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Meiji Seika ファルマ 原口一博前衆院議員を提訴へ 選挙ビラにコスタイベの非科学的主張、看過できず ”健康被害を出したイトラコナゾール錠50「MEEK」の販売会社”

2024-10-25 18:48:48 | 新型コロナウイルス
Meiji Seika ファルマ 原口一博前衆院議員を提訴へ 選挙ビラにコスタイベの非科学的主張、看過できず ”Meiji Seikaファルマは健康被害を出したイトラコナゾール錠100「MEEK」の販売会社”

 Meiji Seika ファルマは10月24日、立憲民主党の原口一博前衆院議員を名誉棄損で提訴する方針を固めた。27日投開票の衆院選後、東京地裁に民事訴訟を起こす。原口氏は、Meiji Seikaが製造販売するレプリコンタイプ(自己増幅型)の次世代mRNAワクチン・コスタイベについて、選挙前から非科学的な主張を繰り返していたが、さらに選挙運動用ビラや選挙公報でコスタイベをはじめとするレプリコンワクチンは「治験をしたアメリカでもベトナムでも認可されていない未知のワクチン」であり、日本人が「モルモットにされていると言っても過言ではない」と記載・主張した。Meiji Seikaは、原口氏のこれまでの言動を含め、悪意のある名誉棄損にあたると判断した。

Meiji Seika広報・渉外部は本誌取材に、「(原口氏を)提訴する方向で検討を進めている」と認めた。

 関係者によると、Meiji Seikaは原口氏に対し、10月初旬に警告書を送付済み。Meiji Seikaは今回、名誉棄損に対する謝罪文の掲載と損害賠償を求めて訴訟を起こす。民間企業が国会議員を名誉棄損で提訴することは前代未聞とみられる。原口氏は衆院当選9回で、旧民主党政権時代に総務相を務めた。今回の衆院選では、佐賀県第一区立憲民主党公認候補として立候補している。

◎選挙ビラで「未知のワクチンが日本にだけ認可されていることは、まさにモルモットにされている」

 Meiji Seikaは当初から、原口氏が新型コロナのmRNAワクチンやレプリコンワクチンについて非科学的な主張を繰り返していることに問題意識を持っていた。この背景には、一般の人ではない専門家が非科学的な情報を流布することで本来接種すべき人にワクチンが届かないことになる可能性があるためだ。Meiji Seikaの小林大吉郎代表取締役社長はこれまでの記者会見で、非科学的な言説や主張を医学・薬学の専門家(団体・個人)が繰り返しSNSなどを通じて発信することは「非常に我が国の公衆衛生上の脅威になる」と危機感を示していた。

 そこに今回、原口氏が衆院選の運動用ビラや選挙公報で、スローガンのひとつに掲げた「日本救世」の中でレプリコンワクチンに関する非科学的な主張を掲載。Meiji Seikaは、原口氏が多くの市民に影響を与える政治家ということもあり、もはや看過できない事態と判断したとみられる。

 原口氏は「日本救世」の中で、「今、原因不明の超過死亡者が増えている」と指摘した。そして、10月1日から開始された新型コロナワクチンの定期接種でレプリコンワクチン(=コスタイベ)が接種用ワクチンのひとつに位置付けられているとした上で、「治験をしたアメリカでもベトナムでも認可されていない未知のワクチンが日本にだけ認可されるということは、まさにモルモットにされている、と言っても過言ではありません」と主張。「ワクチンを3回以上打っているの国は日本だけ。私たちはいいかげんなワクチン接種に反対します!」と訴えている。

◎Meiji Seika コスタイベは「EBMに基づく国内外の専門家や規制当局による科学的評価、承認プロセスを経ている」

 なお、Meiji Seikaはこれまでに、コスタイベが他国で認可されず、日本でのみ承認されているとの指摘に対し、コスタイベはGCPガイドラインに即して、国内外で実施した複数のランダム化比較試験(合計約1万8000人接種)にて得られた信頼性の高いエビデンスに基づいて有効性・安全性が確認され、PMDAの承認審査の結果に基づき、最終的に厚労相が承認したワクチンだと説明。そして、「EBMに基づく国内外の専門家や規制当局による科学的評価、承認プロセスを経ている」とし、日本でのみ承認されていることを問題視することは、「わが国の薬事行政及びワクチン接種制度を根底から否定するもの」との考えを示している。

