幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「その朝、おんなの何かが変わる 30歳のバースディ」高市早苗著 ”政経塾で鍛えられた、チャレンジブルな方、でも寂しがりやさん”

2024-10-25 15:40:48 | 本の紹介
・恋がうまくいかない場合は最悪。「誰にも愛してもらえない私は、人間的な魅力に欠けるのかしら」なんて考え始めたが最後、仕事に生きる人間としても、ひとりの女性としても中途半端な自分に嫌気がさしてしまうのが、三十歳前後の落とし穴かもしれない。客観的に見ると、仕事も成功しているし、羨ましい程美しい女性なのに、好きな男性ひとりに認めてもらえなかったことで自分の全存在を否定されたような落ち込み方をして、最悪の場合、自殺を計るといったケースを耳にしては、やり切れなく哀しい気分になってしまう。
 いずれにしても、女性が恋人の口から聞き出したがる「愛してるヨ」のひと言は、自信を持って生きる為の精神安定剤なんだと思う。

・「とうとう家を出られる。親から離れられる」
大学進学を考えなければならなくなったとき、まっさきに私はこう思った。
 私の母はけっこう厳しい人で、中学、高校時代は目をかすめて遊びに行くようなことばかりしていた。

・出てきたのは、私の日記帳。「×月×日、彼と朝まで一緒にいた」などと、日々のスケジュールがありのままに書いてある。・・・(両親に見つかる) 
 こうしてまたまた、(下宿暮らしから)往復六時間通学の生活が(再び)始まった。

・女子寮の住人は、ほとんどが教育学部の学生、神戸大学の教育学部には、もうひとつワーストワンの汚名があって、教員試験合格率で連続して何年も全国最下位、とうとう1991年に教育学部は廃止となってしまった。
 勉強はしないわ、男遊びはするわ、教員試験は受からないわでワーストワンに輝いたというのに、そうとは知らない母と私は、女子寮なんだからマジメにお互いに切磋琢磨して勉強に励む者と思い込んでいた。

・(公務員試験の他に)何か滑り止めがほしいと思っていた時期に、たまたま目に入ったのが、大学の廊下に張り出された松下経営塾の塾生募集のポスター。松下幸之助を囲んで経営幹部を育てる学校だと思っていた。その程度の認識だった。

・合格した後で教えられたのだが、あの面接の目的は「運と愛嬌」を見分けるためのものだった。・・・
 ポライド写真は、その晩、幸之助さんの部屋のベッドに並べられ、愛嬌のありそうな順に「コイツとコイツとコイツ・・・」と指さされ、最終合格者が決定された。
 人生何が幸いするかわからない。・・・
三次試験の数日前、・・・そしてもう一言(父から)、
「お前な、松下さんに会うんだったら、とにかく、運の良さそうな顔をしろよ」

・政経塾に入ることが決まってから卒業式までの約半年間は、彼との愛の生活に、どっぷり。
 夏の暑さも冬の寒さもひしひしと感じられるような、彼のボロ下宿に入びたった。暑くてもクーラーはないし、他にしのぐ方法がない。二人して毛布にくるまり、汗をダラダラ流して、ギリギリ限界まで暑さに耐えて、頂点に達したときに扇風機をひゅーっと回す。そのときの涼しいこと、涼しいこと。

