北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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歴史は繋がる

2011-05-14 20:27:38 | 特撮作品鑑賞
仮面ライダー40周年記念作品「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」
ようやく函館でも上映になったので、早速観に行ってきた。

物語は、ヤミーとは違う謎の怪人・イマジンに遭遇した映司とアンクが、出時を旅する列車・デンライナーで現れた、仮面ライダーNEW電王=幸太郎と共に1971年に向かうところから始まる。
そして、その1971年の世界で、アンクが一枚のメダルを落としてしまったことで、その後の歴史が変わり、正しい歴史では、正義の味方として、悪の組織・ショッカーと戦っていたはずの仮面ライダー1号&2号が、ショッカーに洗脳されて悪の手先となり、40年後の2011年は、ショッカーがその勢力を拡大して、日本を支配する組織となっていた。

とまあそんなストーリーだけど、1号&2号はもとより、オールライダーが勢揃いするクライマックスシーンは、とにかく圧巻の一言。
途中、デンライナーが爆破されてしまうというショッキングな展開があり、一瞬、「長く続いた電王シリーズもこれで終わり?」なんて思ったりもしたけど、そこはやっぱりライダーが繋ぐ世界。
「大きいお友達」の目線で見ちゃうと、色々矛盾や疑問点は多々あるけれど(例えば、デンライナーを爆破したのが、1971年には存在しないはずの、デストロンの怪人・カメバズーカであること)、クライマックスで、デンライナーと共に死んだかと思われたオーナーが群衆の前に姿を現し、ショッカーに向かって、「歴史は変わっても、ライダーへの思いが変わらない限り、ライダーは何度でも甦る」と宣言したことで、もう全てが納得。
歴史が変えられてしまったことで、その存在を消されたはずの、V3からWまでのライダーが総登場し、しかもWに至っては、風都にもショッカーが現れたという設定で、翔太郎とフィリップが登場して変身するという展開は、疑問は疑問だけど、そこは「大きいお友達」の目線を捨てて、素直に楽しめたかなと思う。
同じことは、ライダーの映画なのに、「人造人間キカイダー」「キカイダー01」「イナズマン」「快傑ズバット」と言った石ノ森ヒーロー達が登場したことにも言える。
「お祭りだから何でもあり」という冷めた見方にならないような登場の仕方も良かった。

その他細かいポイントとしては、アポロガイストの声が、ディケイドの時と同じ川原和久さんだったのが嬉しかったけど、「友情出演」とクレジットされていたのが面白いと思った。
できれば、ディケイドの時のように顔出しで出ていただけるとなおよかったかなと。

そんなわけで、まだまだ語るとキリがないけれど、今回はここまで。
次は、いよいよ、来月公開の「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」
函館でも6月11日から上映されるようだけど、札幌の某シネコンで観たいという理由もあるので、最低二回は観ちゃいそうです。








最後に、冒頭で、映司とアンクが、幸太郎&テディと出会ったシーンのロケ地。
東京は調布市の「味の素スタジアム」です。
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運命の分かれ道?

2011-05-14 10:11:27 | 道外旅行記
平日は時間がなくて普通の記事にせざるを得なかったけど、この土日で、愛媛冒険記を完結させます。
残り三本です。





今回は、松山城、大洲城に続き、宇和島にも城があるので、行ってみました。
ここが、その入口。





門をくぐると、いきなり急な石段が待っていました。
この先、こんなのが続くかと思うと、ちょっと怖いような・・・。





お?天守までのルートは二通りある?
さあどっちを選ぶ?
運命の分かれ道だよこれは。





かたやこんな感じ。
坂道だけど、児童公園経由というだけあって、割と平坦な感じ。





で、もう一方はこんな感じ。
さあどっちを取る?





ま、なんだかんだでこっちを選びました。
この日の宇和島は、気温26度で半袖着用だったけど、ばてるほどの暑さではなかったので、急な階段を登りながら天守を目指すことにしました。





途中には、このような古井戸が。
さっきのルートに「井戸丸跡経由」とあったのはこのことです。





かくして到着。

宇和島城は、慶長6年(1601年)、藤堂高虎によって築城され、天守も同時期に造られたとされている。
後に高虎は今治に転封されるが、奥州仙台藩主であった、かの伊達政宗の長子秀宗が10万石を賜り、元和元年(1615年)に入城し、2代宗利の時に、天守以下城郭の大修理を行って、寛文11年(1671年)に完成。
その後も、戦乱や天災等による損傷を受けることなく、当時の姿が現在に残されている。





写真撮影OKなので、最上部で一枚。





少しもやってるけど、最上部からの眺望。
別に疲れてたわけじゃないけど、こういう眺望を観てると、何とも言えない穏やかな気持になります。
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