6月7日(土)大宮ソニック大ホールで、1,800人を迎えてクミコチャリティコンサートが開催されました。
公募したクミコと一緒に歌う市民合唱団約200人と一緒に、「先生のオルガン」「広い河の岸辺」がケーナ奏者 やぎりんさんを招いての合唱もありました。
クミコさんのブログに、当日の朝と終了後の感想がありましたので紹介します。
クミコさんのブログより
http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12036394195.html
コンサート当日の朝;2015-06-07 09:17:32
河はやっぱり広く長い
ずいぶん前のこと。
その頃ご一緒していたピアニスト氏が言った。
「聞いていて涙がでてきちゃった」
ある日、彼のもとに電話があったという。
相手はシャンソン歌手の女性。
怒りをぶつけてくる。
クレームというような、かなり理不尽な内容だったらしい。
それをじっと聞いているうち、涙がでてきたのだという。
それは、怒りでも口惜しさでもない。
「なんだかかわいそうになっちゃって」
憎むべきは、彼女をそんなふうにさせてしまった神経過敏症ともいえる病気。
優しい人だなあ。と思った。
言い返すんじゃなく、ただ、涙をためてじっと聞いている、その姿が浮かんだ。
人を憎まず、病を憎む。
そんなことを、昨日思い出した。
実家から帰ってきたのに、実家からの電話が鳴った。
父親からだった。
被害妄想ともいえる、その内容に、初めはなんとか説明をしようとしたが。
あきらめた。
どんどんと言い募ってくる、その声の嵐の前で、それこそ嵐の中に立つように茫然とした。
そして、あのピアニスト氏のことを思い出した。
こんな気持ちだったんだな、きっと。
年をとったことは病ではないけど、自身を苦しませるものは、もはや病のようでもある。
「聞いてる?」
私が何もいわずにいるので、父親がそう尋ねる。
「聞いてるよ」
まるで闇の中にいるような気持ちの中、答えた。
そして。
「大丈夫だよ、もうわかったから」
ゆっくり言う。
「大丈夫。大丈夫」
電話を切ると、耳の奥がつーんとした。
これからどうなるんだろう。
そう考えると、アタマもつーんとしてくる。
まあ、なるようになるんだな。
そうだ。
そう思うことにした。
さて。
今日はこれから大宮です。
いのちの電話のチャリティーコンサート。
ソニックは今年一月のオーケストラ共演以来。
八木さん、そして210名の合唱団のかたがたと「広い河の岸辺」を唄います。
ほんと、河は広い。
コンサート終了後;2015-06-08 10:10:51
大宮の生き合うためのコンサート
大宮ソニックでの「埼玉いのちの電話」コンサート終わる。
あのデカい客席をなんとか満席にしようと、スタッフの方々はがんばってくださった。
でも、なにせデカい。
今の私では、とうてい満席など無理だ。
かといって、これからの私なら可能かどうか、まったくわからない。
スミマセン。と頭を下げられると、申し訳なくなる。
こちらこそスミマセン。
てなことではあったけど。
コンサートは無事に終了した。
いやいや、二回も唄い直して、それが無事かどうか。
ううむ。
プロがこんなこといっていいのかどうかわからないけど。
今回は、体調がひどく悪く。
だから、それを無理ににカバーするのではなく、寄り添っていこうと決めた。
本番の幕が開いたとき決めた。
言葉に寄り添う。音に寄り添う。人に寄り添う。
そして、自分に寄り添う。
こういう時、ソロで唄っててよかったなあと思う。
これが、ミュージカルだったり、コーラスグループだったら、みんなに迷惑をかける。
ここで、強く来るはずが弱い、とか、無いはずのところを唄うとか。
一期一会の歌。
良い時も、悪い時も。
最後に「唄っていいなあ」「生きてるって大変だけど、やっぱりいいなあ」
なんていう気持ちを持ち帰ってもらうこと、それが私の役目。
私自身も、そういう気持ちが最後に残るよう舞台に立っていたい。
家に帰って、野菜スープの残りにラーメンを半分入れた。
そこに豆腐まで入れた。
イヌ飯に見える。
ううむ。
ここでお礼を。
いのちの電話の皆さま、ありがとうございました。
また何かお力添えできることがあればぜひ。
ご一緒に合唱してくださった、市民合唱団の皆さま。
すばらしい合唱でした。
生きてて良かったという合唱でした。
埼玉合唱団の皆さまとは、今週末にまたご一緒です。
うれしいなあ。
そして、お越しくださった皆さま。
ほんとうにありがとうございました。
生き合う。
そんな言葉がふさわしいコンサートでした。
