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「人間にとって成熟とは」曽野綾子著 野田聖子議員の息子さんの医療費について批評

2014-09-07 00:20:17 | ブログ

「人間にとって成熟とは」 曽野綾子著 より一部抜粋

野田聖子議員の息子さんの医療費について

「権利を使うのは当然」とは考えない のところで、国会議員の野田聖子さんの息真輝ちゃんのケースを取り上げて話をされていました。 

真輝ちゃんは幾つもの障害を持って生まれて来て何回も手術を受けずっと病院暮らしでした。2012年1月、フジテレビのドキュメンタリー番組「私は母になりたかった~野田聖子 愛するわが子との411日~」として放映され話題を呼びました。著者はテレビは見ていませんが、インタビュー記事「婦人公論」に掲載された内容から次のようにコメントしています。

野田氏のインタビューの中に、私にはどうしても違和感が残る言葉があった。「費用ですか?息子を授かる費用は夫が蓄えてきたものの中から出して、生まれてからの医療費は、医療制度に支えられています。高額医療は国が助けてくれるので、みなさん も、もしものときは安心してください。国会議員の子どもだから特別ということでは、まったくないのです」

この野田氏の言葉は、重要な点に全く触れていない。それは、自分の息子が、こん

高額医療を、国民の負担において受けさせて貰っていることに対する、一抹の

申し訳なさ、か、感謝が全くない点である。<中略>野田氏がこのことを、当然の

権利の行使と考え、その医療費を負担している国民への配慮が全く欠けているこ

とであった。

<中略>

しかしその背後に、人間性があるかないかで、印象は非常に変わって来る。私だったら「皆さんがお払いになった健康保険をたくさん使わせていただいて、んとうにどんなに申し訳なく、感謝しているかわかりません。この子が大きくなったら、何らかの道で、きっとご恩返しをするように、よく話して行くつもりです」と言うだろう。長した人間というものは、必ず自分の立場を社会の中で考えているものだ。

<中略>

手をさしのべる方も控え目なら、受ける方も充分に遠慮して受けるのが当時の人情であり礼儀だったのだ。それが人間の権利だから、堂々と受けた方がいい、などという言葉も信条もなかったのだ。

<中略>

言い方は悪いが、夫婦の自然の生活の中でできた子に、こうした欠陥がるのは仕方がない。しかし野田夫妻は、体外受精という非常に計画的なやり方で子供作った。その場合は、いささかご自分の責任において費用の分担もされるののが当然という気がするのだ。

<中略>

野田氏のように権利を使うことは当然という人ばかり増えたから、日本の済は成り立たなくなったのだ。

<中略>

ましてや「野田真輝は野田総理よりはるかに国民に貢献していると、母は誇りに思う」なとという言葉は、野田氏が根本的に、人間のあるべき謙虚な視点を失っていて、人間の権利でしか見ない人だということを示している。初の女性総理候補どころか、この部分を読んで野田氏の人間性に失望したという人が、私の周囲には稀ではない。

感想

曽野綾子さんの指摘をまとめると、以下の3点になるように思いました。

1)野田聖子さんは息子の高額医療制度の恩恵を受けているのだから、インタビューを受けた時には、「申し訳ない気持ちと、健康保険を収めている国民に感謝の気持ちを表すべきである」との指摘。

2)夫婦の自然の生活の中でできた子でなく、体外受精という非常に計画的なやり方で作った子どもなので、医療費の費用の分担をするのが当然だとの指的。

3)「野田氏が根本的に、人間のあるべき謙虚な視点を失っていて、人間の権利でしか見ない人だということを示している」と野田氏の人間性に問題があるとの指摘。 

これを読んで思ったのは、インタビュー記事は野田聖子さんの気持ちを全て記載したものでなく、質問されたことの範囲だということです。その範囲で、野田聖子さんが感謝の気持ちがないと決めつけているのは、正しい判断ではないように感じました。記事に毎回感謝の気持ちを表さないといけないとするとそれは、制度の恩恵を受けている人は常にそれを示さないといけないことになります。例えば、生活保護を受けている人は、生活保護を受けていることに対する感謝の気持ちを何かインタビューされたらそれを必ず言わなければならないのと同じような指摘のように感じました。

2つ目の指摘は、体外受精の人は、健康保険の対象ではなく、自己負担をすべきだとのことです。国が体外受精で生まれた子どもに対して健康保険の対処に含めていることに対して反対なのでしょうか?それであれば、野田聖子さんへの指摘ではなく、国の制度に対する指摘になるのではないでしょうか?  