・訪問販売だけで二か月に200万円売れという。200万円売れなければ塾を辞めてもらう可能性もあるとほのめかされたりした。・・・
 苦しんだ末に私も知恵を絞った。ドアを開けてもらうための作戦だ。カタログと一緒に蛍光灯と電球と電池を袋に持てるだけ詰め込んだ。
「どこか蛍光灯はきれていませんか? 電池は間に合っていますか?」などとインタホンで尋ねると、どこの家でも何かしら引っ掛かるものがある。
 「あら、ちょうどよかった」で、ドアが開く。「じゃあ私、つけて差し上げます」と、家に上がり込む。家中パパッーと見回し、ああ、クーラーが一台じゃ足りなそうだ、洗濯機が旧式でくたびれているなどとチェエク。何を売りつけようかと考える。
 その場は「ありがとうございました」と言ってひとまず退散。一歩門から出たら、見てきたことをメモに書いて、次に何のカタログを持って行くか作戦を練る。
 その後、何度も何度緒足を運んでいるうちに、「まあ、上がってお茶でも飲んで生きなさい」と言われるようになればしめたもの。
 最後は「あなたのお人柄で買ってあげよう」一所懸命やっているあなたの姿に打たれたから、買ってあげよう」ということになってくる。
 結果的に二百数十万円。思った以上に売れてクビがつながった。
 数年たって、あの研修の意味がわかった。選挙の時の戸別訪問の練習だった。・・・
 昭和62年の地方統一選挙では、私も立候補した先輩のために、連日100軒以上の家庭を訪ね歩いたが、犬に噛まれようが、インタホン越しに怒鳴られようが苦にならなかった。

・今度は工場へ放り込まれた。「日本経済の第一線で働く人々の気持ちがわかる政治家になれ」と。私はカラーテレビの組み立てラインで若い女の子たちと一緒に働くことになった。
 私は甘かった。工場なんて、モノを売る仕事よりもさらにずっと気楽だろう。ラインの向こうから流れてくるのを次々とさばくだけで、難しいことは何も考えなくていいのだからと。
 とんでもない誤解だった。朝から晩まで同じことを繰り返すのがどんなに苦痛か。休憩から次の休憩までの30分間がどんなに長いか。8時間労働がどんなに長いか。私は身を以て学んだ。同じ時間を測るにも、別のモノサシがあると思った。
 その上、最初の二週間は私だけ孤立して辛かった。他の女の子たちが仲間にいれてくれない。わざとおちゃらけて親しげに近寄っていっても、知らん顔。
「あなたはどうせ二か月で帰るんでしょう。エリート様なんでしょう」
 冷たい視線は私にそう語っていた。
 でも、耳をそばだてて彼女たちの話を聞いていると、そこには私の中学校、高校時代の世界があった。昨日の夜ね、男の子たちと車にハコ乗りして遊びに行ってサ・・・。それは、私がいちばん好きだった懐かしい世界。
 そのうちに音楽やバイクの話になると、私も我慢できなくて自然に入っていって一緒にキャッキャと盛り上がっているうちに、仲良しになってしまった。

・100キロ歩いて厳寒に耐えた極限体験
 12月のある日、夜の12時に熟を出発して三浦半島を一周して戻ってくる、恒例のノンストップ100キロ歩きが敢行された。
 「お前、体力ありそうだから持てよ」と、自分のおにぎりを全部私に持たせた。
 意地悪のつもりだったのだろうが、これが私に幸いした。彼らとは途中ではぐれてしまったので、よし、食料は全部私がもらってやれと。その夜のうちに15個くらいのおにぎりを食べてエネルギーを蓄えた。・・・
 おかげ予想外の好成績。二位でゴールした。

・再びハードな勉強のシーズンをはさみ、翌年の二月、世にも恐ろしい実習を体験することになった。氷点下の世界、三浦海岸の海からの冷たい替えが吹き上げる崖の上で、ビバークするのだ。
 塾生は寝袋一つと飯盒いっぱいの水だけを与えられ、1キロずつ離れて置かれ、三日三晩をその場でしのぐ。風に吹き飛ばされて崖から海へ落ちないようにと、近くの気に寝袋をつなぎとめて。・・・用を足したら落葉か雪で拭けと言う。誰も見ていないだから。 
 そうは言っても、昼間はできない。夜、暗くて寒い中に置き出していくのは勇気がいった。穴を掘ってお尻を出すなんて、すごく悲しくて寒くて。
 とにかく寒いなんてものではなかった。

