英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

腰痛 その5…否、「その後」

2014-04-28 21:36:12 | 日記
 病院に行ってきました。
「軽い(腰椎)捻挫。(椎間板)ヘルニアにはなっていないね」と言われました。
ま、軽い捻挫で良かったです。
 でも、≪か、軽い捻挫なのか?≫……

 これで「軽い」のなら、≪椎間板ヘルニアの痛みってどんだけなんだ?≫
 でも、この医者(私の友達です)、レントゲンを診て、あとは足を持ち上げたり木づちでたたいたりして反応を見るだけで、「いつから?」「何をしたとき?」「どんな痛みか?」とか一切聞かない。
 こういう問診で得られる情報の蓄積って大事なんじゃあないだろうか?

 おまけに「運動不足が原因。ジョギングでも始めたら」って言われてしまいました。
 いやぁ、うちの仕事って、結構大変なんです。30kgの荷物はざらだし、倉庫は狭いので、体を傾けながら運んだり、かなり腰を酷使します。
 相当、エネルギーを消費するのに、この上、ジョギングって………

 それはともかく、chamingさんやかみしろさんのアドバイスのおかげ、そして、koumamaや将棋を知らない母さん、こてくんの温かい言葉のおかげで、症状は軽減しました。
 土曜の夜に比べ、今日(月曜)の朝の段階では、痛みは3分の1くらいに軽減していたので、土曜の夜にレントゲンを撮っていたのなら、違う診断がされたのかもしれません。

 現在は、腰の痛みよりは、坐骨神経痛の症状の右足全体の軽い麻痺のほうが重症で、右足の反射速度が半分になり、上手に歩けないのが悩みですが、こうして記事を書けるので、大丈夫なんだと思ってください。
 ご心配をおかけしました。ありがとうございました。
コメント (8)
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『軍師官兵衛』 第17話「見捨てられた城」

2014-04-28 15:24:57 | ドラマ・映画
いろいろ見せ場が多い回だったが、
詰め込みすぎて、どんどんシーンが流れていき、
印象に残らなかった
………


①上月城を見捨てろという信長
②援軍を送れないという状況を嘆く官兵衛
③策を弄して上月城に潜入、尼子勝久と鹿介の別離
④勝久の自害と鹿介の最期
⑤迷い多き殿・政職、迷う
⑥半兵衛、「ただ最良の策を考え、今やれることを実行するのが軍師」と、泣き言をいう官兵衛を諭す
⑦官兵衛、やるべきことはやる(毛利を調略し揺さぶる)
⑧織田信忠の陣での反省会で仙千代が、神吉藤太夫の降伏を受け入れたうえ、逃げられてしまった荒木村重を非難する
⑨「同じ外様同士、頑張ろう」と村重を励ます光秀
⑩白々しい宇喜多直家を信用せず、撤退する毛利軍
⑪毛利撤退、見捨てられた志方城主・左京進「我らは播磨男子、意地を貫け、良いかぁ!」の0.1秒後、白装束、自害。
⑫左京進の子供らに、又兵衛、「黒田家ホームドラマ」を伝授
⑬「天下泰平」「新しき世を作る」ためと誓い合う秀吉と官兵衛
⑭仙千代の告げ口を受けた信長から「呼び出し」をくらい、青ざめる村重
⑮お紺の死

 ざっと、これだけのシーンがあった。
 これだけ詰め込むくらいなら、先週の不要なシーンをカットして、④ぐらいまでと差し替えた方が良いのではないだろうか。
 しかも、②では官兵衛の嘆きを④では愚痴をと、官兵衛の未熟さを露呈させるので、それが気になって、今後に影響を与えるであろうシーン(⑤⑨⑭⑮)が頭に残らない。(③の「官兵衛殿、ここまでよくやってくださった」「来世で云々」も要らない)
 
