英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第34話「白河院の伝言」

2012-09-02 19:13:46 | ドラマ・映画

平清盛という存在
 ………失って初めて分かる大切なもの、その存在


清盛が危篤に陥り、彼の治癒を願うと同時に、身罷った際の事を考える面々
 愛(恋、親子、兄弟、家族、師弟、友)……時子、時忠、重盛、宗盛、滋子、盛国、乙前
 ライバル……後白河院
 敵対心……頼朝、西光、藤原基房、基実、成親
 利害関係……藤原成親、源頼政
 意味不明……常磐
それら心の内に秘めた思いが滲み出て、波紋を起こす。
 
 特に平家一門に小さいが深い亀裂を生んだようだ。

 それとは別に、後白河院の清盛へのツンデレぶりが笑えた
 

 清盛の危篤を利用して、清盛の生い立ちや宿命を振り返った回。
 清盛の存在の原点が白河法皇にあるので、そういう趣向なら法皇が登場させるのは必須であろう。「物の怪の血」を持ちだしたのでゲンナリしたが、清盛がきっぱり否定したのでホッとした。
 ただ、今更、ここでそれをぶり返さなくとも良いのではないだろうか。「清盛はまだ、登り切ったその果ての景色を観ていない(登りきってみろ)」というメッセージはあるが、冒頭に上げた清盛周辺の相関関係を丁寧に描いて欲しかった。


政子登場!
 妖怪人間ベラどころか、バカ殿に出てくる優香姫かと思った。
 

【ストーリー】番組サイトより
 1168年、突然熱病におかされ意識を失い、病床に伏した平清盛(松山ケンイチ)。薬師(くすし)の診断で原因は寸白(すばく・寄生虫)と判明したものの、手元の薬では治せず、祈るよりほかに手だてはない。万一の事態も覚悟し、今は落ち着いてなすべきことをせよと、時子(深田恭子)は一門に命じる。
 清盛危篤の知らせは、たちまち都のみならず、后の滋子(成海璃子)とともに熊野詣でに向かう途上の後白河上皇(松田翔太)や、果ては源頼朝(岡田将生)の暮らす伊豆にまで届く。そして平家一門のみならず、朝廷や貴族、諸国の武士など多くの人々の心に波紋を呼ぶ。後白河上皇の一行は、この一大事に御所を空けていては危ういと判断し、京へとってかえすが、その途上で大雨に見舞われ、足止めを食らう。
 清盛が回復するまで一時的に長男・重盛(窪田正孝)が平家を率いることになった。しかし時子の弟・時忠(森田剛)は三男・宗盛(石黒英雄)に、清盛が亡くなった場合は棟梁になれとけしかける。重盛と違い宗盛は正室である時子の子だからだった。鉄壁に見えた平家一門にかすかな亀裂の兆しが見え始めていた。
 死の淵(ふち)をさまよう清盛の意識は、時をさかのぼって胎児のころに飛び、生母・舞子(吹石一恵)の腹の中へとたどりつく。そして、白河法皇(伊東四朗)や祇園女御(ぎおんのにょうご・松田聖子)とのやりとりを見聞きする。横暴な白河法皇の子を宿した舞子を祇園女御は心配していた。
 やがて白河法皇は養女とした璋子(たまこ:檀れい)が病床に伏したことを知り、陰陽師に病状を探らせる。その病の原因が、舞子が宿した子にあると聞いた白河法皇は、舞子におなかの子、つまり清盛を流すことを命じる。何としてもわが子を守りたい舞子は、御所を抜け出し、偶然出会った平忠盛(中井貴一)に助けられ、無事赤子(清盛)を産み落とす。やがて忠盛と舞子は心を通わせるようになるが、舞子は捕らえられ、白河法皇の前に引き据えられた。
 忠盛は白河法皇のもとに行き、自らの危険もかえりみず舞子を自分の妻にしたいと訴える。そんな忠盛とわが子を救うため、舞子は白河法皇に刃を向けて襲い掛かると、護衛の弓矢を全身に受けて息絶える。そんな光景を見続けていた清盛は、母を殺された怒りを押さえきれず、夢の中で白河法皇にぶつける。感情をあらわにする清盛に白河法皇は、お前も昇りきった果ての景色を知れば、わしのことが分かると語る。すると清盛は、あなた様に追いつくどころか、追いこして見せる――、と語ったところで、清盛は現実の世界に戻り目をさます。
 病床の清盛の前には、後白河上皇が泥と雨にまみれながら立っていた。後白河上皇は好敵手としての清盛の生還を素直に喜んでいた。そんな上皇に向かい、お互い双六あそびがまだ終わっていないため、まだ死ぬわけにはいかないと清盛は告げる。清盛の手にはサイコロが握られていた。
 清盛が回復したという知らせは瞬く間に広がった。喜ぶ平家一門だが、重盛と宗盛の対立の宿命など新たな問題があらわれはじめた。
 源義朝が残した二人の子らはそれぞれ岐路を迎えていた。常盤(武井咲)は牛若(のちの義経)に、いったんは実は源氏の御曹司であることを告げようとしたが、それをあきらめ、鞍馬に行き寺に入るように命じた。また伊豆で失意の日々を送っていた頼朝には、運命の女性・政子(杏)との出会いが迫っていた。