・二年目を終えること、政経塾の同期生は半分に減ってしまった。卒業までこぎつけたのは、同期14人のうち5人だけ。一つ上の期は18人入って4人しか卒業していない。

・政経塾の最初の二年間はいわば基本コースで、厳しいながらも与えられたカリキュラムを消化するだけ。後の三年間は自分自身で研修プログラムを組み立ててやり遂げなければならない。確たる目的もなく、気持ちがグラついている人は、2年から3年に進むときに脱落してしまう。

・政治活動には私たちの税金が使われているのだ。もっと政治がマシにならなければ、私たちは快適な暮らしができない。日本経済だっていまは好調だが、悪くあり始めたときに政治がしっかりとしていないと、日本の繁栄は終わってしまう。政治を正すために私の一生を賭けてもいい。

・私が最初の研修先として選んだのは、自治省の地域活性化センターだった。・・・
実をいうと、職場の女の子たちとの関係は最初は最悪だった。
この職場では女性は全員アルバイト。女性の仕事はワープロ打ち、コピー取り、お茶くみに限られていた。
 松下政経塾の研修生として来ている私は、いわば総合職的な身分。他の男性職員と同様の業務に専念し、雑用は一切しなくてよいということだった。・・・ 
ワープロ打ちもコピー取りも頼めず、全部自分でやるとなれば、男性と同じ仕事量をこなすのは物理的に不可能である。
 困り果てて奈良の母に電話で相談したところ、すぐさま三つのアドバイスが返ってきた。
①明日から朝は一時間早く出勤してお湯を沸かし、お茶碗を全部洗うこと、
②朝一番のお茶いれをすること。ただし、自分でするのは男性に見えない場所でお茶を入れるところまでで、運ぶ作業は他の女性ににやってもらう。
③お昼ご飯は必ず女の子と一緒に食べること。男性職員に誘われても断らなければならない。
・・・
 だんだんと会話の中にも入っていけるようになり、化粧品やファッションや男の子の話に花を咲かすランチタイムが待ち遠しいほどになった。
 こうして三か月も経つころには、いつの間にかオフィスは、私にとってとても居心地の良い場所となっていた。

・私は、シュローダー議員への強力なコネクションを見つけるために、残暑にうだる9月の永田町を汗びっしょりになって走り回った。
「どなたか、民主党議員に知り合いのいらっしゃる先生はおられませんか」・・・
 民主党の顧問弁護士であるヘイル氏が来日中であると聞き、さっそく訪ねて行った。彼はシュローダー議員のだんなさまである弁護士のジム・シュローダーと法律大学院で同級生だったという。
「実現は難しいと思うが、ジムに君のことを紹介するテレックスを入れておこう」・・・
 ある日、アメリカ大使館のあるセクションに電話したところ、シュローダーはついさっき、大統領選挙から手を引く声明を出したとしらされた。CNNで彼女が泣いている大写しのシーンを見て、私は目の前が真っ暗になった。
 当分は忙しくて私のことどころではないだろう。でも、それでもまだあきらめられず、これで最後と思ってシュローダーに電報を打った。
「さぞ悔しいことでしょう。でも、あなたは次の大統領選挙があります。私は変わらずあなたを尊敬しています。あなたのそばでお手伝いをさせてください」
 翌朝、ヘイル弁護士の事務所を通じてファックスが転送されてきた。
「ありがとう、サナエ。とにかく、こちらへ来てみてください――パット・シュローダー」
 周囲にあきられながら、あれよあれよという間に、私はワシントン行の機上の人となった。

・シュローダー議員の事務所へいくことが決まったのはうれしかったけれど、同時にそれは私にとって悲しい別れを意味していた。
 一日も顔を見ずにはいられないくらい好きだった彼との別れ。・・・
なぜか私の人生の節目節目にはオトコとの別れがある。最初は大学を卒業するときの、「毛布の彼氏」との別れ、そして二度目がこのアメリカ行きのときの別れ。

