今も記憶に残る 「まんが日本昔ばなし」のナレーター。
21歳 俳優座に入門。俳優座で活躍。その後TVに出演し2時間ドラマがヒット。
ドラマ「家政婦は見た」25年続いた。
記憶に残る曲は、庄司太郎「旅傘道中」。
疎開中の生活を思い出す曲。ラジオだけが文化に触れる娯楽。
この歌を子分3人座らせて、歌っていた。木登りやいろいろな遊びが得意だった。
おてんばな少女だった。中学で演劇クラブに入った。指導の先生が気に入ったので惹かれた。
演劇は演じるだけでなくそれぞれが得意を生かして絵を画く、裁縫する、スタッフの仕事もあり、皆とやることが楽しかった。高校も演劇クラブに入った。
銀行に就職が決まった。家が千葉だったが、東京に行きたいと思っていたら希望通り東京の支店に決まった。ところがそれが不安になって、仕事ができるだろうかと思い詰めるようになった。
それで演劇の先輩に「演劇のお仕事はあるのですか?」と尋ねたら、俳優座を紹介してくれた。それで試験を受けた。25倍だった。演劇が好きな人がたくさん試験を受けに集まっていた。どぎついし、きれな人が多かった。 これは負けると思った。ピアノのリズムに合わせて踊った。その時に受かったと思った。踊っている時に審査員が南瓜に見えた。自由に踊れた。
3年間 9時~17時通った。 仲代達也 小澤正二など大先輩に囲まれて演劇を学ぶことができた。
森雅之さんの言葉をかけられた。「明日舞台稽古だから来なさい」。行ったらら「どこの生まれ?」と尋ねられた。「千葉です」と答えたら、「千葉の顔だね」と言われた。顔に劣等感を持っていた娘だったので傷ついた。二十歳の時に憧れの人に。でもぜんぜん恨んでいない。ただ傷ついただけ。
俳優座を辞めたのは?「マンネリが苦しかったから。違う人と仕事をしたかった。」
「“家政婦は見た”はマンネリ化しなかったのですか?」 「監督などと話し合った」。お客さんが待っているとマンネリはあるが。25年やっているとだんだん掃除が大変に思うようになった。大邸宅は階段が多くて。
“まんが日本昔ばなし”は6割は大人が見ていた。20年続いた。「皆が居眠りするようにやらない?テンポを遅くしない?」と提案した。当時はテンポが速くなっていた。雨のしずくが肌に落ちらたそれを感じるような、いい五感に伝わるものを大事にした。
朗読「月見草の嫁」松谷みよ子さ
「朗読のコツは?」 「この作品だと良い子だな。花は折らない方がよいななど、物語にほれ込むようにしている」。
「雨にも負けず風にも負けず」の朗読コンサートを予定している。
ご主人が亡くなって1年経った。性格が違っていたので、助けられた。亡くなってから感謝がさらに深まっている。
自分は欲しいものを欲しいという性格だった。夫が“わがまま”を直してくれた。
テニスやマラソンを見るのが好き。錦織選手非凡。松岡修造さんのちょっと後に才能を見つけた。笑
東京マラソンを応援に行った。谷口選手に声をかけた。
コンドル&ガーファンクル「コンドルは飛んで行く」 自由な気持ちになれる曲。
これからやりたいことは?小気味のよいおばあさん 山姥 怖くて優しい。現代山姥やろうかな?
