女ども群れゐて秋の花の散るを見たり
はなのいろは あまたみゆれど ひとしれず はぎのしたばぞ ながめられける
花の色は あまた見ゆれど 人しれず 萩の下葉ぞ ながめられける
女たち集まって秋の花の散るのを見た
秋の花は色とりどりだけれども、人知れず秋の下葉の紅葉の美しさに魅了されることよ。
109 と同じく、色とりどりの花は多くの美しい女性を象徴していますね。その中で特定の一人に思いを寄せる心を詠んでいます。
人の家の池のほとりの松のしたにゐて、風の音聞ける
あめふると ふくまつかぜは きこゆれど いけのみぎはは まさらざりけり
雨降ると 吹く松風は 聞こゆれど 池のみぎはは まさらざりけり
人の家の池のほとりにある松の下にいて、風の音を聞く
松籟の音は雨が降っているかのように聞こえるけれども、池の水量は増えてはこない。
耳に聞こえる松籟に、雨が降っているのかと錯覚するけれども、目に見える池の水は増してこない、その視覚と聴覚の矛盾する感覚に面白みを感じての詠歌。屏風歌ですから、松籟も水が増えないのも実像ではなくすべて想像の世界です。歌人の感受性と言うか、創造性の高さを感じさせますね。
この歌は拾遺和歌集(巻第八「雑上」 第454番)にも入集しています。
簗
やなみれば かはかぜいたく ふくときぞ なみのはなさへ おちまさりける
簗見れば 川風いたく 吹くときぞ 波の花さへ 落ちまさりける
簗
簗を見ると、川風が強く吹く時は、波までがしぶきを上げて、まるで花が風を受けて舞い散っているようだ。
「波の花」は川面が波立ってあがるしぶきを花に見立てた表現。107 にも出てきましたね。
この歌は拾遺和歌集(巻第十六「雑春」 第1061番)にも入集しています。
川のほとりの松
まつをのみ ときはとおもへば よとともに ながるるみづも みどりなりけり
松をのみ 常盤と思えば 世とともに 流るる水も 緑なりけり
川のほとりの松
松だけが常緑で変わらないのかと思っていたけれども、世とともに絶えず流れて行く川の水もまた、松の影を映して緑色に染まっていた。
常なるもの(常緑の松)と絶えず変わりゆくもの(川の流れ)とを対比しつつ、後者の中に常なるものを発見した興奮というところでしょうか。
この歌は拾遺和歌集(巻第五「賀」 第291番)にも入集しています。