 コスタイベに代表されるレプリコンワクチンをめぐっては、シェディング(ワクチン接種者から未接種者への感染)の懸念があるとの非科学的情報がSNS上で流布され、コスタイベを接種した人を入店拒否とする方針を掲げる飲食店やヨガスタジオが出現。10月に入ってから、コスタイベの接種予約を開始した医療機関に対する嫌がらせ行為が確認され、診療継続が困難になるといった問題も浮上し、混乱が広がっている。

 シェディングの懸念に対しては日本感染症学会、日本呼吸器学会、日本ワクチン学会の3学会が10月17日付で取りまとめた「2024年度の新型コロナワクチン定期接種に関する見解」の中で、科学的な見解として、コスタイベにシェディングのリスクはないと明示している。

感想
 日本で初めて承認されたことは事実です。
医薬品は人の安全性をフェーズⅢで確認しますが、患者数が多くないため、販売後に予想もしない副作用が起きることがあるため、そのデータを集め、そして必要なら添付文書に記載します。

 ソリブジン薬害事件などとして知られ、日本国内では治験段階で3人、1993年9月の発売後1年間に15人の死者を出し、販売は自主的に停止されました。
 治験段階での死者があったが抗がん剤との関係は明確でなかったのです。しかし、販売1か月後にフルオロウラシル系抗癌剤 で死者がでました。
添付文書の相互作用の項の不備があったのです。
 このように、新製品には治験段階では分からなかったことが起きるリスクがあるのです。初めて販売する国では特にそれが出ます。
 原口さんは、これを”日本人がモルモットになっている”と感想を述べられたのでしょう。

 もう一点気になるのは、特例承認だったということです。つまり、今既にコロナのワクチンがあるのに、これを特例承認する必要性があったのだろうか?との疑問です。コロナは5類です。
 それに特例承認が必要なのでしょうか?
 特例承認のために、追加の治験データが厚労省から求めらています。
つまり安全性データが不足しているので、求められているのです。
通常はこのようなデータを取得後に承認されます。
言葉を変えると、安全性データはまだ十分ではありませんと言うことになります。
 特例承認は未知数が大きいためデメリットも考えられるが、それよりもメリットが大きいので認める場合です。
果たしてメリットが大きいのでしょうか?

 ひょっとしてこのブログも、Meiji Seikaファルマさんから訴えられるのでしょうか?

 Meiji Seikaファルマさんというと、健康被害を出したイトラコナゾール錠50「MEEK」は製造販売業は小林化工さんですが、販売はMeiji Seikaファルマさんです。お薬の名前にMeiji Seikaファルマさんの固有記号MEEKが名前に入っています。

 医療関係者 各位   Meiji Seika ファルマ株式会社 2021 年 2 月
今後、弊社としてさらなる品質マネジメントの徹底を図り、後発医薬品の安定供給に努めて まいりますので、その他弊社製品につきましては、引き続きご愛顧を賜りますよう宜しくお願 い申し上げます。 
これまでどんな品質マネジメントされてたのでしょうか?
自社製造販売品と販売品(他社製造販売)では品質マネジメントに違いがあったのでしょうか?
 どんな品質マネジメントをされるのでしょうか。
①監査に行って実際の作業を確認する(⇒これをやっていれば気がついたはず)
②自社でも試験する(⇒これをやっていれば、問題点に気づいた可能性大)
③品質取決めに製造方法を記載する(⇒これをやれば査察時のSOPや実際の製造記録との違いがわかる)
 さらなる、ではなく、問題があったことを先ずは受け入れて/認めて、それを改善することではないでしょうか?
 徹底を図りではなく、出来ていなかったことを認めることだと思います。
それがあった初めて、改善が本気になるのではないでしょうか?