・理想に燃えて帰国したものの、働き口のアテもなく、奈良の両親のもとに転がり込んだ。
 いま振り返ってみると、この時期が一番不安定で、客観的に見て一番苦しい時期だったと思う。
 渡米前に知り合った人々に片っ端から電話して、「10人でも5人でもいいんです。私の話を聞いてくれるなら手弁当で駆けつけますから、ぜひ呼んでください」と売り込んだ。
 私がアメリカで体験したことや、外から見た日本の政治について、いま、話をしたい。政治改革の必要をいま、訴えなければダメだと思った。
 北海道でも東京でも、どこでも呼んでくれれば駆けつけた。中には食事代はもちろん、交通費すらくれないところもあった。
 最高学府を出て政経塾まで出たのに、いまではプータロー。講演活動を始めたというけれどもお金にもならず、赤字を出して帰ってくる。いったいこの娘はこの後どうなるんだろうと、親は困っていたにちがいないけれど、私自身は全然困らずに全国あっちこっちへ行ってしゃべっていた。
「政治評論家の高市早苗です」・・・
そのうち口コミで、一日に5本も10本も講演の依頼の電話が入って来るようにった。収入も少しずつ増えていった。

・仕事のない日は奈良の家で原稿を書いていた。
 アメリカでの経験を本に書こうと思い、東京の出版社を回ったのだが、無名の私はまるで相手にされなかった。
「書きたいといったってサ、売れないものを出すわけにはいかなないよ」
「それなら、私がとりあえず全部、原稿を書きますから、読んでみてイヤだったら出してくれなくていいです」
 なんとか説き伏せて原稿用紙をもらい、一日に5枚とか10枚とか、少しずつ書きためていった。これが後に『アメリカの代議士たち―――という本になって出版された。』

・『月刊アサヒ』に『アメリカの政治資金法』に関する論文を書いて投稿したら、これが掲載していただけることになった。
 幸いこの論文に対する評価は予想以上に高く、あるTV番組のプロデューサーの目にとまり、私は初めてテレビ出演することになった。
 その後はわりとトントン拍子。『朝まで生テレビ』や『サンデー・モーニング』、そして深夜番組の『プレステージ』にも飯星景子と蓮舫と組んでレギュラー出演するようになり、後にマスコミの仕事との両立が難しくなって辞めてしまったのだが、ある大学(日本経済短期大学、のちの亜細亜大学短期大学部の助手)の専任教員としての就職も決まり、肩書と研究室を与えられた。

・男かペットがいなくちゃダメな私
そういう意味で、私の精神的な健康は、カメによって保たれていた。
ただ寂しかったのは、カメだとベッドの中で一緒に寝られないこと。

・いままでの恋愛の中でもとびきりの甘い思い出は、地中海に面したヴァカンスの街、カンヌで過ごした目くるめく情熱の日々・・・
 私はその滞在中、「ここはカンヌ。私は地中海にいるの」とつぶやき続け、雰囲気を盛り上げようととした。
 それでウフフフフ・・・。朝、寝起きに暑いシャワーを浴びながら、彼が選んでくれた極上の赤ワインをいきなり飲み始める。バスローブのまま。
 そして飲みィの・・・で、ベッドの上から海が見えていて、「ここは地中海。湘南じゃないの。地中海」ってつぶやきながら、それでまた飲みィの・・・。・・・
 私の頭の中にはそのとき、片岡義男の小説の世界があった。ルームサービスを食べるときも当然、ベッドで裸の上にブランケットを巻いたまま。
 うっかりした男だったら、「お前、そんな行儀悪いことやめろよ。寝巻着ろよ」なんていいかねないけど、そうしたら大げんかだ。
 それからもちろん、彼がすばらしいテクニックを持っていることは言うまでもない。トコトン、快楽の境地におぼれられる相手じゃないと、話にならないわけ。
 いまでも思い出すと・・・ウフフフになってしまう。私の酒とバラの日々。

(1992年6月5日発行 1961年、奈良県生まれ。1992年参議院選で無所属で立候補して落選。1993年衆議院選挙で無所属で立候補して当選)

