同年閏七月、右衛門督殿屏風の料、十五首
正月元日、人々遊びしたるところの庭に梅の花咲けり
おいらくも われはなげかし ちよまでの としこむごとに かくてたのまむ
老いらくも われは歎かじ 千代までの 年こむごとに かくてたのまむ
天慶二年(939年)七月、右衛門督殿の屏風の歌、十五首
正月元日、人々が遊んでいる庭に梅の花が咲いている
老いが来ても私は嘆くまい。新しい年を迎えるごとに、このような祝賀の宴が催されることを、いつまでも楽しみにしていよう。
「右衛門督」は第57代陽成天皇の子、源清蔭(みなもと の きよかげ)のこと。清蔭自身もまた、後撰和歌集他にその詠歌が入集している勅撰歌人です。