 多くのジェネリックの中から、医療関係者や患者さんが選択するのは、どの会社が販売しているかという信頼で選ばれると思います。
 小林化工の親会社のオリックスは謝罪会見があったと記憶にありますが、Meiji Seikaファルマさんは謝罪会見がなかったように記憶しています。
間違えていたらご指摘お願いします。
 いろいろ発言や提訴は自由ですが、健康被害を出した薬剤を販売していた、道義的責任はどうなのか?
それを果たしていただきたいと思うのですが・・・。
Meiji Seikaファルマの販売していたお薬で健康被害出たという都合の悪いことは黙って、売り上げに影響することは提訴なのかなと思ってしまいました。
 Meiji Seikaファルマさんを信頼して購入した医療機関、信頼して服用した患者さん、水虫薬のお薬で亡くなった方、そういう方に対してどう思われているのだろうかと思ってしまいます。
 逆に謝罪会見を開いて、責任を感じていると言われた方が信頼が高まると思います。
 販売会社として小林化工の品質保証/品質管理を十分確認できていませんでした。
この件を重く受け止め、Meiji Seikaファルマが販売するお薬は、製造販売会社が別でも、しっかりと品質保証/品質管理を行っていきます。
こういうプライドはお持ちではないのかなと思ってしまいました。
 販売会社としてのMeiji Seikaファルマの品質の責任だけでなく安全性についても、対応の不味さがあります。それについては下記に報告しています。

 2020 年 11 月 24 日、イトラコナゾール錠 50mg の共同販売元である Meiji Seika ファルマ から安全管理部に対して、東北地方所在の公立病院において、1 例の副作用が発生したと の連絡が有害事象連絡票によりなされた。症状は動悸であり、添付文書において「併用に 注意すること」とされているニフェジピンが併用されているとのことであったため、安全 管理部及び安全管理責任者は、既知・非重篤の症例と判断し、「今後も同様の報告を収集 する。」との対応を取ることとし、その旨総括製造販売責任者に報告している。なお、後の調査で本件で服用されていたイトラコナゾール錠 50mg は、問題のロットとは別のロッ トであることが判明している。(第三者委員会概略版より)⇒この時点では妥当な対応かと
2020 年 11 月 25 日、Meiji Seika ファルマから、再び、安全管理部に対して、薬局が販売 したイトラコナゾール錠 50mg について、2 例の副作用が生じた旨の有害事象連絡票によ る連絡がなされた。当該連絡票には、「服用した患者で記憶がなくなるという症例が続いた」 という記載、及び服用した小児が「気が狂ったように頭を壁に打ち付けたりしている」とい う記載がなされていた。⇒この時点でGQP(品質部門)への連絡、「製造に問題なかったか?」の問い合わせを行い、製品回収について検討すべきだった。
・2020 年 12 月 1 日、Meiji Seika ファルマの MR から、安全管理部に対して、上記と同 じ薬局の処方元である皮膚科泌尿器科医院から入手した情報であるとして、イトラコナゾ ール錠 50mg から 2 例の副作用が生じたとの有害事象連絡票による連絡がなされた。そ のうちの一つの症例は、「患者がイトラコナゾールを服用したところ、夜中に意識が朦朧と し、ふらつき・錯乱が起きた。」というものであり、もう一つの症状は、幼児が服用したと ころ、「不機嫌・ふらつき(千鳥足)・ぼーっとする(意識朦朧)」といった症状が発現した というものであった。
⇒この時点でようやくMeiji Seikaファルマさん、小林化工が動き出しましたが、製品回収は12月4日になりました。健康被害ですから、この時点でも12月2日に製品回収に着手すべきだったと思います。


⇒Meiji Seikaファルマさんに再び入ったとき(11月25日)、この時に回収に動かないといけなかったのが、回収は12月4日と遅れています。
 医薬品は品質と安全性の連携を強めるために2005年に薬事法が改正され、品質が疑われる場合、すぐに安全性部門(GVP)から品質部門(GQP)への連絡が必要でした。
小林製薬さんの2か月以上の遅れよりはまだマシですが。
このことについての、Meiji Seikaファルマさんの見解がありません。
 副作用情報は最初に販売会社のMeiji Seikaファルマさんに入っています。
問題点に蓋をするのではなく、きちんと検証してそれを発表してこそ、医薬品会社としての信頼が高まり、かつ同じ問題を防ぐことができると思います。
 こういうことをされて来られたなら、Meiji Seikaファルマさんの言葉も信頼できるのですが・・・。

 原口氏が当選されることを願っています。
佐賀県第一区の選挙区の方、よろしくご支援お願いします。
疑問に思うこと、提訴も恐れず、多くの人に知って欲しいと勇気を出して伝えている方がおられるので、私たちは知ることができます。
 厚労省、製薬会社だけの情報ではなく、多くの情報があるなかから、私たちが考えることになります。