④などは官兵衛が義を重んじるのを強調させるため
「目の前の兵を見殺しにしては、織田家は失うことしかございません」
「利用するだけ利用して、捨てるおつもりかっ!」
と叫けび「横須賀小六らにたしなめられる
 しかし「軍師」を強調するなら、そろそろ、「たしなめられる」のではなく、「たしなめる」側になってほしい。

 笑ってしまったのは⑩。ドリフのコントのような志方城の秒殺。
 最後の方だけは、左京進を綺麗に散らせたかったのかもしれないが、ここまでずっと彼を貶めていて虫のいい話である。左京進には申し訳ないが、逃げ惑って「官兵衛の言うことを聞いて。織田に付けばよかったぁ」と叫ばせてほしかった。


 さて、今回、悩んでしまったのは、「上月を見捨てよ」という信長の決断
 ドラマの上では
信長「700を救うために5万と戦い兵を失う。何の理がある?」
秀吉「失うのは兵ではございませぬ。播磨での織田の信用にございます」
信長「今大事なのは、織田の信用ではない。毛利を倒し、新たな世を作ることだ。もはや上月はいらぬ、上月を見捨てよ」

 この会話で「700の兵より5万と戦って失う兵の数」「播磨での信用より天下統一」という信長の合理性を述べているが、秀吉の「兵より信用が大事」という方が正しいように思える。「大事なのは新たな世を作ることだ」という信長の言葉は、秀吉の訴えに対する答えにはなっていない。平清盛(松山ケンイチ)が乗り移ったのか、と思ってしまった。

 腑に落ちないので、軍師でもなく、武将でもなく、歴史学者ではない私ではあるが頭を絞ってみた

上記の会話の最後に
「上月城を救うなど、そんな面倒くさいこと、誰がする?」
という信長の言葉が省略されていたのだ。
 そう、面倒くさかったのだ。
 面倒くさいと言うと言葉が悪いが、「リスクが大きい」という意味である。
 5万の毛利軍と戦うには、秀吉、村重の兵に加え、あと3万の兵を投入しなければならない。三木城や神吉城など播磨の反抗勢力の制圧は急を要するものではなく問題はないであろう。
 問題なのは、それだけの大軍を播磨の西の奥まで移動するのは大変(移動時間、兵糧)だということ。援軍が到着する前に、たった700の兵しかいない上月城が陥落する可能性の方が高い。そんなリスクを犯すのは馬鹿馬鹿しい。……乞う信長は判断したのではないだろうか。

 今回、信長が上月城を見捨てたことは、「信長の非情さ」を示す効果はあったが、これでは信長が単なる「非情で我儘な男」になってしまう。上記の私の想像の真偽はともかく、「信長の深い思慮」を濃姫との会話で披露してほしかった。それでこそ、今大河ドラマの「解説役・濃姫」の存在価値である。


【ついでの疑問】
・官兵衛が毛利軍に行った調略って、具体的にどうしたんだろう?
 4人が『孫子』を暗唱(合唱)してごまかしたような気が………

・官兵衛らが上月城に潜入し、鹿介らと対面し、
 「逃げましょう!場外の手筈は整えてあります。あきらめるのは、まだ早うございます!」
 と進言した時、≪そうだ、あきらめるな≫と思ったが、
 「動けぬ兵たちを置いて、わしらだけ逃げるわけにはまいらん」
 えっ、兵たちは存命だったのか?
 だったら……「目の前の兵を見殺しにしては、織田家は失うことしかございません」と秀吉に訴えたあの言葉は、いったい………



【ストーリー】番組サイトより
 官兵衛と秀吉は、毛利の大群に包囲された上月城を救おうとするが、信長の厳命により見捨てることを余儀なくされる。官兵衛は城に潜入し、断腸の思いで鹿介に別れを告げる。信長のあまりの非情さに、村重や政職は動揺する。
 一方、宇喜多直家の動きを警戒した毛利方の小早川隆景は、撤退を決断。光の兄・左京進の志方城も見捨てられてしまう。孤立無援の状態となった左京進は、切腹した。その後、秀吉は平井山に本陣を移し、三木城攻めに取り掛かった。
コメント (6)
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