幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「天才とは努力を続けられる人のことでありそれには方法論がある」 山口真由著 学ぶことによって才能は開

2014-08-26 00:06:14 | ブログ

 天才とは努力を続けられる人のことでありそれには方法論がある 山口真由著 

 東大3年の時に司法試験合格、4年の時に国家公務員上級合格、東大法学部首席卒業。全科目「優」。これだけを聞くと素晴らしい才能に恵まれていると思いますが、そのための努力を続けている人です。

司法試験の口述試験前は2週間は、睡眠時間3時間、食事の時間は20分×3回、お風呂の時間20分、母と10分/1日電話で話、残りの10時間30分を全て勉強につぎ込んだそうです。

 司法試験に受かる為に、友達からの誘いをほとんど断ったそうです。3回誘われたら参加するとのルールを決めて参加しました。これにより参加することが大幅に減りました。

東大には「優」1/3ルール(受講者の1/3は優を付ける)があり、トップになるのではなく、1/3に入ることを目標にしたそうです。 

 正しい努力のための方法論 9 

 ・東大ですら努力が不必要な天才はいない

 ・不得意分野の努力は止めるべき(得意分野を伸ばす)

 ・ちょっとずつ努力を積み重ねることで道は開ける

 ・4分野「読む」 「聞く」 「書く」 「話す」の内、得意な分野を伸ばす。

  著者は「読む」のが得意だった。早く読め、記憶できたそうです。

 ・努力の対象に勉強を選ぶのは合理的

  スポーツや芸術の分野で生きて行くのはごくごく一部だが、勉強の努力はそれ がゼロになることはなく、努力の積み重ねに応じて道が開いている。

  ・完璧主義は自分を苦しめることがある

  ・人生を成功に導くには上位1/3を目指すべし

努力を始めるための方法論 11 

 ・ひとつの大きな成功よりたくさんの小さな成功

 ・毎日に小テストを仕掛けよう(自分の成長がわかるように)

 ・読書は1回精読するより7回素通しで読むべし

 ・「できない」と感じる新しい環境に飛び込もう!

 ・読書は理解するよりページをめくるのが重要

 ・楽なもの8割、努力が必要なもの2割が黄金比

 ・努力を注ぎ込む優先順位を決めておく

 努力を続けるための方法論 8 

 ・努力は継続させなければ意味がない

 ・外圧をうまく取り入れてスケジュール管理を(自分の計画を公開する)

 ・自分との戦いよりライバルとの戦いを

 ・努力の対象はひとつに絞る

 ・陰の努力より、陽の当たる努力を(同じ努力するなら評価される努力を)

 ・努力するのは客観的評価があるものを(どこまで成長したかがわかる)

 努力を完遂するための方法論 9 

 ・とりあえず早起きする(タイムリミットのある朝に努力する)

 ・「勝負スポット」を複数作る(場所が変わると気持ちも変わる)

 ・挑戦することから逃げない(失敗しても次の機会に備えて努力すること)

 ・思い描くべき「理想像」は明日の自分

 ・目が疲れてきたら、今度は耳を使う作業を

 ・ひとつを使い続けて、減らし続け、努力の「見える化」を図る

 ・毎晩1分間同じことをやる

 

 ご両親は医者、妹も医者の家庭で、家庭≧仕事≧彼の順番で家庭を大切にしているとのことです。

小さい時に絵本をお母さんにたくさん、何度も読んでもらい、 妹に絵本のお話をする時、絵が出て来るまで本を逆さまにして読んでいたとのエピソードが残っています。お話を覚えていたのでしょう。

諸葛孔明が子孫に残した言葉に、「学ぶことによって才能は開花する」があります。山口真由さんはまさに学ぶことを努力をいっぱいされて今があるのだと思いました。

 

 

 


橋本聖子代議士が高橋大輔選手にキスを強要? パワハラ & セクハラ

2014-08-25 00:47:00 | ブログ

フィギュアスケート男子の高橋大輔選手(28)=関大大学院=が21日、大きな話題となっている「キス騒動」について初めて口を開いた。 

 http://www.akb48matomemory.com/archives/1008001319.html

前日に発売された「週刊文春」によると、日本オリンピック委員会(JOC)の選手強化本部長を務める橋本聖子参院議員(49)が、ソチ五輪閉会式後の選手村での打ち上げ時にフィギュアスケート男子の高橋にキスを強要したという。