 萩生田氏、ひろゆき氏のコメントを訴えると言われていましたが、ひろゆき氏が、発言のどの個所を削除したのが良いか教えてくださいと書き、萩生田氏が訴えると言われたことを謝罪されていました。
 小沢一郎さんも同じ発言あったのに、「どうして小沢一郎さんを訴えないのですか?」と疑問を呈されていました。
 きっとこれから、Meiji Seikaファルマさんは原口さんと似た発言をされている多くのユーチューバーも訴えられるのか?
 日本看護倫理学会は8月8日、「新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの懸念 自分と周りの人々のために」と題した緊急声明を発表されているので、Meiji Seikaファルマさんは日本看護倫理学会も提訴されるのか?

 原口氏が当選されることを願っています。
佐賀県第一区の選挙区の方、よろしくご支援お願いします。
疑問に思うこと、提訴も恐れず、多くの人に知って欲しいと勇気を出して伝えている方がおられるので、私たちは知ることができます。
 厚労省、製薬会社だけの情報ではなく、多くの情報があるなかから、私たちが考えることになります。

 萩生田氏、ひろゆき氏のコメントを訴えると言われていましたが、ひろゆき氏が、発言のどの個所を削除したのが良いか教えてくださいと書き、萩生田氏が訴えると言われたことを謝罪されていました。
 小沢一郎さんも同じ発言あったのに、「どうして小沢一郎さんを訴えないのですか?」と疑問を呈されていました。
 きっとこれから、Meiji Seikaファルマさんは原口さんと似た発言をされている多くのユーチューバーも訴えられるのか?
 日本看護倫理学会は8月8日、「新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの懸念 自分と周りの人々のために」と題した緊急声明を発表されているので、Meiji Seikaファルマさんは日本看護倫理学会も提訴されるのか?

「その朝、おんなの何かが変わる 30歳のバースディ」高市早苗著 ”政経塾で鍛えられた、チャレンジブルな方、でも寂しがりやさん”

2024-10-25 15:40:48 | 本の紹介
・恋がうまくいかない場合は最悪。「誰にも愛してもらえない私は、人間的な魅力に欠けるのかしら」なんて考え始めたが最後、仕事に生きる人間としても、ひとりの女性としても中途半端な自分に嫌気がさしてしまうのが、三十歳前後の落とし穴かもしれない。客観的に見ると、仕事も成功しているし、羨ましい程美しい女性なのに、好きな男性ひとりに認めてもらえなかったことで自分の全存在を否定されたような落ち込み方をして、最悪の場合、自殺を計るといったケースを耳にしては、やり切れなく哀しい気分になってしまう。
 いずれにしても、女性が恋人の口から聞き出したがる「愛してるヨ」のひと言は、自信を持って生きる為の精神安定剤なんだと思う。

・「とうとう家を出られる。親から離れられる」
大学進学を考えなければならなくなったとき、まっさきに私はこう思った。
 私の母はけっこう厳しい人で、中学、高校時代は目をかすめて遊びに行くようなことばかりしていた。

・出てきたのは、私の日記帳。「×月×日、彼と朝まで一緒にいた」などと、日々のスケジュールがありのままに書いてある。・・・(両親に見つかる) 
 こうしてまたまた、(下宿暮らしから)往復六時間通学の生活が(再び)始まった。

・女子寮の住人は、ほとんどが教育学部の学生、神戸大学の教育学部には、もうひとつワーストワンの汚名があって、教員試験合格率で連続して何年も全国最下位、とうとう1991年に教育学部は廃止となってしまった。
 勉強はしないわ、男遊びはするわ、教員試験は受からないわでワーストワンに輝いたというのに、そうとは知らない母と私は、女子寮なんだからマジメにお互いに切磋琢磨して勉強に励む者と思い込んでいた。

・(公務員試験の他に)何か滑り止めがほしいと思っていた時期に、たまたま目に入ったのが、大学の廊下に張り出された松下経営塾の塾生募集のポスター。松下幸之助を囲んで経営幹部を育てる学校だと思っていた。その程度の認識だった。

