函館駅や函館朝市にも近い市内大手町に、このような碑が設置されています。
これは、太平洋戦争終戦後の混乱期に、樺太(サハリン)から引き揚げて来た人達の苦労を偲ぶために設置されたもの。
敗戦当時、朝鮮、中国(満州)、樺太、千島など海外で生活する日本人は総勢660万人(民間人300万人、軍人360万人)以上とされていたが、敗戦に伴い、こうした人達の武装解除と民間人の引き揚げが急がれることとなったが、終戦間際にソ連(当時)が「日ソ中立条約」の有効期間満了を前に参戦したことにより、樺太や千島などからの引き揚げは順調には進まなかった。
樺太からの引き揚げが本格化したのは終戦の翌年である1946年からで、この年の12月5日に、「雲仙丸」という第一次引揚船が函館に到着してから、計5回311,877人が上陸。函館では、引揚援護局、検疫所、それに引揚者援護寮を設置するなどして引揚者の収容、支援に当たったが、残念なことに、引き揚げ途上や帰国後に、1,079人もの人達が亡くなったとされている。
1948年4月、引揚者やその遺族たちの援護更生と相互扶助を目的として、「全国樺太連盟」が結成され、その函館支部によって、1977年9月12に、「樺太引揚者上陸記念碑」が建立され、毎年この時期に、市主催の記念祭が開催されています。
(場所はこちら)
こちらは、市内の団体が制作した、戦争に関連するスポットと、そこにまつわるエピソードを紹介している「はこだてピースマップ」。
太平洋戦争はもとより、箱館戦争や、日清・日露戦争に関連するスポットも掲載されており、その中の一つとして、樺太からの引き揚げのエピソードも掲載されています。
「観光コースではない函館散歩」と書かれていますが、戦争の記憶の風化が危惧されている今、これに掲載されている場所を訪れ、そこで何が起こりどうなったのかということに思いを馳せるだけでも全然違うのではないかと思いながら読んでいます。
あくまでも個人的にですが、「はこだて検定」の参考書としても有効な気がしています。(ほんの数問だけど、これに掲載されている(公式テキストには掲載されていない)内容も過去に出題されています。)