3つ目については、野田聖子さんのこのことで以て、「人間のあるべき謙虚な視点を失って」まで言い切るのはあまりにも言い過ぎのように感じました。さらに、曽野綾子さん一人思ったとすると弱いと思われたのか、「野田氏の人間性に失望したという人が、私の周囲には稀ではない」と他にもいるから、私の感想は正しいと言いたいようです。稀ではないとはどの程度なのか、それ以外の人は失望されていないのか、曖昧でわかりません。

曽野綾子さんは入手された情報だけから、自分の解釈を展開され、野田聖子さんの人間性にまで言及されているのは、正しく判断するにはあまりにも根拠の情報が少ないように思いました。また、制度に対する批判を野田聖子さんに向けられているようにも感じました。  

野田聖子さんが子供さんに愛情を込めて一生懸命一緒に過ごしている生き方に対する温かさが、曽野綾子さんの視点には無いように感じてしまいました。曽野綾子さんはカソリックのクリスチャンですが、私の理解しているクリスチャンのイメージとは異なりました。

ご参考まで 

2011年高齢出産野田聖子(50)・体外受精帝王出産・真輝まさき(長男)の闘病http://blog.goo.ne.jp/uhb123/e/c19678692234b420b82f4c6888501485

ある日のこと、ここに座っている、と思っていた息子が、ちょっと目を離したら別の場所に座っていたのです。あれ?私(聖子)もモウロクしたかな?と思っていたら、突然、私の目の前で息子がひょこひょこと動き始めたではありませんか! 

■おしりと、■左手左脚を使って、お尻歩きを始めたのです。 誰が教えたのでもありません。息子が自分の力で動き始めたのです。それからはもう大変、日々あちこちにくるくると動き回っています。移動するということを覚えた息子は好奇心のかたまり。ごみ箱をあさったり、コンセントを抜いたり...。この間は動きすぎて階段から落ち、大泣きです。それから、声を出すことも覚えたのです。 切開しているのどのカニューレの管に指をあてて、「あー」と言えるようになりました。 泣く時も、管をおさえて声を出して泣いています。 親ってよくばりで、一つできたらこれもあれも......、と思ってしまいがち。でも、私は決して焦っていません。ゆっくりの成長で良いと思っています。彼(真輝)はほかの子供たちよりも、数倍スローな成長です。でも、逆にいえば、それだけ長い間、彼(真輝)が成長していくのを楽しめるともいえます。

 

最近では、保育園にも通い始めました。 

■重度の障害児のクラスに、呼吸器や酸素、吸引器などを持参して通っています。

 「人間にとって成熟とは」 曽野綾子著 の項目

 ・正しいことだけをして生きることはできない

・「努力でも解決できないことがある」と知る

・「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする

・身内を大切にし続けることができるか

・他愛のない会話に幸せはひそんでいる

・「権利を使うのは当然」とは考えない

・品がある人に共通すること

・「問題だらけなのが人生」とわきまえる

・「自分さえよければいい」という思いが未熟な大人を作る

・辛くて頑張れない時は誰にでもある

・沈黙と会話を使い分ける

・「うまみのある大人」は敵を作らない

・存在感をはっきりさせるために服を着る

・自分を見失わずにいるためには

・他人を理解することはできない

・甘やかされて得することは何もない

・人はどのように自分の人生を決めるのか

・不純な人間の本質を理解する

 

 


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