・合格した後で教えられたのだが、あの面接の目的は「運と愛嬌」を見分けるためのものだった。・・・
 ポライド写真は、その晩、幸之助さんの部屋のベッドに並べられ、愛嬌のありそうな順に「コイツとコイツとコイツ・・・」と指さされ、最終合格者が決定された。
 人生何が幸いするかわからない。・・・
三次試験の数日前、・・・そしてもう一言(父から)、
「お前な、松下さんに会うんだったら、とにかく、運の良さそうな顔をしろよ」

・政経塾に入ることが決まってから卒業式までの約半年間は、彼との愛の生活に、どっぷり。
 夏の暑さも冬の寒さもひしひしと感じられるような、彼のボロ下宿に入びたった。暑くてもクーラーはないし、他にしのぐ方法がない。二人して毛布にくるまり、汗をダラダラ流して、ギリギリ限界まで暑さに耐えて、頂点に達したときに扇風機をひゅーっと回す。そのときの涼しいこと、涼しいこと。

・訪問販売だけで二か月に200万円売れという。200万円売れなければ塾を辞めてもらう可能性もあるとほのめかされたりした。・・・
 苦しんだ末に私も知恵を絞った。ドアを開けてもらうための作戦だ。カタログと一緒に蛍光灯と電球と電池を袋に持てるだけ詰め込んだ。
「どこか蛍光灯はきれていませんか? 電池は間に合っていますか?」などとインタホンで尋ねると、どこの家でも何かしら引っ掛かるものがある。
 「あら、ちょうどよかった」で、ドアが開く。「じゃあ私、つけて差し上げます」と、家に上がり込む。家中パパッーと見回し、ああ、クーラーが一台じゃ足りなそうだ、洗濯機が旧式でくたびれているなどとチェエク。何を売りつけようかと考える。
 その場は「ありがとうございました」と言ってひとまず退散。一歩門から出たら、見てきたことをメモに書いて、次に何のカタログを持って行くか作戦を練る。
 その後、何度も何度緒足を運んでいるうちに、「まあ、上がってお茶でも飲んで生きなさい」と言われるようになればしめたもの。
 最後は「あなたのお人柄で買ってあげよう」一所懸命やっているあなたの姿に打たれたから、買ってあげよう」ということになってくる。
 結果的に二百数十万円。思った以上に売れてクビがつながった。
 数年たって、あの研修の意味がわかった。選挙の時の戸別訪問の練習だった。・・・
 昭和62年の地方統一選挙では、私も立候補した先輩のために、連日100軒以上の家庭を訪ね歩いたが、犬に噛まれようが、インタホン越しに怒鳴られようが苦にならなかった。

・今度は工場へ放り込まれた。「日本経済の第一線で働く人々の気持ちがわかる政治家になれ」と。私はカラーテレビの組み立てラインで若い女の子たちと一緒に働くことになった。
 私は甘かった。工場なんて、モノを売る仕事よりもさらにずっと気楽だろう。ラインの向こうから流れてくるのを次々とさばくだけで、難しいことは何も考えなくていいのだからと。
 とんでもない誤解だった。朝から晩まで同じことを繰り返すのがどんなに苦痛か。休憩から次の休憩までの30分間がどんなに長いか。8時間労働がどんなに長いか。私は身を以て学んだ。同じ時間を測るにも、別のモノサシがあると思った。
 その上、最初の二週間は私だけ孤立して辛かった。他の女の子たちが仲間にいれてくれない。わざとおちゃらけて親しげに近寄っていっても、知らん顔。
「あなたはどうせ二か月で帰るんでしょう。エリート様なんでしょう」
 冷たい視線は私にそう語っていた。
 でも、耳をそばだてて彼女たちの話を聞いていると、そこには私の中学校、高校時代の世界があった。昨日の夜ね、男の子たちと車にハコ乗りして遊びに行ってサ・・・。それは、私がいちばん好きだった懐かしい世界。
 そのうちに音楽やバイクの話になると、私も我慢できなくて自然に入っていって一緒にキャッキャと盛り上がっているうちに、仲良しになってしまった。

・100キロ歩いて厳寒に耐えた極限体験
 12月のある日、夜の12時に熟を出発して三浦半島を一周して戻ってくる、恒例のノンストップ100キロ歩きが敢行された。
 「お前、体力ありそうだから持てよ」と、自分のおにぎりを全部私に持たせた。
 意地悪のつもりだったのだろうが、これが私に幸いした。彼らとは途中ではぐれてしまったので、よし、食料は全部私がもらってやれと。その夜のうちに15個くらいのおにぎりを食べてエネルギーを蓄えた。・・・
 おかげ予想外の好成績。二位でゴールした。