「月見草の嫁」
むかし、ある山の村にひとり者の若い馬子(まご)が暮らしておったそうな。
馬子は、いつも朝早ように起きて山に行き、馬に喰わせる馬草(まぐさ)を刈る。
草を刈りながら歌う馬子唄は、ほれぼれするほどいい声だったと。
そうやって刈った草を馬に喰わせてから、お客を乗せたり、荷を運んだりして暮しておった。
ある晩のこと、
馬子が一日の仕事を終えて家でひと休みしていると、戸をホトホトと叩くものがあった。
「はて、こんな山家(やまが)に今頃だれだろ」
戸を開けると、きれいな、きれいな娘がひとり立っておった。
「今晩ひと晩、どうか泊めて下さい」
「俺らとこは、俺ひとりで、お前を泊めるったって、ろくなまんまもしてやらんねすけ」
「ご飯ぐらい私がします。どうか泊めて下さい」
「ほうか、ほんならまあ、入(はい)られ」
馬子が娘を招じ入れると、娘は、掃除はするし、洗濯はするし、出来た晩ご飯のうまいこと、うまいこと。
「俺ら、明日の朝は早いすけ、おめえの好きな時に出て行っていい」
そう言って馬子は寝たと。
次の朝、馬子は早ように家を出て、夜遅うに戻って来たら、娘がまだ居たと。
「おめえ」
「はい、晩ご飯が出来ています」
というんだと。
その次の日も、そのまた次の日も娘は出て行かないで、まめまめ働くんだと。
馬子は、
「こんなんが俺らの嫁だったら何ぼいいか」
と思うて、娘をじいっと見ていたと。
そしたら娘が、
「あなたはひとりもんで不自由でしょうから、どうか私を嫁にして下さい」
と言うた。
「そうか、ええか、お前がその気なら俺らの嫁になってくれ」
と言うて、その晩から、ふたりは夫婦になったと。
ある朝、馬子は、いつものように歌いながら山の草を刈って来て、馬の前に置いてやったと。
そしたら、その草の中に、きれいな月見草の花が一本混ってあった。
「おう、こらまた、きれいな花だ。知らずに草と一緒に刈ったんだな」
と、手にとって、」
「おおい、かか、かか、きれいな花があったや」
と呼んだけど、返事がないのだと。
「おおい、どこ行った」
あちこち探したら、嫁は、流しの所で朝ご飯を作りかけのまま倒れていたと。
「おっ、どうした。どこかあんばいでも悪いのか」
と、あわてて抱き起こすと、嫁は細い声を出して、
「私は、実は月見草の花の精なのです。毎朝、あなたのいい歌声を聞かせてもらっているうちに、嫁になりたいと思うようになりました。その思いが叶って今日まで幸せでした。思いがけず、今朝あなたに刈られてしまいました。私の命もこれまでです。短い間でしたけれど、優しくして下さってありがとう」
こう言うと、馬子に抱かれた嫁の姿は、だんだんうすくなっていって、やがて消えてしもうたと。
いきがぽうんとさけた。
21歳 俳優座に入門。俳優座で活躍。その後TVに出演し2時間ドラマがヒット。
ドラマ「家政婦は見た」25年続いた。
記憶に残る曲は、庄司太郎「旅傘道中」。
疎開中の生活を思い出す曲。ラジオだけが文化に触れる娯楽。
この歌を子分3人座らせて、歌っていた。木登りやいろいろな遊びが得意だった。
おてんばな少女だった。中学で演劇クラブに入った。指導の先生が気に入ったので惹かれた。
演劇は演じるだけでなくそれぞれが得意を生かして絵を画く、裁縫する、スタッフの仕事もあり、皆とやることが楽しかった。高校も演劇クラブに入った。
銀行に就職が決まった。家が千葉だったが、東京に行きたいと思っていたら希望通り東京の支店に決まった。ところがそれが不安になって、仕事ができるだろうかと思い詰めるようになった。
それで演劇の先輩に「演劇のお仕事はあるのですか?」と尋ねたら、俳優座を紹介してくれた。それで試験を受けた。25倍だった。演劇が好きな人がたくさん試験を受けに集まっていた。どぎついし、きれな人が多かった。 これは負けると思った。ピアノのリズムに合わせて踊った。その時に受かったと思った。踊っている時に審査員が南瓜に見えた。自由に踊れた。
3年間 9時~17時通った。 仲代達也 小澤正二など大先輩に囲まれて演劇を学ぶことができた。
森雅之さんの言葉をかけられた。「明日舞台稽古だから来なさい」。行ったらら「どこの生まれ?」と尋ねられた。「千葉です」と答えたら、「千葉の顔だね」と言われた。顔に劣等感を持っていた娘だったので傷ついた。二十歳の時に憧れの人に。でもぜんぜん恨んでいない。ただ傷ついただけ。
俳優座を辞めたのは?「マンネリが苦しかったから。違う人と仕事をしたかった。」
「“家政婦は見た”はマンネリ化しなかったのですか?」 「監督などと話し合った」。お客さんが待っているとマンネリはあるが。25年やっているとだんだん掃除が大変に思うようになった。大邸宅は階段が多くて。
“まんが日本昔ばなし”は6割は大人が見ていた。20年続いた。「皆が居眠りするようにやらない?テンポを遅くしない?」と提案した。当時はテンポが速くなっていた。雨のしずくが肌に落ちらたそれを感じるような、いい五感に伝わるものを大事にした。
朗読「月見草の嫁」松谷みよ子さ
「朗読のコツは?」 「この作品だと良い子だな。花は折らない方がよいななど、物語にほれ込むようにしている」。
「雨にも負けず風にも負けず」の朗読コンサートを予定している。
ご主人が亡くなって1年経った。性格が違っていたので、助けられた。亡くなってから感謝がさらに深まっている。
自分は欲しいものを欲しいという性格だった。夫が“わがまま”を直してくれた。
テニスやマラソンを見るのが好き。錦織選手非凡。松岡修造さんのちょっと後に才能を見つけた。笑
東京マラソンを応援に行った。谷口選手に声をかけた。
コンドル&ガーファンクル「コンドルは飛んで行く」 自由な気持ちになれる曲。
これからやりたいことは?小気味のよいおばあさん 山姥 怖くて優しい。現代山姥やろうかな?