“渦中の人”となった高橋はこの日、横浜市内で翌日から開かれるアイスショー「フレンズ・オン・アイス」の公開リハーサルに参加。騒動の動揺を感じさせない華麗なスケーティングを披露し、集まったファンを魅了していた。

同日中の会見終了後に、
騒動について口を開いた高橋は「私事でファンの人たちにも変な迷惑をかけて大変もうしわけなく思っています。五輪に向かう緊張感の中で禁酒をしていたこともあり、打ち上げのところでお酒が入ってはしゃぎすぎた。もう少し考えて行動しないといけないなと思いました。ただ、僕自身もパワハラ、セクハラがあったとは一切思わない。大人と大人がちょっとハメを外しすぎたのかなと思います。すみませんでした」と話した。

キス問題の橋本聖子氏 公式HPダウン…批判「真摯に受け止める」

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6127996

 日本オリンピック委員会(JOC)選手強化本部長で日本スケート連盟会長の橋本聖子参院議員(49)がフィギュアスケート男子の高橋大輔選手(28)にキスを強要したと報じられた問題で、21日、橋本議員の公式ホームページ(HP)がダウンしたことが分かった。また、公式フェイスブック(FB)には議員辞職や会長職辞任を求める批判の声が寄せられていることに対し、橋本氏は同日「真摯に受け止めて反省しております」とコメントした。

セクハラ女王、橋本聖子 小林よしのりブログ

http://yoshinori-kobayashi.com/5585/

橋本聖子が高橋大輔に無理チューをしていたという。

何度も何度も無理にチューしていたという。

これをワイドショーでは、なんとなく笑いながら話しているが、
それは女が男に行ったセクハラだからである。

おっさんの国会議員が、例えば森元総理が、
浅田真央ちゃんに、無理チューしていたら、どうなったか?

大問題になって、ネットでも叩かれまくって、
もちろん要職は解かれ、国民から半殺しにされかねない。

女のセクハラは何となく笑い話になって、そこまで非難されない。

こういう女の甘えが、都議会での女性蔑視ヤジを蔓延らせるのだ。

しかし、女も権力に酔いしれるようになったら、男性化する。

オヤジ化してしまい、セクハラでも、パワハラでも、
無礼講で何でもやってしまうのである。

橋本聖子や、櫻井よしこや、自称保守系の女を見ていると、やっぱり「準男性」だなと思うのだが、これは偏見ではなかった。

橋本聖子がそれを証明してくれた。

権力に近づくか、権力を得てしまうと、女は男になり、
男女平等が達成される。

やっぱり、どこかで男と女の差異があった方が、
世の中は麗しいと、わしは思うのである。

感想;

橋本代議士は、スケートのオリンピック強化本部長兼任でスケート連盟会長です。

スケートを会社とすると高橋選手は優秀社員で、橋本代議士は社長です。

写真では、口にキスをしていました。高橋選手も最初は拒否していたのが仕方なく受け入れたとのことです。

二人の間に権力関係があるとパワハラです。それが性に関することであればセクハラにもなります。

高橋選手はこれからスケート協会でいろいろな役職を得て行くと思います。それに大きな力を持っているのが橋本代議士です。

小林よしのりさんがブログで、これが森元首相が浅田真央選手にキスを強要したらどうだったかとコメントしています。

高橋選手は今後のことを考えると、そのようなコメントをするのが大人の対応だったのでしょう。あるいは、誰かからそう言って欲しいと言われたのではないかと勘繰ってしまいます。

JOC会長は、この件はこれ以上問題としないとのコメントがあったそうです。スポーツ界とはパワハラもセクハラにもきちんとされないのでしょうか? 柔道でも似たようなケースがあり、それは裁判になりました。柔道では訴えた。高橋選手がパワハラ、セクハラとは思わないと発言したことがパワハラ、セクハラの問題をうやむやにしてしまったのかもしれません。

会社で、社長を訴えることはその会社で将来出世も難しいでしょうし、また冷遇されてしまう可能性もあります。最初から出世を考えない人は訴える(無理やりで仕方がなかったと言う)かもしれません。

パワハラ、セクハラは大きな問題です。行った人はきちんとした責任を取られることが、今後のその方の将来にも繋がるように思いました。また、その人の上司になる人はきちんとした対応を執ることが、その組織の健全性を示すのではないでしょうか。