・再びハードな勉強のシーズンをはさみ、翌年の二月、世にも恐ろしい実習を体験することになった。氷点下の世界、三浦海岸の海からの冷たい替えが吹き上げる崖の上で、ビバークするのだ。
 塾生は寝袋一つと飯盒いっぱいの水だけを与えられ、1キロずつ離れて置かれ、三日三晩をその場でしのぐ。風に吹き飛ばされて崖から海へ落ちないようにと、近くの気に寝袋をつなぎとめて。・・・用を足したら落葉か雪で拭けと言う。誰も見ていないだから。 
 そうは言っても、昼間はできない。夜、暗くて寒い中に置き出していくのは勇気がいった。穴を掘ってお尻を出すなんて、すごく悲しくて寒くて。
 とにかく寒いなんてものではなかった。

・二年目を終えること、政経塾の同期生は半分に減ってしまった。卒業までこぎつけたのは、同期14人のうち5人だけ。一つ上の期は18人入って4人しか卒業していない。

・政経塾の最初の二年間はいわば基本コースで、厳しいながらも与えられたカリキュラムを消化するだけ。後の三年間は自分自身で研修プログラムを組み立ててやり遂げなければならない。確たる目的もなく、気持ちがグラついている人は、2年から3年に進むときに脱落してしまう。

・政治活動には私たちの税金が使われているのだ。もっと政治がマシにならなければ、私たちは快適な暮らしができない。日本経済だっていまは好調だが、悪くあり始めたときに政治がしっかりとしていないと、日本の繁栄は終わってしまう。政治を正すために私の一生を賭けてもいい。

・私が最初の研修先として選んだのは、自治省の地域活性化センターだった。・・・
実をいうと、職場の女の子たちとの関係は最初は最悪だった。
この職場では女性は全員アルバイト。女性の仕事はワープロ打ち、コピー取り、お茶くみに限られていた。
 松下政経塾の研修生として来ている私は、いわば総合職的な身分。他の男性職員と同様の業務に専念し、雑用は一切しなくてよいということだった。・・・ 
ワープロ打ちもコピー取りも頼めず、全部自分でやるとなれば、男性と同じ仕事量をこなすのは物理的に不可能である。
 困り果てて奈良の母に電話で相談したところ、すぐさま三つのアドバイスが返ってきた。
①明日から朝は一時間早く出勤してお湯を沸かし、お茶碗を全部洗うこと、
②朝一番のお茶いれをすること。ただし、自分でするのは男性に見えない場所でお茶を入れるところまでで、運ぶ作業は他の女性ににやってもらう。
③お昼ご飯は必ず女の子と一緒に食べること。男性職員に誘われても断らなければならない。
・・・
 だんだんと会話の中にも入っていけるようになり、化粧品やファッションや男の子の話に花を咲かすランチタイムが待ち遠しいほどになった。
 こうして三か月も経つころには、いつの間にかオフィスは、私にとってとても居心地の良い場所となっていた。

・私は、シュローダー議員への強力なコネクションを見つけるために、残暑にうだる9月の永田町を汗びっしょりになって走り回った。
「どなたか、民主党議員に知り合いのいらっしゃる先生はおられませんか」・・・
 民主党の顧問弁護士であるヘイル氏が来日中であると聞き、さっそく訪ねて行った。彼はシュローダー議員のだんなさまである弁護士のジム・シュローダーと法律大学院で同級生だったという。
「実現は難しいと思うが、ジムに君のことを紹介するテレックスを入れておこう」・・・
 ある日、アメリカ大使館のあるセクションに電話したところ、シュローダーはついさっき、大統領選挙から手を引く声明を出したとしらされた。CNNで彼女が泣いている大写しのシーンを見て、私は目の前が真っ暗になった。
 当分は忙しくて私のことどころではないだろう。でも、それでもまだあきらめられず、これで最後と思ってシュローダーに電報を打った。
「さぞ悔しいことでしょう。でも、あなたは次の大統領選挙があります。私は変わらずあなたを尊敬しています。あなたのそばでお手伝いをさせてください」
 翌朝、ヘイル弁護士の事務所を通じてファックスが転送されてきた。
「ありがとう、サナエ。とにかく、こちらへ来てみてください――パット・シュローダー」
 周囲にあきられながら、あれよあれよという間に、私はワシントン行の機上の人となった。

