漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 127

2023-08-21 06:11:24 | 貫之集

延喜十九年、東宮の御息所御屏風歌、内裏より召しし十六首

子の日の松のもとに人々いたり遊ぶ

はるのいろは まだあさけれど かねてより みどりふかくも そめてけるかな

春の色は まだ浅けれど かねてより 緑深くも そめてけるかな

 

延喜十九年(919年)、皇太子の母のための屏風歌を仰せによって詠んだ十六首

子の日に松のもとに人々がいて遊んでいる

春の気配はまだ浅いけれども、松はすでに緑深く染まっていることよ。

 

 「東宮の御息所」は、醍醐天皇の皇子保明親王の生母藤原穏子(ふじわら の おんし/やすこ)のこと。105112 には保明親王に奉呈した歌八首も登場しました。なお、詞書に「十六首」とありますが、実際は 138 までの十二首しか採録されていません。単なる誤記か、あるいは残りの他の歌人が詠んだ歌が四首あったのかもしれませんね。


貫之集 126

2023-08-20 05:24:53 | 貫之集

仏名の朝に、導師の帰るついでに、法師、男ども庭におりて、梅を見て遊ぶあひだに、雪の降りかかれる梅折れる

むめのはな をりしまがへば あしひきの やまぢのゆきの おもほゆるかな

梅の花 折りしまがへば あしひきの 山路の雪の 思ほゆるかな

 

仏名会が終わった最後の朝、導師が帰って行く折に、僧や男たちが庭に降りて梅を見て遊ぶ間に、雪が降りかかった梅の枝を折った。

梅の花かと見間違って枝を折ってみると、花ではなく雪であった。それにつけても、深く積もった山路の雪が思い起されることよ。

 

 022 にもありましたが、「仏名」とは十二月に宮中や寺院で行われ、一年間の罪障消滅を祈る法会のこと。枝に降り積もった雪を梅の花と見紛うというのも、よくある題材ですね。このあとも幾度か登場します。

 

 


貫之集 125

2023-08-19 06:10:37 | 貫之集

道行く人の松の雪見たる

しろたへに ゆきのふれれば こまつばら いろのみどりも かくろへにけり

白妙に 雪の降れれば 小松原 色の緑も かくろへにけり

 

道行く人が松に降る雪を見ている

真っ白な雪が降ったので、松が繁る原を彩る緑もすっかり隠れてしまった。

 

 「小松原」は特定の地名ではなく、松の繁る原の意。「小」は接頭語ですね。


貫之集 124

2023-08-18 05:16:24 | 貫之集

月のもとの白菊

いろそむる ものならねども つきかげの うつれるやどの しらぎくのはな

色そむる ものならねども 月影の うつれる宿の 白菊の花

 

月光のもとの白菊

月の光が染めているわけではないけれども、その光を受けた家の白菊の花が真っ白に咲いているよ。

 

 白菊が月光の白い光と見分けがつかないという興趣の歌が 102 に続いて登場です。

 

いづれをか はなとはわかむ ながつきの ありあけのつきに まがふしらぎく

いづれをか 花とはわかむ 長月の 有明の月に まがふ白菊

 

 


貫之集 123

2023-08-17 05:37:11 | 貫之集

九月のつごもりに、女車紅葉の散るなかをすぎたり

もみぢばの ぬさともちるか あきはつる たつたひめこそ かへるべらなれ

もみぢ葉の 幣とも散るか 秋はつる 龍田姫こそ 帰るべらなれ

 

九月の末日に、女の乗る車が紅葉が散るなかを走って去って行く。

紅葉がまるで幣となって散って行くように見える。秋が終わって、龍田姫ももう山奥へ帰って行ってしまうのであろうか。

 

 「龍田姫」は、紅葉の名所である龍田山を神格化した秋の女神で、龍田姫が染めたとされる紅葉を、神に手向ける幣と見立てる発想。同じモチーフの兼覧王(かねみのおほきみ)の歌が、古今集0298 (巻第五「秋歌下」)にも採録されています。

 

たつたひめ たむくるかみの あればこそ あきのこのはの ぬさとちるらめ

竜田姫 たむくる神の あればこそ 秋の木の葉の ぬさと散るらめ