ノマド族の人の観察 それぞれの人が精一杯生きて

2014-08-24 02:47:43 | ブログ

ノマド族のノマドとは遊牧民族との言葉で、それから、カフェなど場所を選ばずにどこでも仕事をする人のことをノマド族と呼ぶそうです。ホリエモンがノマド族をやっているとのネットニュースがあり、知名度が上がりました。

大宮駅東口のマックから駅のローターで人々の往来を見ることができます。タクシーの待機場所にもなっています。好きな場所の一つです。

案内/PR看板(HIS、コンタクトレンズ、まんが&ネットカフェ等を掲げている人が5人、ポケットティッシュを配っている人が3人、うちわを配っている人が1人、チラシを配っている人が2人、ものみの塔の人が普及活動に、待ち合わせの人が何人か、バスを待っている人の行列と様々な人がいます。自転車の不法駐輪を取り締まる人もずっと立っています。

よしもとが大宮に劇場を作ったのでそのチラシを配っています。チラシを配っている人も芸人の卵なのでしょうか?高校生と母親らしいカップルがチラシ配っている人と楽しげに話をしています。そして高校生とチラシ配っている人と一緒のところを母親が写真を撮っています。その後も高校生らしい女性がよしもとのちらしを配っている人たちと楽しそうに話をしています。

ポケットティッシュを貰う人貰わない人。私だったら貰うのになと思いながら見ています。ものみの塔の人も1時間の間に3人が交代されていました。よく見かけるのは2人が立っていますが、お一人です。他の方は近くの木陰で待機されています。1時間、誰も話しかけて来られませんでした。お昼すぎると、最初の3人が次の3人と交代しました。どちあも男性1一人と女性二人組です。誰かが路上に煙草を投げ捨てしていました。ものみの塔の人がその火が点いた煙草にお茶をかけて火を消し、ポリ袋に入れて拾われました。その宗教がどう言う宗教家は、社会に対する行動、信者の行動を見ればわかると思います。いくら良いことを言っても行動していることに良さがなく悪さがあるならその宗教は問題があるのではないでしょうか。

行動することは仲間がいる場合が多いです。その仲間との繋がりが楽しみの場にもなっているのでしょう。前にボランティアグループで使用済み切手を剥がして切手を売り、それを寄付しているグループがありました。作業は単純で使用済み切手を水に付けて剥がし、乾かし、同じ切手ごとにまとめる作業でした。何が楽しいかと尋ねると、単純作業をしながら和気あいあいとお話することが楽しいとのことでした。何かを一緒にするために集まることはその何かをする目的だけでなく、一緒の仲間と過ごす時間が大切な時間のようです。

人を見ていて思うのは、それぞれに家族がいるんだろうな。皆精一杯生きているのだろうな。その中で、大切な時間をそれに費やしているのだろうと。

さあ、私も時間を大切にしなければ。


「どんなにつらくても 生きていて欲しい」 遺された人の思い

2014-08-23 04:00:29 | ブログ

どんなにつらくても 生きていて欲しい
 和智 凪子:和智法律事務所・弁護士(福岡いのちの電話後援会理事)

http://www16.ocn.ne.jp/~f-inochi/kaiho/index.html 福岡いのちの電話の会報誌より


         

父が亡くなったとき,「取り返しがつかない。」とはこのことだと実感しました。死なれてしまうとどうしようもないということがよく分かりました。病気で老齢であって,父の死は全く予期しないことではないし,親が自分より早く亡くなることは自然の摂理でもです。
 それが,我が子であったら・・・それは,考えることすら,耐えられません。
 私の身近に若くして自ら死を選んだ人がいます。その時の衝撃は今でも心に残っています。今,思い出しても涙が出そうです。最後に彼と会ったのは,裁判所の裏門の手前にある満開の桜の木の下でした。私は彼が悩みを抱えていることなど全く気がつかず,気楽に声を掛け,いつものようにちょっと立ち話をして別れました。その後,ひと月かふた月後に彼は亡くなりました。何故,彼が死を選んだのか,誰にも分かりませんでした。若い彼には輝かしい未来があると周りの誰もが信じていました。仕事もでき,優秀で,スポーツマンで,誰からも好かれ・・・彼のことを悪く言う人は誰もいませんでした。
 私は後悔しました。私に何かできることがあったのではないかと彼との過去を振り返り自問自答しました。でも,もう取り返しがつきません。亡くなられたらどうしようもないのです。
 私でさえ,彼の突然の死は未だに何故?と思います。数年が経ちましたが,まだ悲しいです。彼にはお母様が残されました。お母様の苦しみや悲しみは想像を絶するものだと思います。同じ子どもを持つ親として,言葉もありません。何もできません。やはり私は人の死については全く無力です。生きていてほしかったと思うばかりです。