・シュローダー議員の事務所へいくことが決まったのはうれしかったけれど、同時にそれは私にとって悲しい別れを意味していた。
 一日も顔を見ずにはいられないくらい好きだった彼との別れ。・・・
なぜか私の人生の節目節目にはオトコとの別れがある。最初は大学を卒業するときの、「毛布の彼氏」との別れ、そして二度目がこのアメリカ行きのときの別れ。

・理想に燃えて帰国したものの、働き口のアテもなく、奈良の両親のもとに転がり込んだ。
 いま振り返ってみると、この時期が一番不安定で、客観的に見て一番苦しい時期だったと思う。
 渡米前に知り合った人々に片っ端から電話して、「10人でも5人でもいいんです。私の話を聞いてくれるなら手弁当で駆けつけますから、ぜひ呼んでください」と売り込んだ。
 私がアメリカで体験したことや、外から見た日本の政治について、いま、話をしたい。政治改革の必要をいま、訴えなければダメだと思った。
 北海道でも東京でも、どこでも呼んでくれれば駆けつけた。中には食事代はもちろん、交通費すらくれないところもあった。
 最高学府を出て政経塾まで出たのに、いまではプータロー。講演活動を始めたというけれどもお金にもならず、赤字を出して帰ってくる。いったいこの娘はこの後どうなるんだろうと、親は困っていたにちがいないけれど、私自身は全然困らずに全国あっちこっちへ行ってしゃべっていた。
「政治評論家の高市早苗です」・・・
そのうち口コミで、一日に5本も10本も講演の依頼の電話が入って来るようにった。収入も少しずつ増えていった。

・仕事のない日は奈良の家で原稿を書いていた。
 アメリカでの経験を本に書こうと思い、東京の出版社を回ったのだが、無名の私はまるで相手にされなかった。
「書きたいといったってサ、売れないものを出すわけにはいかなないよ」
「それなら、私がとりあえず全部、原稿を書きますから、読んでみてイヤだったら出してくれなくていいです」
 なんとか説き伏せて原稿用紙をもらい、一日に5枚とか10枚とか、少しずつ書きためていった。これが後に『アメリカの代議士たち―――という本になって出版された。』

・『月刊アサヒ』に『アメリカの政治資金法』に関する論文を書いて投稿したら、これが掲載していただけることになった。
 幸いこの論文に対する評価は予想以上に高く、あるTV番組のプロデューサーの目にとまり、私は初めてテレビ出演することになった。
 その後はわりとトントン拍子。『朝まで生テレビ』や『サンデー・モーニング』、そして深夜番組の『プレステージ』にも飯星景子と蓮舫と組んでレギュラー出演するようになり、後にマスコミの仕事との両立が難しくなって辞めてしまったのだが、ある大学(日本経済短期大学、のちの亜細亜大学短期大学部の助手)の専任教員としての就職も決まり、肩書と研究室を与えられた。

・男かペットがいなくちゃダメな私
そういう意味で、私の精神的な健康は、カメによって保たれていた。
ただ寂しかったのは、カメだとベッドの中で一緒に寝られないこと。

・いままでの恋愛の中でもとびきりの甘い思い出は、地中海に面したヴァカンスの街、カンヌで過ごした目くるめく情熱の日々・・・
 私はその滞在中、「ここはカンヌ。私は地中海にいるの」とつぶやき続け、雰囲気を盛り上げようととした。
 それでウフフフフ・・・。朝、寝起きに暑いシャワーを浴びながら、彼が選んでくれた極上の赤ワインをいきなり飲み始める。バスローブのまま。
 そして飲みィの・・・で、ベッドの上から海が見えていて、「ここは地中海。湘南じゃないの。地中海」ってつぶやきながら、それでまた飲みィの・・・。・・・
 私の頭の中にはそのとき、片岡義男の小説の世界があった。ルームサービスを食べるときも当然、ベッドで裸の上にブランケットを巻いたまま。
 うっかりした男だったら、「お前、そんな行儀悪いことやめろよ。寝巻着ろよ」なんていいかねないけど、そうしたら大げんかだ。
 それからもちろん、彼がすばらしいテクニックを持っていることは言うまでもない。トコトン、快楽の境地におぼれられる相手じゃないと、話にならないわけ。
 いまでも思い出すと・・・ウフフフになってしまう。私の酒とバラの日々。