感想
 高市早苗氏が選挙に立候補された時から、名前を知るようになりました。
議員になってからは、総務相のとき、「電波を止める」発言をして、TV各局にプレッシャーをかけたのを覚えています。
 保守系の代議士とは知っていて、安倍元首相に近かったなどうわべのことは知っていましたが、高市早苗議員が神戸大学、松下政経塾卒、かつ米国でインターンの経験があるのは知りませんでした。
 チャレンジブルな、そして情熱的でロマンティストな、寂しがりやさんで一途な方だとは知らなかったです。
 この本を書かれた時は、「まさか政治家になり、総裁選を競う」とは思われていなかったでしょう。 
なので、恋の話もたくさん書かれたのでしょう。情熱的な方のようです。
 愛の力は大きいようです。

 チャレンジブルな考えと行動力は政経塾で鍛えられたように思いました。
100km歩行、冬に1人で3日間ビパーク。女性に外でトイレ行けと。紙もなし。水だけ。

 パナソニックは総合職で採用した新人に、販売店ので実習、工場での実習をかなり長くやらせています。それが政経塾でも必須になっていたようです。
 今の状況でどうしたらよいか、分からない時にも考えて行動する人を育てようとされたような印象を受けました。

 神戸大学の教育学部がなくなったのは知りませんでした。
兵庫県の田舎の高校で当時神戸大学にも数人入学し、教育学部に入った同級生もいました。教員採用試験合格全国最下位だったことも知りませんでした。

「政治活動には私たちの税金が使われているのだ。もっと政治がマシにならなければ、私たちは快適な暮らしができない。日本経済だっていまは好調だが、悪くあり始めたときに政治がしっかりとしていないと、日本の繁栄は終わってしまう。政治を正すために私の一生を賭けてもいい」
⇒この気持ちを忘れずに今も政治活動をされていると信じたいです。
自民党が行っているのは(自民党だけではないかもしれませんが)、税金を自分たちのために活用しているのです。政治の無策、それより悪い利権得ることで日本の経済は低下の一方です。
 過去10年で韓国は年収が2倍以上になっているのに、日本はマイナス4~6%です。
 かつ円安で、安い労働力として製造業が日本に戻ってきました。
 また日本は安いということで、海外からの観光客がものすごく増えています。
政治が経済の発達の邪魔をしているようにさえ感じます。
 高市早苗氏には若いときの”思い”をぜひ実現していただきたいです。

 この本からは、とても純粋な方のように思いました。
今はどうなのでしょう?
権力かお金を握ると人は変わると言いますから。
今は権力とお金の両方を握っておられるかと。

コロナ死者、年間3万2千人 5類移行後、インフルの15倍 "65歳以上が約97%"

2024-10-25 01:02:03 | 新型コロナウイルス
 新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類となった2023年5月~24年4月の1年間で、死者数が計3万2576人に上ったことが24日、厚生労働省の人口動態統計で分かった。季節性インフルエンザの約15倍と格段に多く、大部分を高齢者が占める。政府は重症化リスクの低下を理由に新型コロナの類型を引き下げ、日常生活の制約はほぼなくなったが、今も多くの人が脅威にさらされている。  
 例年冬にかけて感染者が増える傾向にある。東北大の押谷仁教授(感染症疫学)は「高齢化社会の日本で被害を減らすために何ができるのかを一人一人が考えないといけない」と訴えている。  
 人口動態統計のうち、確定数(23年5~12月)と、確定前の概数(24年1~4月)に計上された新型コロナの死者数を集計。その結果、3万2576人となり、65歳以上が約97%だった。同時期のインフルエンザの死者数は2244人。新型コロナは、ウイルスが次々と変異して高い感染力を持つ上、病原性はあまり低下せず、基礎疾患のある高齢者が感染して亡くなっているとみられる。

