

立札の説明
天正三年(1575年)織田信長軍が越前の一揆を平定した後、佐々成政が築いた平城である。
この城は味真野の扇状台地末端に、野々宮廃寺跡の一部をとり込んでつくられたもので、本丸、二の丸、三の丸と隅櫓(すみやぐら)の遺構がよく残されている。本丸の規模は、東西45m南北50m高さは水面から7mあり、四方に10~30m幅の堀がめぐらされていた。
なお、北西の乾櫓から出土した一揆成敗のありさまを刻んだ文字瓦は有名である。この瓦は現在、越前の里郷土資料館に展示してある。
越前市教育委員会
財団法人 観光資源保護財団
詳しくは『越前府中・前田利家紀行』~小丸城跡~

「城郭の規模は、もともと石垣(一部現存)を伴った約50メートル四方の本丸を中心に周囲には基底幅約20メートル、高さ約10メートルの土塁や幅約20メートルの堀がめぐり、外郭施設を含めると東西約300メートル、南北約450メートルの範囲に及んでいたと推定されている」そうです。
写真の丘のような部分は本丸です。
坂を上るとこんな感じです。

他にも通路があります。

進んでいくと、

細かい説明は求めないでください。
城跡に咲く桜です。


