旧函館区公会堂の裏に立つ標柱。
「函館盲唖院」という、視覚と聴覚に障がいのある子供たちの教育に当たる機関がここにありました。
標柱から更に坂を上った所で一枚。
この学校は、1925年に「函館盲唖学校」として認可され、公会堂裏に校舎が建築されましたが、その歴史の中で特筆すべきこととして、1937年に、「奇跡の人」と呼ばれた、かのヘレン・ケラー女史の来訪ということがありました。
当時は満州事変(1936年)直後で日米関係が険悪な状況にありましたが、時のルーズベルトアメリカ大統領の親書を携えて来日したケラー女史は、同年6月21日に学校を訪問して生徒たちと交流の場を持ちました。
その前日には市内で講演会が開催され、詰めかけた多くの市民が、ケラー女史の姿と言葉に大きな感銘を受けたとされています。
しかし、直後の7月7日に発生した「盧溝橋事件」を受けて日中戦争が勃発し、国民の目が一気に戦争に向けられるようになり、国内各地を訪問していたケラー女史は、その後の予定を全て中止し、急遽アメリカへ帰国してしまいました。
最初の標柱に書かれているとおり、「函館盲唖学校」は、現在は盲学校と聾学校に分かれて、市内に移転しています。
ガイドブックには載っていない目立たない場所ですが、こういう場所に足を運んで、函館の教育史に大きな意味を残した学校の存在に思いを馳せるのもよいかと思います。
(標柱の場所はこちら)