感想
 コロナは高齢者にとってまだまだ怖い疾患のようです。
高齢者以外は、コロナワクチンを打つリスクの方が高いかもしれません。

「横文字ならべて説明したふり」大空幸星氏 Z世代候補の「イシュー化すると進まない」論法に“彷彿”指摘相次いだ「炎上政治家」の名前 ”結局、自分の考えを言いたくないだけのようです”

2024-10-24 18:11:11 | 社会

 10月27日投開票を迎える衆議院議員選挙では、各地で候補者たちによる討論会が開催されている。 
 19日夜、東京青年会議所が主催する衆院選東京15区の候補者討論会には、共産党の小堤東(あづま)氏、無所属の須藤元気氏、立憲民主党の酒井菜摘氏、自民党の大空幸星(おおぞら・こうき)氏、無所属の金澤結衣氏の5人の候補者が出席した。  
 この討論会では、最終盤に候補者が他の候補者に最後に聞きたいことを質問する場面があり、そこで大空氏が酒井氏の質問に回答した内容に対し、インターネット上でツッコミが相次いでいる。  
 大空氏は現在25歳。今回の衆院選において、全国最年少の候補者として話題になった。誰でも無料、匿名で利用可能なチャット相談窓口を運営するNPO法人「あなたのいばしょ」を設立し、理事長を務め、2021年には「ユーキャン新語・流行語大賞」で「Z世代」が入賞した際に、若者代表としてスピーチをおこなった。  
 一方の酒井氏は元看護師で、東京都の江東区議2期めに江東区長選に立候補するも落選。2024年4月の衆院補選東京15区で当選した前職だ。  
 酒井氏は、大空氏に対して「選択的夫婦別姓と同性婚」への意見を尋ねた。というのも、酒井氏が指摘するには、各メディアの候補者調査などで揃って、大空氏が「選択的夫婦別姓と同性婚」への意見に無回答だったからだという。  そこで「本当に残念。そう(回答しないこと)しないと勝てないというふうに思っているのか、本当にそれを回答しないままで誠実だと思っていらっしゃるのか、お聞きしたいです」と、酒井氏は大空氏に尋ねた。  
 これに対して、大空氏は「まさに政治家の発想だと思いました。理想主義より現実主義。イシュー化することによって、進められないという問題もあると思います。以上」とだけ述べ、自身の意見について、やはり回答せず。  
 その後も、酒井氏が「現実を見て(選挙)戦略的にそのようにしているということですか?」と聞くと、大空氏は「イシュー化して、さまざまな意見が乱立することによって、本来進むべきものも進まないということもあるというふうに思います」と答えるのみだった。  
 このようなやり取りが伝わると、X上では大空氏に対するツッコミが続出している。 
《何か石丸の論点すり替えに似てるな》 
《この人、「石丸」か? それっぽい横文字ならべて説明してるふり 論点ずらし 勝手に自分から議論をうちきる「以上です」》 
《それで大空の意見は結局なんなの!?!? 結局どうしようとしているの》 《こういう何言ってんだかさっぱり分からないのに言ってやったぜ、みたいな人政治家に向いてない。イシュー化しなかったら進まない、の間違いじゃないの?》  
 大空氏が発した「イシュー化」という言葉への違和感と、前安芸高田市長の石丸伸二氏を彷彿とさせるという声が多く見られている。  政治担当記者がこう話す。 「ビジネス書『イシューからはじめよ』(安宅和人著)がロングセラーになるなど人口に膾炙しつつある『イシュー』とは、“本質に関わる決着がついていない問題”という意味で使われることが多いです。そのため、大空氏が“イシュー化”を否定することに違和感を覚える声が多いのは当然でしょう」  石丸伸二氏といえば、7月の都知事選開票後に出演した「開票速報番組」で、社会学者の古市憲寿氏や元乃木坂46の山崎怜奈に厳しい態度を見せたことで激しい批判を浴びた。 「石丸氏の高圧的な態度には『パワハラ上司みたい』という声が多くあがり、さらに古市氏、山崎さんの質問にほとんど答えなかった“論点ずらし”も非難され、大炎上しました。結果、ネット上で『石丸構文』という言葉が拡散しました。
 ネットユーザーにとって、大空氏の発言は石丸氏を彷彿とさせたのでしょう」(同前) “江東区から未来を拓く”を掲げている大空氏だが、そもそもイシューから逃げて政治家は務まるのかーー。

