豊平区に「水車町」という地域があります。
「すいしゃちょう」と読むのだけど、近くにある大学に通っていた私は、ずっと「すいしゃまち」だと思っていました。
友人達も同様だったので、もしかすると、通称的に「すいしゃまち」と呼ぶ人が多いのかもしれません。
(この文章を書くに当たり、「すいしゃちょう」だと一発変換されなかったけれど、「すいしゃまち」では見事一発変換されました。まあそれはどうでもいいか。)
因みに同じような例だと、江差町の隣の厚沢部町に「松園町」という地域があり、「まつぞの」が正しいんだけど、皆さん「しょうえん」と呼んでいて、何と何と、バス停まで「しょうえん」とアナウンスされています。
同じような例は、全国あちらこちらにありそうですね。
そんな「水車町」の一角に、町の名前を冠した公園があります。
このエリアには、明治20年代に、現在は埋め立てられている「水車川」という川を利用した水車小屋が作られ、精米、製粉などのための動力源として活用されており、そのことが町名の由来となっています。
この表示板にもあるとおり、公園のある場所も、その跡地の一つとなっています。
(「水車町公園」の場所はこちら。)
公園の脇に、遊歩道が整備されています。
もしかしたら、何か曰くのある道なのでしょうか。
早速行ってみましょ~う。(「ブラタモリ」の草なぎ氏のナレーション風に)
ああ、やはりそういうことでしたか。
この遊歩道が、先程触れた「水車川」の跡地だったんですね。
昭和53年に整備されてたんだ・・・、この辺りにはそれなりに土地勘があったつもりでいたけれど、全く知りませんでした。
ということで、住宅街を貫く遊歩道をズンズン進んでみましょう。
ここで一旦車道とぶつかります。
ここから再び遊歩道になります。
更に進んでいくと、同じような名前の公園がもう一つありました。
この公園を過ぎた辺りで、いつの間にか遊歩道らしき姿は消え、普通の道路にぶつかります。
そして、周辺をグルグルと回った先にあるのが、この小さな神社。
「水車川」は、この神社の辺りで豊平川から分岐していたとのことです。
この神社の紹介も含め、続きはまた次回。
(この神社の場所はこちら。)