自公で過半数割れをしました。
止めを刺したのは、2,000万円の追加支援だったようです。
ただ、これは石破首相の意向ではなく、自民党内の元々の約束事項だったと言っているユーチューバーがいました。
石破首相は真面目な純粋な、根っからの悪でなかったのが、自公での過半数割れをきたしたのかもしれません。
安倍元首相なら、「既に自民党内で禊は(処分)は終わった」とのことで、全員自民党公認にしていたでしょう。そうすれば2,000万円支給しても未公認に支給と言われることもありません。
かつ公明党も積極的に支援できました。
自民党ももっと公明党を支援できたかもしれません。
安倍元首相は「私の妻がもし関与していたら、首相を辞める! かつ議員も辞職する」と大見え切りました。
な、なんと、議事録に、安倍元首相の昭恵夫人が関与している旨、記録されていました。「やばい!」ということで、議事録の改竄が行われました。
それを指示した佐川氏は国税庁長官と出世し、退職金も大幅に増えました。
きっと今頃は、どこかの顧問かアドバイザーでもなさっているのでしょう。
口止め料の代として、貰われているかもしれません。
手を染めた赤木さんが一人悩み苦しみ自殺されました。
それでも国民は、安倍元首相と自民党を支持して大勝させています。
今回もひょっとしたら自民党で単独過半数、少なくとも事項で過半数は維持できた可能性大です。
そのレベルの国民だったのですから。
私がもし、幹事長なら、下記で行います。
①全員自民党公認とする。
②裏金や不記載、旧統一教会絡みの議員は公認するが比例復活はなしにする。
地元の支持が得られなかった人を救うことはしない。
地元に支持されたら、それは地元が認めたことになる。
選択は一つしかできませんが、難しい時の判断は、それまでの学び、歴史から、マネジメント、リーダーシップ、哲学など、そして体験から培われるのではないでしょう。
これからの選択肢は下記でしょう。
①絶対自分から辞めない。
②未公認の当選者を追加公認し増やす。
③国民民主に協力を依頼する。
維新と立憲民主党が手を組むわけないです。
また公明と維新も手を組まないです。
野党は過半数を超えたと言っても、バラバラですから。
美味しい話を与えておけば、維新も野田党首に賛同することはありえません。
加藤の乱、加藤紘一さんは最後に判断を間違えそして政治生命を失いました。
ウイキペディアより
谷垣禎一がつかみ「加藤先生は大将なんだから! 独りで突撃なんてダメですよ! 加藤先生が動く時は俺たちだってついていくんだから!」と懸命に慰留した。
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ここで慰留されずに、突き進むのが良かったのです。
このとき、上手く行かなくても、「加藤紘一氏は政治を変えようとしている」という国民の支持を得たのです。
高杉晋作の事例を知り、参考にすると変わっていたでしょう。
高杉晋作が立ち上がりました。
一人でした。
その時、高杉晋作が作った”奇兵隊”は動きませんでした。
なぜなら、当時騎兵隊は山県有朋が高杉晋作の命を受けて世話係をしています。
山県有朋は”洞ヶ峠”を決め込んだのです。なぜなら、国家のことなど関係なく、自分が可愛いから、自分にとってどうなのかが判断基準でした。
高杉晋作が一人で立ち上がったので、潰される、そして自分も潰されると判断したのでした。
ところが、他の多くが高杉晋作に付いて立ち上がりました。
「こりゃいかん! 遅れをとる」と思って、山形有朋は騎兵隊を動かしたのです。
山形有朋のこの風見鶏、慎重さが、長生きに繋がり、明治政府の元老として大きな力を発揮しました。
高杉晋作、坂本龍馬、大村益次郎、西郷隆盛、大久保利通、江藤新平などそうそうたる、明治維新の立役者が早々と亡くなりました。ライバルだった伊藤博文も殺害されました。
そして、山形有朋だけが残ったのです。
長生きするのも権力を握る上では重要なファクターのようです。