感想
 「あなたのいばしょ」を短期間にあそこまで大きくして多くの若者の相談に乗って来られたのはすばらしいです。
 いのちの電話が電話に固執している間に、若者のニーズをつかみ、大きくされました。
 ただ、この記事を読むと、「夫婦別姓」については意見を言いたくないのか、考えが無いのか・・・。
 多分多くの政治的な課題、ここで言えばイシューに対して、まだ十分勉強なさっていないので、白黒をつけて、それが自分の足を引っ張たり、既存勢力の反発を受けないように、様子を見られているのかもしれません。
 ただ、大切なこと、「多くの女性が困っている」という視点、つまり若者がこまっていることで始めたのに、女性の困っていることには対応しようと気持ちが薄いのかもしれません。
 これからいろいろな発言などから、大空幸星氏がどういう人物かがわかってくるでしょうね。

 こういう困っている人を大空幸星さんは見ているはずですが、選択的夫婦別姓は導入に賛成なのは、与党の公明党と立憲民主党、共産党、国民民主党、れいわ、社民党の6党で、自民党は賛成でないから賛成と言えないので、言葉の遊びでごまかすしかないのかもしれません。 

衆院選出馬の有田芳生氏 討論会開催めぐるX投稿に主催者から削除要求 萩生田氏陣営からも「迷惑です」と批判 「これが事実です」と再反論も ”萩生田氏は有田氏と討論したくないのでしょうね”

2024-10-24 16:30:40 | 旧統一教会

 27日に投開票される衆院選で、立憲民主党から東京24区に立候補している有田芳生氏が23日、自身のX(旧ツイッター)を更新。その投稿に対し、八王子青年会議所の公式Xが削除を要求し、同区に出馬している萩生田光一氏の事務所も「迷惑です」と非難した。 
 萩生田光一候補が欠席というので私も出ません」と投稿。八王子青年会議所の公式Xは24日、この投稿を引用し「八王子青年会議所と申します。本日、討論会と記載がございますが、そのような予定はございません。SNSの投稿を早急に削除して下さい」と要求した。  
 また、自身の欠席を理由とされた萩生田氏の選挙事務所も、公式Xで「萩生田事務所です。選挙期間中に誤った情報に基づく投稿をされると迷惑です。当方から八王子青年会議所の公開討論会を断った事実はありません」と反論。「青年会議所側から連絡があった際に『全候補が揃わない場合は中止にする』との説明がありました。当方が回答する前に『欠席者が出たので中止します』と連絡がありました」と経緯を説明し、「リハックさんのご提案は選挙戦最中のご提案であり、スケジュールが合わない為お断りしました」とした。  
 相次ぐ反論に、有田氏は「これが事実です」とつづり、自身の選挙事務所の投稿を引用。
 事務所は今回の経緯について文書で「①八王子青年会議所(JC)主催の討論会は、出席者が集まらず中止となりました。②その後、YouTubeチャンネルReHacQより討論会開催の提案があり、有田芳生は「萩生田光一氏が出るのであれば出席する」と返答いたしました。③しかし、萩生田氏がスケジュールの都合で欠席するとの連絡を受け、有田芳生も出席を見合わせました。以上の経緯により、東京24区の討論会は開催されないことになりました」と説明した。

感想
 萩生田氏は有田氏と討論したくないのでしょうね。
予測では、有田氏をリードしているので、このまま旧統一会のかかわりや裏金のことが話題にならないように、そーっとしたいのでしょうね。
 選挙区民の姿勢が問われる選挙でしょうね。

「科学的根拠が乏しく確度低い」南海トラフ地震臨時情報に地震学の権威が学会で痛烈な“ダメ出し” 制度設計の不備を「大震法の“亡霊”」と指摘 ”宿泊キャンセルは誰が責任を取るのか?