「月見草の嫁」
むかし、ある山の村にひとり者の若い馬子(まご)が暮らしておったそうな。
馬子は、いつも朝早ように起きて山に行き、馬に喰わせる馬草(まぐさ)を刈る。
草を刈りながら歌う馬子唄は、ほれぼれするほどいい声だったと。
そうやって刈った草を馬に喰わせてから、お客を乗せたり、荷を運んだりして暮しておった。
ある晩のこと、
馬子が一日の仕事を終えて家でひと休みしていると、戸をホトホトと叩くものがあった。
「はて、こんな山家(やまが)に今頃だれだろ」
戸を開けると、きれいな、きれいな娘がひとり立っておった。
「今晩ひと晩、どうか泊めて下さい」
「俺らとこは、俺ひとりで、お前を泊めるったって、ろくなまんまもしてやらんねすけ」
「ご飯ぐらい私がします。どうか泊めて下さい」
「ほうか、ほんならまあ、入(はい)られ」
馬子が娘を招じ入れると、娘は、掃除はするし、洗濯はするし、出来た晩ご飯のうまいこと、うまいこと。
「俺ら、明日の朝は早いすけ、おめえの好きな時に出て行っていい」
そう言って馬子は寝たと。
次の朝、馬子は早ように家を出て、夜遅うに戻って来たら、娘がまだ居たと。
「おめえ」
「はい、晩ご飯が出来ています」
というんだと。
その次の日も、そのまた次の日も娘は出て行かないで、まめまめ働くんだと。
馬子は、
「こんなんが俺らの嫁だったら何ぼいいか」
と思うて、娘をじいっと見ていたと。
そしたら娘が、
「あなたはひとりもんで不自由でしょうから、どうか私を嫁にして下さい」
と言うた。
「そうか、ええか、お前がその気なら俺らの嫁になってくれ」
と言うて、その晩から、ふたりは夫婦になったと。
ある朝、馬子は、いつものように歌いながら山の草を刈って来て、馬の前に置いてやったと。
そしたら、その草の中に、きれいな月見草の花が一本混ってあった。
「おう、こらまた、きれいな花だ。知らずに草と一緒に刈ったんだな」
と、手にとって、」
「おおい、かか、かか、きれいな花があったや」
と呼んだけど、返事がないのだと。
「おおい、どこ行った」
あちこち探したら、嫁は、流しの所で朝ご飯を作りかけのまま倒れていたと。
「おっ、どうした。どこかあんばいでも悪いのか」
と、あわてて抱き起こすと、嫁は細い声を出して、
「私は、実は月見草の花の精なのです。毎朝、あなたのいい歌声を聞かせてもらっているうちに、嫁になりたいと思うようになりました。その思いが叶って今日まで幸せでした。思いがけず、今朝あなたに刈られてしまいました。私の命もこれまでです。短い間でしたけれど、優しくして下さってありがとう」
こう言うと、馬子に抱かれた嫁の姿は、だんだんうすくなっていって、やがて消えてしもうたと。
いきがぽうんとさけた。