北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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鉄路予定地を歩く~その5~

2017-09-28 19:33:21 | 函館
先週末は、いつもの西部地区を離れて、湯の川地区でぶらり歩きをしてきた。

そこで見つけた、旧戸井線の痕跡を幾つかご紹介します。





跨道橋。
今回はここからスタートします。
この位置から後方は、こちらこちらをご覧下さい。








ここにも大きな橋があります。





橋の下を流れるのは、温泉街の名前にもなっている「湯の川」。
「湯の川」とは、アイヌ語由来の地名で、「ユ・ペツ」(湯の・川)が語源とされています。





しばらく進むと、函館市内から南茅部地区へ向かう幹線道路と交差します。

横断歩道からすぐ左側に、一方通行を示す標識がありますね。もしかすると、その先も鉄路の予定地だったのかな・・・。

(ここまでのルートはこちら





ということで、更に進んでみました。





その先に、一つの公園が。





ん?何やら傾いているコンクリート製の標柱がありますね。
文字が書いてあります。何かの痕跡でしょうか・・・?





もったいぶっちゃったけど、実はこれこそが、この場所が戸井線の予定地だったことを示す痕跡なのです。
「工」というのは、明治政府下に設置されていた「工部省」という、社会基盤整備を担っていた官庁のことだと言われています。
もっとも、工部省自体は戸井線が事業化されるずっと以前の1885年に廃止され、鉄道事業は、内閣直属の鉄道省が担うことになりましたが、この「湯川幼児公園」という公園が、戸井線の湯川駅の予定地だったとされています。
(この公園の位置はこちら


今回はここまでですが、また時間を作って、戸井線の痕跡巡りをしてみたいと思います。

さて、これまでも触れてきたとおり、1937年に着工された戸井線は、一度も列車が走ることがないまま1943年に事業が中断されてしまいましたが、列車は走らなかったものの、ある別な目的で線路が使われたことがあったとされています。
それについては、また次の記事で。
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