2024-10-24 16:14:14 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9675c2c59a218b960f9edfa51cb6bf35b93b357">10/24(木) 9:14配信TBS NEWS DIG Powered by JNN
 今年8月に初めて発表された「南海トラフ地震臨時情報」を地震学の権威が学会で痛烈に批判。科学的根拠と制度設計にいずれも問題があるとして、根本的に見直す必要があると指摘しました。 
 石橋克彦 神戸大学名誉教授 「あえて批判的な考えを述べさせていただきます。まず、今回の(南海トラフ地震)臨時情報は科学的根拠が乏しく、確度が低いと思います」 発表の冒頭、「南海トラフ地震臨時情報」をこうバッサリ切り捨てたのは、地震学の権威、神戸大学名誉教授の石橋克彦氏です。 
 石橋氏は今月22日、新潟市で開かれた日本地震学会の秋季大会で、今年8月8日に初めて発表された臨時情報について、4つの観点から問題を指摘しました。 
 1つ目は、臨時情報が発表されるきっかけとなった日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震は南海トラフ地震の想定震源域の中で最も南西の縁に当たる部分で発生したが、そもそも想定震源域が南西方向に広すぎる可能性がある。 
 2つ目は、日向灘で起きる地震はマグニチュード7クラスの地震がおよそ30年間隔で繰り返し発生していて、地震の起きるパターンが南海トラフ地震とは異なるのではないか。 
 3つ目は、巨大地震発生の可能性が平常時と比較して高まったとする根拠に、南海トラフ地震の特性を考慮せず、世界で発生した地震の統計データをそのまま機械的に当てはめている。 
 4つ目は、日向灘で発生した地震が、想定震源域にどのような影響を与える可能性があるのかが説明されていない。 石橋氏は、臨時情報は科学的根拠が乏しいだけでなく、制度設計にも不備があると指摘しました。 
 石橋克彦 神戸大学名誉教授 「どうも大震法=大規模地震対策特別措置法の発想を引きずっている感があります」 「大震法」は、東海地震を念頭に、地震の予知が可能との前提で防災対策を定めたり、内閣総理大臣が警戒宣言を発令した場合には、特別な防災対応を求めたりする法律です。 国は2017年に、防災対応の前提を『地震の予知は可能』から『地震の予知は不可能』に転換し、警戒宣言は事実上廃止されましたが、石橋氏は、今も予知を前提とする大震法の「“亡霊”がある」と言います。
 石橋克彦 神戸大学名誉教授 「臨時情報体制は、ある種の短期的な地震発生予測みたいなものが可能だという前提でですね、何かのトリガーというかスイッチが入ると防災対応が始まるという、その大きな図式は(大震法を)踏襲しているわけです」 大震法の発想が残っているとする現状について、石橋氏は、南海トラフ巨大地震は「不意打ちで起きる可能性が高い」と強調し、「発生の予測が可能だ」との誤解が広がるおそれに懸念を示すとともに、地震は突然起きるとの前提で「社会を地震に対して強くすることが根本的に大事だ」と訴えました。 石橋克彦 神戸大学名誉教授 「(臨時情報の)科学的根拠と制度設計、これは車の両輪で非常に大事なものだけれども、今回、残念ながら両方ともに問題があったということです」 地震学の権威が“ダメ出し”した初めての「南海トラフ地震臨時情報」の発表。その課題と教訓を次回以降にどう生かすかが問われています。 


感想
 宿泊キャンセルなどの被害は誰が責任を取るのでしょうね。
「狼少年」になってしまいます。
「地震岸田首相」でした。
 国民の危機を煽って、何か目的があったのでしょうか?
「地震石破首相」にならないことを願います。