くのことを学ばせてもらいました。人が死んだときの悲しみ、命の大切なことを教えてくれました。また、あこがれる先生とも出会いました。妹は生まれてきて約5か月半で死んでしまったけれど、産まれてきてくれたことをすごく感謝しています。だから、小児循環器内科医になり、多くの子どもたちを救い、夢や希望を持たせてあげたいです。

第六章
双子との別れと 病院でのグリーフケア 敦生君と兼慎君とお母さん
・運命を分けた二人
妊娠27週2日、双胎第一児、敦生、死産・その後1分後、第二児、兼慎、新生児仮死から蘇生。

・まただ、手術当日の夜に、主治医から言われたことと同じ「自分を責めないでください」。違う! 私が言いたかったのは、そういうことではない。自分を責めているのではなく、病院として何かできることはなかったのか? ということ。お詫びの言葉や反省のことbが聴けるかと思って、思い切っていってみたのだけれど、全く伝わらなかった。

・欲しいのは正確な情報
 私が今一番大事なのは兼慎の病状、欲しいのはその情報だけ。なので心理士さんとは話すことは何もない。兼慎が元気になったら私も元気になるから、ほっといて、という気持ちでいました。
 また、入院中に何度か看護師さんから言われた言葉として「兼慎くんは今すごく頑張ってくれています。生命力を信じましょう。良くなることを私たちも祈っています」というものがありました。私は、これを聞くたび思いました。兼慎が頑張っていることは私が一番よくわかっている。妊娠中も信じて私も祈ってきたけど、どんなに祈っても、敦生は死産で兼慎は今こんんあ状態。「信じる・祈る」という、こんなに不確かで、誰にでもできて、あてにならない、無責任な言葉はない。そう思い、言われる度に違和感を感じ、気分が乱れていました。この経験をしてから以降、私は、人に対して「お祈りしています」という言葉は使わなくなりました。なせなら、これを言うことは、「私はあなたの何の力になれません」と公言しているような気分になるからです。

・私の腕の中で眠るように
 8時間の間に、パパとママ、交互にずっと抱っこ出来て、最後は本当にゆっくりゆっくり心拍数が落ちて行きました。

・私が今まで人に優しくできなかったから? 初めて双子とわかった時に「ムリ!」と言ってしまったから? みんなに「ちゃんと産まれるかわかりません」と言い続けたから? それを2人はお腹の中で聞いていたから? お腹が大きくなっても自転車に乗っていたから? 産休ぎりぎりまで仕事していたから? 敦生と兼慎が亡くなったのは、ずっと参加に病院のせいだと思っていた私でしたが、日が経つにつれ、自分が母親としてふさわしなかったからだ、自分緒せいなのだ、という思いの方が強くなってきていました。

・「それなら、何とか産まれてきた兼慎の方が、結局一か月間、痛くて苦しい思いしかさせていない。それが可哀想でしかたがないんです。結局助からないのなら、敦生と一緒にお腹直中で亡くなっていたほうが良かったんじゃないかと思います」と私が言うと、先生は言いました。
「それは違うと思う。あの時、あなたが冷静にすぐに手術してくださいと、決断してくれた。もし弱くなっていく心音を聴きながら、そのまま亡くなっていたとしたら、今、同じことを言えますか? すぐに出してあげたら助かったかもしれないと、一生後悔していたかもしれないよ」
 それは本当にそうだな、とすぐに納得しました。兼慎に痛い思いをさせて申し訳ない、かわいそうという気持ちが無くなるわけではないけれど、もしすぐに手術をせず、お腹の中で心音がなくなるのを待っていたとしたら、「あの時、すぐに帝王切開していればたすかったかもしれないのに!」と絶対に一生後悔したと思う。それは私の性格上、間違いありません。

・「グリーフカード」からの出会い
 緊張しながらつどいの会場に着くと、そこには時折笑みを浮かべながら話をされているお母さん方がいました。子どもが亡くなった方たちのはずなのに、なぜ笑っていられるのだろう? 最初は若干の違和感がありましたが、すぐにその温かい雰囲気に包まれ、居心地よく感じていきました。みなさんそれぞれお子さんをなくされた状況は異なりますが、子どもを亡くした親しか感じない気持ちや心配事などは、ほぼ共通しています。なぜ子どもは死んだのに私は生きているのか? ということばかり考えていた私でしたが、つどいで出会ったお母さん方を見て、ああ、年数がたてばあの方々のように普通に生活をを遅れるようになるのかな、と少しずつ未来について考えられるようになっていきました。

・いつ死んでもいいと思い、生きる
 前向きに頑張っていると人と見ているようです。実際に友人たちから、よくそのように言われますが、実はそうではありません。これを他人に言うと引かれるので、遺族会のお母さん方にしか言いませんが、実は私は、いつ死んでもいい。極端な話、今日の帰りに交通事故で死んでもいいと毎日思って生きています。それはやはり死んだ敦生と兼慎に会えると信じているからです。自分から命を絶つようなことは全く考えていませんが、本当に毎日そう思って生きています。それぐらい、子どもを亡くすというのは、強烈なことなのです。


感想
 愛する人を亡くすことの悲しみがいかに大きく深いかを知ります。
そして、同じ境遇の悲しみを持った人との語らいが大きな力、癒しになるようです。

 話を聴くは、自分を語ることにもなるのでしょう。
実際に話すことで、気付かれることもあるようです。

 話す⇒放す⇒離す
時間の経過が悲しみを軽減させることはありませんが、悲しみを抱えながらなんとか生きる術を身につけていくのではないでしょうか。
 そしてなにより、亡くなったことで体験したこと、得た新しい出会いを生かしていくと、そのとても深い悲しみが新たな扉を開けていくかもしれません。それがほかの人の苦しみを和らげたり、助けたりする働きにもつながっていくようです。