二月初午、稲荷詣でしたるところ
ひとりのみ わがこえなくに いなりやま はるのかすみの たちかくすらむ
ひとりのみ わが越えなくに 稲荷山 春の霞の 立ちかくすらむ
二月の初午(はつうま)の日に、稲荷神社に詣でたところ
私ひとりだけで越えて行くのではないのに、なぜ春霞が立って稲荷山を隠してしまうのだろうか。まるで自分だけが霞の中を分け入っているような気持ちになってしまうよ。
屏風には、霞の掛かった稲荷山に多くの参詣者が集まっている様子が描かれているのでしょう。この歌単体ではなかなか解釈が難しいですが、334 には
はるがすみ たちまじりつつ いなりやま こゆるおもひの ひとしれぬかな
春霞 立ちまじりつつ 稲荷山 越ゆる思ひの 人知れぬかな
という類歌があり、群衆の中にあっても一人思い悩む孤独な心情を詠んだものであることが推察されますね。