英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

大河ドラマ『平清盛』の清盛考

2012-09-28 21:33:40 | ドラマ・映画
 第37話「殿下乗合事件」の感想で「今までで一番面白かった」と書きましたが、少し早まったのではないかと後悔しています。
 いえ、実際非常に面白かったです。
 時忠の「されど、いささか正し過ぎましょう。正し過ぎるということは、もはや間違うていることに同じにござります」という台詞や、清盛「わしがこの福原で、新しき国造りに勤しめるよう、そなたは都でそなたの務めを果たしてくれ」と時忠「……………」の意味深な会話?や、棟梁・重盛誠実が故の苦悩、藤原基房役の細川茂樹の悪ぶりとヘタレぶりの見事さ、乗せられぶりがアニメ『一休さん』の将軍・義満を彷彿させる後白河法皇(松田翔太)の新し物好きさ、重盛・経子夫婦の仲の良さ、時政(遠藤憲一)の気の使うさま、平家のおごりの兆候など盛り込まれ、『相棒』のような濃密で緻密な構成が見事だったように思う。

 しかし、どこかモヤモヤしたものが残る。
 それは、ドラマが清盛を描いていない点である。確かに、タイトル通り清盛が主人公なのだが、清盛を描くことが目的ではなく、「もののけの血」「璋子、得子、鳥羽院の情念」「崇徳院の悲劇」「叔父の首を切る非情さ」「遊びをせんとや生れけむの唄や双六と人生の例え」など、あれこれテーマを描く際に、駒(登場人物)として使われているだけのように思えることが多い。
 放送1回(45分)で、最後のどんでん返しが好きなようで、主要人物(清盛や義朝など)の心の内をあまり明らかにせず、最後に唐突な決断をさせる。慟哭のシーンは時折あるが、人物を描かず、出来事を描いている。成長しているシーンを見て成長を知ることは出来たが、清盛の成長を感じることが出来なかった……などなど……
 だから、今回の清盛と宋の商人との駆け引き、清盛・盛国・時忠の深い絡みなど、面白いシーンであったが、私は「清盛っていつの間に出来る人間になったのだろう?」とか思ってしまう。そもそも、清盛を描いていない……出来事や各話のテーマを描くための駒として使われたので、清盛の人物像を描き方に一貫性がなく、私も清盛像が固められなかった。魅力も感じられないのである。
コメント
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