漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 101

2023-07-26 05:22:16 | 貫之集

八月

あまくもの よそのものとは しりながら めづらしきかな かりのはつこゑ

天雲の よそのものとは 知りながら めづらしきかな 雁の初声

 

八月

遠く離れた天の雲のようによそのものとは知りながら、雁の初声を聞くと新鮮で心惹かれることよ。

 

 「天雲の」は「よそ」にかかる枕詞ですが、ここでは解釈にも反映してみました。同じモチーフの在原元方の歌が 古今集0206 にも見えますね。

 

まつひとに あらぬものから はつかりの けさなくこゑの めづらしきかな

待つ人に あらぬものから 初雁の けさなく声の めづらしきかな

 

在原元方

 

 


貫之集 100

2023-07-25 06:25:22 | 貫之集

七月

をぎのはの そよぐおとこそ あきかぜの ひとにしらるる はじめなりけれ

荻の葉の そよぐ音こそ 秋風の 人に知らるる はじめなりけれ

 

七月

荻の葉のそよぐ音こそが、秋風が吹きだしたことを人が知るはじめなのであるよ。

 

 荻は秋を彩る植物で、貫之集ではこのあと 378501 にも登場しますが、何故か古今集には一首もありません。不思議ですね。
 この歌は拾遺和歌集(巻第三 「秋」 第139番)にも入集しています。

 

 本日で100首に到達。なんだか古今集のときよりも早く感じます。

 


貫之集 099

2023-07-24 05:46:10 | 貫之集

三月

うつろはぬ まつのなだてに あやなくも やどれるふぢの さきてちるかな

うつろはぬ 松の名だてに あやなくも 宿れる藤の 咲きて散るかな

 

色の褪せない松に絡まった藤が、無謀にも松に代わって咲いては散る移り変わりを見せているのであるな。

 

 「松」は心変わりをしてくれない(=自分に思いを寄せてくれない)男性、「藤」は無駄と知りつつそれでも心を寄せる女性の象徴でしょう。


貫之集 098

2023-07-23 05:12:19 | 貫之集

二月

よるひとも なきあをやぎの いとなれば ふきくるかぜに かつみだれつつ

よる人も なき青柳の 糸なれば 吹きくる風に かつ乱れつつ

 

二月

縒る人もいない青柳の糸であるから、風が吹くと乱れに乱れる。寄ってきてくれる人もいない私の心が辛いことがあるたびに乱れるのと同じように。

 

 「よる」は「縒る」と「寄る」の掛詞。風に乱れる青柳の糸は、困難や寂しさに心乱れる心の象徴ですね。この歌が添えられた屏風絵には、もの悲し気な女性の姿も描かれていたのでしょうか。


貫之集 097

2023-07-22 04:47:43 | 貫之集

延喜十八年二月、女四の皇女の御髪上げの屏風の歌、内裏の召ししに奉る八首

正月

やまのはを みざらましかば はるがすみ たてるもしらで へぬべかりけり

山の端を 見ざらましかはば 春霞 立てるも知らで へぬべかりけり

 

延喜十八年(918年)二月、勤子内親王の御髪上げ(かみあげ)の儀式の際、醍醐天皇の仰せによって奉った屏風歌八首

正月

山の端に春霞がかかっているのを見なかったなら、春になったことを知らずに過ごすところであったよ。

 

 今日から 217 までの 121 首、貫之集第二収録の歌のご紹介。延喜十八年(918年)から延長年間(923~931年)頃までの屏風歌です。
 詞書に登場する「勤子(きんし/いそこ)内親王」は第60代醍醐天皇の第四皇女、「御髪上げ」は女子の成人に達した儀式で、初めて髪を結いあげることを指し、「みぐしあげ」とも言うようです。第三句の「立つ」は春霞が立つことと春が立つ、すなわち「立春」との両義ですね。