北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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日本遺産を構成する場所

2017-09-23 16:44:39 | 函館
昨日の北海道新聞夕刊の道南地域版に、ちょっと衝撃というか残念な記事が載っていた。

「はこだて検定 申し込み低調」というタイトルで、記事によると、今月21日時点での出願者数が、初級、上級合わせて124人と、前年同期比約50名の減なんだという。
29日まで出願期間があるとはいえ、合格者としては、このままではちょっと寂しいですね・・・。

そこでというわけではないけれど、ちょっと検定本番を見据えた記事を一つ。


先日の記事で、函館から日本遺産の認定が出た旨に触れた際、「市内にある日本遺産を構成する場所五箇所は、今年の検定の狙い目かもしれない」と書いておきながら、認定を伝える記事にリンクを貼っただけで、具体的な場所の紹介はしていなかったので、ここで紹介しておきます。

まずその前に、日本遺産のタイトルとストーリーから。


タイトル 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~ 北前船寄港地・船主集落 ~」


ストーリー(函館市公式HPより引用)
「日本海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。
これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。」



「北前船(きたまえぶね)」とは、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北国廻船の名称で、例えば北海道(蝦夷地)から東京(江戸)へ向かう場合、日本海側から津軽海峡経由で太平洋へ抜ける東廻り航路と、日本海から瀬戸内海へ抜ける西廻り航路とがあったところ、後者を航行する船をこう呼んだとされています。
北海道から日本海をひたすら西へ向かい、関門海峡~瀬戸内海を経て江戸へ向かうなど、果てしなさ過ぎて気が遠くなりそうで、東廻り航路の方が遥かに時間も短く効率的な気がしますが、東廻り航路は、太平洋を北上する黒潮の流れと反対方向になることから、当時の船では航行が困難ということで、西廻りである北前船による航海が主流になったと言われています。

今年5月に認定された日本遺産のストーリーには、そんな北前船のゆかりの場所が挙げられています。





まず一箇所目は、函館山。
ここは、北前船の船乗りたちが、出港前に、日和(天候)をみた場所とされています。





2010年に復元された「箱館奉行所」。
かつての奉行所には、笏谷石(しゃくだにいし)と言って、北前船で運ばれてきた、福井県足羽山周辺で採掘される凝灰岩が礎石として使われていました。








「高田屋屋敷跡」。








「高田屋本店跡」。

この二箇所は、北前船で財を成した、高田屋嘉兵衛と弟の金兵衛の足跡を今に伝える場所です。




最後は「厳島神社」。
大漁祈願の社で、1837年に寄進された鳥居には、「加州橋立浦廻船中」(現在の石川県加賀市地方)とあり、北陸の北前船主からも信仰を得ていたことが記されています。
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