延喜十八年、承香殿御屏風の歌、仰せによりて奉る十四首
梅の花咲けるところ
うめのはな まだちらねども ゆくみづの そこにうつれる かげぞみえける
梅の花 まだ散らねども ゆく水の 底にうつれる 影ぞ見えける
延喜十八年(918年)、天皇の命によって承香殿に奉った屏風歌十四首
梅の花が咲いているところ
梅の花はまだ散らないけれど、流れる水の底に映った影が今にも散りそうにちらちらと揺れて見えている。
この歌は、拾遺和歌集(巻第一「春」 第25番)にも入集しています。
「承香殿」は第58代光孝天皇の皇女和子のことで、臣籍に下って源姓を名乗り、第60代醍醐天皇の女御となった人物。平安御所の承香殿に住んだのでこの名が付されていますが、承香殿といえば他でもない古今和歌集の編纂作業が行われた場所ですね。その際の歌が 795 に出てきますので、一足先に詞書とともにご紹介します。
延喜の御時、大和歌知れる人を召して、むかしいまの人の歌奉らせたまひしに、承香殿の東なるところにて歌撰らせたまふ。夜の更くるまでとかういふほどに、仁寿殿のもとの桜の木に時鳥の鳴くを聞こしめして、四月六日の夜なりければ、めづらしがりをかしがらせたまひて、召し出でてよませたまふに、奉る
ことなつは いかがなきけん ほととぎす こよひばかりは あらじとぞきく
こと夏は いかが鳴きけん 時鳥 今宵ばかりは あらじとぞ聞く
今夜宮中で聞いた時鳥の声は生涯最高のもの、と詠んでいます。歴史的国家事業に臨んで高ぶる貫之の心が伝わってきますね。