みんなで支え合い、生き合う。
またいずれどこかで必ず。
公募したクミコと一緒に歌う市民合唱団約200人と一緒に、「先生のオルガン」「広い河の岸辺」がケーナ奏者 やぎりんさんを招いての合唱もありました。
クミコさんのブログに、当日の朝と終了後の感想がありましたので紹介します。
クミコさんのブログより
http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12036394195.html
コンサート当日の朝;2015-06-07 09:17:32
河はやっぱり広く長い
ずいぶん前のこと。
その頃ご一緒していたピアニスト氏が言った。
「聞いていて涙がでてきちゃった」
ある日、彼のもとに電話があったという。
相手はシャンソン歌手の女性。
怒りをぶつけてくる。
クレームというような、かなり理不尽な内容だったらしい。
それをじっと聞いているうち、涙がでてきたのだという。
それは、怒りでも口惜しさでもない。
「なんだかかわいそうになっちゃって」
憎むべきは、彼女をそんなふうにさせてしまった神経過敏症ともいえる病気。
優しい人だなあ。と思った。
言い返すんじゃなく、ただ、涙をためてじっと聞いている、その姿が浮かんだ。
人を憎まず、病を憎む。
そんなことを、昨日思い出した。
実家から帰ってきたのに、実家からの電話が鳴った。
父親からだった。
被害妄想ともいえる、その内容に、初めはなんとか説明をしようとしたが。
あきらめた。
どんどんと言い募ってくる、その声の嵐の前で、それこそ嵐の中に立つように茫然とした。
そして、あのピアニスト氏のことを思い出した。
こんな気持ちだったんだな、きっと。
年をとったことは病ではないけど、自身を苦しませるものは、もはや病のようでもある。
「聞いてる?」
私が何もいわずにいるので、父親がそう尋ねる。
「聞いてるよ」
まるで闇の中にいるような気持ちの中、答えた。
そして。
「大丈夫だよ、もうわかったから」
ゆっくり言う。
「大丈夫。大丈夫」
電話を切ると、耳の奥がつーんとした。
これからどうなるんだろう。
そう考えると、アタマもつーんとしてくる。
まあ、なるようになるんだな。
そうだ。
そう思うことにした。
さて。
今日はこれから大宮です。
いのちの電話のチャリティーコンサート。
ソニックは今年一月のオーケストラ共演以来。
八木さん、そして210名の合唱団のかたがたと「広い河の岸辺」を唄います。
ほんと、河は広い。
コンサート終了後;2015-06-08 10:10:51
大宮の生き合うためのコンサート
大宮ソニックでの「埼玉いのちの電話」コンサート終わる。
あのデカい客席をなんとか満席にしようと、スタッフの方々はがんばってくださった。
でも、なにせデカい。
今の私では、とうてい満席など無理だ。
かといって、これからの私なら可能かどうか、まったくわからない。
スミマセン。と頭を下げられると、申し訳なくなる。
こちらこそスミマセン。
てなことではあったけど。
コンサートは無事に終了した。
いやいや、二回も唄い直して、それが無事かどうか。
ううむ。
プロがこんなこといっていいのかどうかわからないけど。
今回は、体調がひどく悪く。
だから、それを無理ににカバーするのではなく、寄り添っていこうと決めた。
本番の幕が開いたとき決めた。
言葉に寄り添う。音に寄り添う。人に寄り添う。
そして、自分に寄り添う。
こういう時、ソロで唄っててよかったなあと思う。
これが、ミュージカルだったり、コーラスグループだったら、みんなに迷惑をかける。
ここで、強く来るはずが弱い、とか、無いはずのところを唄うとか。
一期一会の歌。
良い時も、悪い時も。
最後に「唄っていいなあ」「生きてるって大変だけど、やっぱりいいなあ」
なんていう気持ちを持ち帰ってもらうこと、それが私の役目。
私自身も、そういう気持ちが最後に残るよう舞台に立っていたい。
家に帰って、野菜スープの残りにラーメンを半分入れた。
そこに豆腐まで入れた。
イヌ飯に見える。
ううむ。
ここでお礼を。
いのちの電話の皆さま、ありがとうございました。
また何かお力添えできることがあればぜひ。
ご一緒に合唱してくださった、市民合唱団の皆さま。
すばらしい合唱でした。
生きてて良かったという合唱でした。
埼玉合唱団の皆さまとは、今週末にまたご一緒です。
うれしいなあ。
そして、お越しくださった皆さま。
ほんとうにありがとうございました。
生き合う。
そんな言葉がふさわしいコンサートでした。
みんなで支え合い、生き合う。
またいずれどこかで必ず。