感想

死を選びたいと思う人の中には、今がとても苦しくて苦しくて、この苦しみから何とか逃げ出したいとの思いがいっぱいの方がおられます。

自分が亡くなると、家族など遺された人には”ごめんなさい”との思いがありますが、あまりにも自分の今の状況が苦しくて、遺される人のことよりも自分の苦しみを何とかしたいと思ってしまいます。

一方、苦しくても、遺される人の悲しみを思い、踏みとどまり苦しみと戦っている人もいます。

苦しい気持ちを吐き出す場、吐きだせる人が身近にいて欲しいと願います。


「傷ついた支援者」 精神科医も気力を失う時

2014-08-22 01:49:26 | ブログ

傷 つ い た 支 援 者
         http://www16.ocn.ne.jp/~f-inochi/kaiho/index.html

(福岡いのちの電話広報誌より)

田村 毅:精神科医 田村毅研究室
               東京いのちの電話顧問

         私は4年前、心臓を持病に持つ妻を突然心筋梗塞で亡くした。
何度も同じ夢を見た。妻が生き返り再会の喜びに泣き、夢から目覚めて現実に戻ってまた泣いた。気持ちがどうしようもなく夜に友人たちに電話しまくった。いのちの電話は利用しなかった。今から思えば利用すれば良かったと思う。お葬式には妻の学生時代の親友が福岡から駆けつけ弔辞を読んでくれた。若い頃は夫婦単位でよく交流した仲だった。3ヶ月ほど経ち会葬御礼を兼ね福岡まで日帰りで訪ねた。太宰府を案内してもらい、並んで歩いているとふと妻と歩いているような錯覚に陥った。たくさん泣かせてもらった。
 自分や小中学生の3人の子どもたちが「うつ」になることが不安だった。不眠や食欲不信、仕事をする気力を失ったり、厭世的になったりしたら仲間に薬を処方してもらおうと思った。幸い、私にも子どもたちにもそのような症状は出現しなかった。
 専門家にも相談した。カウンセラーをやっている私がクライエントとなり、定期的にカウンセリングを受けた。それは4年経った今でも継続している。
 私はこの4年間で何かが大きく変わったように思う。一体何が変わったんだろう?
 第一に住む世界が小さくなった。以前は生き甲斐を社会という大きな枠組みの中に位置づけていた。大学教授や医師という社会的役割を担い、授業や診療やメディアを通してより多くの人々に自分の存在を知らしめたいと思った。それが妻の死後は家族や友人、臨床で出会う患者さんなど、より近い関係性を求めるようになった。大学教授を辞めて精神科を開業したのもそういう理由からだった。
 第二に、他人の苦しみや痛みを深く実感できるようになった。やっとユングのいう「傷ついた支援者 (wounded healer)」になれた。自分で痛みを体験していないと、他者の痛みを想像や理屈で理解するしかない。今までは人の痛みを上っ面しかわかっていなかったんだなとつくづく思う。
 第三に、痛みを修復し乗り越える体験を得た。自分をわかってくれる相手、気持ちを受け止めてくれる相手の存在によってどれほど救われたことか。子どもたちは生きがいを作ってくれた。青年期以降、親との関係は自分の中で既に「済んだ」関係と思っていた。今回、私を見守ってくれる老親の存在がとても心強かった。

感想

大きな悲しみに出遭うと人は気力を失います。それは精神科医でも変わらないのだと知りました。

人に話をする、聴いて貰う。自分をわかってくれる人がいることは大きな支えなのでしょう。

何より大切なことは、生きがいを持てることがあることなのだと思います。その時にその状況で、生きがいを何か見出すことができるか。生きがいを見出した人は状況が厳しくても生きて行こうとされるのでしょう。