延喜十九年、東宮の御息所御屏風歌、内裏より召しし十六首
子の日の松のもとに人々いたり遊ぶ
はるのいろは まだあさけれど かねてより みどりふかくも そめてけるかな
春の色は まだ浅けれど かねてより 緑深くも そめてけるかな
延喜十九年(919年)、皇太子の母のための屏風歌を仰せによって詠んだ十六首
子の日に松のもとに人々がいて遊んでいる
春の気配はまだ浅いけれども、松はすでに緑深く染まっていることよ。
「東宮の御息所」は、醍醐天皇の皇子保明親王の生母藤原穏子(ふじわら の おんし/やすこ)のこと。105 ~ 112 には保明親王に奉呈した歌八首も登場しました。なお、詞書に「十六首」とありますが、実際は 138 までの十二首しか採録されていません。単なる誤記か、あるいは残りの他の歌人が詠んだ歌が四首あったのかもしれませんね。