(1992年6月5日発行 1961年、奈良県生まれ。1992年参議院選で無所属で立候補して落選。1993年衆議院選挙で無所属で立候補して当選)

感想
 高市早苗氏が選挙に立候補された時から、名前を知るようになりました。
議員になってからは、総務相のとき、「電波を止める」発言をして、TV各局にプレッシャーをかけたのを覚えています。
 保守系の代議士とは知っていて、安倍元首相に近かったなどうわべのことは知っていましたが、高市早苗議員が神戸大学、松下政経塾卒、かつ米国でインターンの経験があるのは知りませんでした。
 チャレンジブルな、そして情熱的でロマンティストな、寂しがりやさんで一途な方だとは知らなかったです。
 この本を書かれた時は、「まさか政治家になり、総裁選を競う」とは思われていなかったでしょう。 
なので、恋の話もたくさん書かれたのでしょう。情熱的な方のようです。
 愛の力は大きいようです。

 チャレンジブルな考えと行動力は政経塾で鍛えられたように思いました。
100km歩行、冬に1人で3日間ビパーク。女性に外でトイレ行けと。紙もなし。水だけ。

 パナソニックは総合職で採用した新人に、販売店ので実習、工場での実習をかなり長くやらせています。それが政経塾でも必須になっていたようです。
 今の状況でどうしたらよいか、分からない時にも考えて行動する人を育てようとされたような印象を受けました。

 神戸大学の教育学部がなくなったのは知りませんでした。
兵庫県の田舎の高校で当時神戸大学にも数人入学し、教育学部に入った同級生もいました。教員採用試験合格全国最下位だったことも知りませんでした。

「政治活動には私たちの税金が使われているのだ。もっと政治がマシにならなければ、私たちは快適な暮らしができない。日本経済だっていまは好調だが、悪くあり始めたときに政治がしっかりとしていないと、日本の繁栄は終わってしまう。政治を正すために私の一生を賭けてもいい」
⇒この気持ちを忘れずに今も政治活動をされていると信じたいです。
自民党が行っているのは(自民党だけではないかもしれませんが)、税金を自分たちのために活用しているのです。政治の無策、それより悪い利権得ることで日本の経済は低下の一方です。
 過去10年で韓国は年収が2倍以上になっているのに、日本はマイナス4~6%です。
 かつ円安で、安い労働力として製造業が日本に戻ってきました。
 また日本は安いということで、海外からの観光客がものすごく増えています。
政治が経済の発達の邪魔をしているようにさえ感じます。
 高市早苗氏には若いときの”思い”をぜひ実現していただきたいです。

 この本からは、とても純粋な方のように思いました。
今はどうなのでしょう?
権力かお金を握ると人は変わると言いますから。
今は権力とお金の両方を握っておられるかと。

コロナ死者、年間3万2千人 5類移行後、インフルの15倍 "65歳以上が約97%"

2024-10-25 01:02:03 | 新型コロナウイルス
 新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類となった2023年5月~24年4月の1年間で、死者数が計3万2576人に上ったことが24日、厚生労働省の人口動態統計で分かった。季節性インフルエンザの約15倍と格段に多く、大部分を高齢者が占める。政府は重症化リスクの低下を理由に新型コロナの類型を引き下げ、日常生活の制約はほぼなくなったが、今も多くの人が脅威にさらされている。  
 例年冬にかけて感染者が増える傾向にある。東北大の押谷仁教授(感染症疫学)は「高齢化社会の日本で被害を減らすために何ができるのかを一人一人が考えないといけない」と訴えている。  
 人口動態統計のうち、確定数(23年5~12月)と、確定前の概数(24年1~4月)に計上された新型コロナの死者数を集計。その結果、3万2576人となり、65歳以上が約97%だった。同時期のインフルエンザの死者数は2244人。新型コロナは、ウイルスが次々と変異して高い感染力を持つ上、病原性はあまり低下せず、基礎疾患のある高齢者が感染して亡くなっているとみられる。

感想
 コロナは高齢者にとってまだまだ怖い疾患のようです。
高齢者以外は、コロナワクチンを打つリスクの方が高いかもしれません。