(見えない子)学び奪われ20歳 無戸籍、社会復帰へ ひらがな・足し算から http://digital.asahi.com/articles/DA3S11334212.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11334212 より
7年前の夏、埼玉県鳩ケ谷市(現・川口市)の市立教育研究所長だった宮原重則(70)は、研究所の一室に当時21歳の男性を迎えた。
男性は出生後も親が戸籍を作らず、学校に一度も通ったことがなかった。元小学校長の宮原は男性に中卒程度の学力をつけようと、週2~3回のマンツーマン授業を始めたが、のっけから途方に暮れた。
ひらがなや数字は少し書けたが「8」は団子二つ、「6」のなぞり方は逆。足し算引き算は両手指で数えた。宿題を出してもやってこない。問題がわからないと身を硬くしてじっとした。「固まるのが彼の最大の武器だった」。どう教えればいいのかわからなかったという。
男性は20歳まで家族以外に知られることなく生きてきた。存在を知られたのは、自身が犯した事件がきっかけだった。
2006年10月、男性はスーパーでの窃盗などの容疑で逮捕された。警察の調べで住民登録をしていなかったことが判明。同居の母親に照会すると借金があり、債権者に居場所を知られたくないと、出世届も出していなかった。「テレビとゲームだけが友人という生活」(弁護人)を送っていたという。
「家族以外の社会との関わりをほとんど持たないような単調で閉鎖的な生活を繰り返し、生活空間の広がりが見られないまま成長してきた」。07年3月、さいたま地裁は男性の生い立ちを踏まえ、「教育と基本的な生活習慣や社会常識を身につけさせることが急務」と、執行猶予付きの判決を言い渡した。
「まさかの世界、でしたね」。市長だった現さいたま市副市長の木下達則(66)は言う。市は男性の戸籍を作り、自立支援に向けた庁内会議を開いた。小学校の1年生の教室に机を置くことを複数の学校長に打診したが、断られた。やむなく市役所の会議室でお辞儀の仕方や靴のそろえ方から教えたが、専従教師を配置できず、担当は日替わりだった。
見かねた宮原が受け持った。小学1年の教科書から始めて2年の教科書を開き始めた08年3月、契約更新されずに退職。その後、市が男性を支援した目立った形跡はない。当時の市幹部は「川口市との合併(11年10月)準備に追われ、支援チームは自然解消した」と言う。
男性は関東の夜間中学に入学した。市の関係者が世話をしたらしい。
「寡黙だけどわからないところは一生懸命に聞いてきた」「一つのことを飽きずにこつこつできる子だった」。学校関係者の話から浮かぶ彼の姿は、宮原の知る彼とはまるで別人だ。中学レベルの数学もこなした。礼儀正しく、年下の同級生にも丁寧語で話した。当時の作文には学校生活について「楽しい」と繰り返し書かれている。
「集団には相互に刺激し合い、励まし合う力がある」と宮原。「本当は、成長段階で学校に身を置かせてあげたかった」
男性は夜間中学で3年間学び、卒業。周囲に「自立したい」と話していたが、アパート2階で母親と暮らす。
【昨年だけで1191人】都市に多い「消えた子供」の実態
http://matome.naver.jp/odai/2133723571192065101
感想;
消えた子どもの中には、遺棄された子どももいます。
学校は就学リストで登校しない子どもがいると確認することになっていますが、その確認も不十分だそうです。
今回のケースは出世届がされていなかったので、消えた子どもではなく、戸籍上存在しない子どもになります。
どちらも親の責任ですが、今回のケースは母親の責任だけでなく、父親の責任がどうだったかが問われるべきではないでしょうか?
それをこういった問題を社会が防ぐ支援の仕組みと取り組みも求められるように思います。
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