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アジサイ(紫陽花)、イモカタバミ【7月13日撮影】

2012-09-02 14:56:34 | 歳時
9月になってしまったのに、アジサイです。


 越前海岸に行く街道沿いで、一番海岸に近く、峠を超えると海が見えます。
 やたらでかかったです。左上の花がスイカの小玉程度、右下の方はバレーボールより大きかったです。

 この道は今までにもよく登場していて(アヤメ、アジサイなど)、石碑もご紹介したことがあります。ここから、しばらくいろいろな花が咲いているのですが、この時期はもちろん、アジサイです。


 これは、ガクアジサイ(ヤマアジサイ、エゾアジサイ)です。(花の説明は後ほど)
 さらに里の方に進むと



 何株も点在していて、それぞれの色合いが微妙に違います。
 私は気が多いので絞れず、たくさん撮りました。どんどんアップしますね。



 この街道をこのまま武生に進むと、その途中によくご紹介する冬桜の所に着きますが、この日は少し寄り道して、一つ筋の違う谷を通りました。


 先ほども一枚だけ出てきましたガクアジサイ(ヤマアジサイ、エゾアジサイ)です。どの種なのか分かりませんが、例によって過去の記事を活用します。
 昨年の7月5日記事「エゾアジサイ(ヤマアジサイ)【6月22日撮影】」によると
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さて、写真のアジサイの品種ですが、候補はガクアジサイ、ヤマアジサイ、エゾ(蝦夷)アジサイの3つ。
 このうちガクアジサイは海岸地帯の日当たりの良い乾燥地域に生育します。写真のアジサイは山ベタで日当たりもそれほどよくなく、どちらかというと湿り気の多いところで、ヤマアジサイの生育環境に合致します。
 実はこの山ベタ、けっこう当ブログに登場しています。5月28日記事『アヤメとキショウブ』のキショウブ、4月30日記事『山桜、枝垂れ桜と椿』の枝垂れ桜と椿がそうです。その他、何度も活躍している山ベタです。
 で、ヤマアジサイとエゾアジサイのどちらかだと思いますが、いろいろなページの写真の花の印象からすると、エゾアジサイのような気がします。
 エゾアジサイはその名前から北海道のイメージが強いのですが、その分布は北海道南部と本州の東北地方・日本海側の多雪地帯と広いです。それに、エゾアジサイはヤマアジサイが日本の多雪地帯に適応した亜種と考えられているので、その境界は曖昧なのかもしれません。
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 先ほどのアジサイは、上記の記事と同じ付近に生息していたのでエゾアジサイと推定しておきますが、直前の写真のものは、集落の水田の脇に咲いていたので日当たりは良かったと思います。しかし、乾燥地域ではなさそうですし、海岸地帯でもありません。ここはヤマアジサイの仲間としておきます。

 さて、このアジサイにつられて停車したのですが、このアジサイの足元?に




 イモカタバミです。
 草丈が低く、花も小さいので、他の草木に紛れて気がつかないことも多いのですが、注意して見ると、あちこちで見かけます。
 近所の空き地にも生息していて、
2010年6月15日記事「白い花の正体 その5 ~謎は残った&奥ゆかしい花~」
2011年5月13日記事「その後のフランスギクと奥ゆかしい花(イモカタバミ)2011年バージョン」
にも登場しています。
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