今、北海道では、来年のセンバツ大会に繋がる秋の高校野球全道大会が開催されているのだが、昨日の試合で釧路の高校が勝利をおさめ、30年ぶりにベスト8に進出したということが、今朝の新聞に見出し入りで載っていた。
それ自体素晴らしいことだと思うけど、じっくり記事を読んで思わず驚いてしまったのが、「昭和63年(1988年)以来30年ぶり」という表記。
「えーっ、1988年って、もう30年前になっちゃうの!?」と思ってしまいました。
ということで、今日は、1988年を振り返る話。
この年私は中学3年生。ぶっちゃけ色々とあったクラスだったので、いい思い出もあれば、それと同じくらい思い出したくないこともあったのだが、そういうことも含めて、今となっては印象深い一年だったのかなと思える年だった。
前半の出来事としては、6月下旬に、東北へ行った修学旅行がよい思い出。
この年の3月に青函トンネルが開通したので、私達より一つ上の学年までは青函連絡船に乗っていたのが、私達の学年からは、青森まで列車での往復になった。
初日に秋田県の大滝温泉に泊まり、2日目は弘前~十和田湖と回って十和田湖泊、3日目は古牧温泉泊という行程だったのだけど、一番印象的だったのは弘前だったかな。
それまで、城らしい城は松前城しか見たことがなかったので、その大きさに圧倒されていたように記憶している。
修学旅行といえば、今はどうか知らないけど、夜は枕投げというのが定番になっていて、私達も、確か十和田湖に泊まったときにやった気がする。
そんなこともあって夜も遅くまで起きていて疲れが出たのか、戻ってきてから高熱が出てしまうというオマケがついてしまったが、全体的には楽しめたと思っています。
JR青森駅のホーム。
当時はまだエスカレーターはなかったけど、卒業アルバムに、私を含めたクラスの面々が、この階段を下りてくる写真が載っています。
次に夏休み。この頃から、高校受験に備えて夏期講習に通う人が増えだしたが、私は、仲の良かった同級生に誘われて、当時札幌駅北口にあった「代々木ゼミナール」の中学コースに通うようになった。
他のクラスの人も何人か来ていて、ここで新しい友人ができたりもして、勉強は大変だったものの楽しく過ごせたかなと思うけど、一番よく覚えているのは、やっぱりこれかな。
リンク記事にも書いているけれど、オーダーした物を私に間違えて食べられてしまった方、本当に申し訳ありませんでした。
代ゼミには、2学期に入ってからも、土曜日と日曜日のコースに通っていて、土曜日には、早く家を出て、午後3時に講座が始まるまでの間、札幌駅周辺で、今の趣味に繋がっているような町歩きを楽しんだのもよい思い出。
そうそう、夏休みといえば、私達の学年で、大変残念なお知らせが相次いでしまいました。
確か7月の末だったと思うのだけど、違うクラスの男子が交通事故で亡くなってしまい、それから数日後、同じく違うクラスの女子が白血病で亡くなってしまったのです。
このうち白血病で亡くなった女子は、1年生のとき同じクラスで、みんなで千羽鶴を折って、私も含めて数名で病院に持って行ったということがあったので、本当に残念だったのを覚えています・・・。
2学期に入り、みんな受験勉強に本腰を入れることになったけど、私は、高校に入ったら「高校生クイズ」に出場するということが頭の中の大部分を占めていたので、受験勉強もしつつ、録画した放送をビデオで見返したり、日本テレビから出版されていた毎回の本をじっくりと読んだりしたものだった。
その結果は、残念ながら三年間全て第一次予選で敗退というものだったけど、こういう中学時代のことも含めて、「高校生クイズ」は私の青春時代の大切な思い出となっています。
因みに、夏期講習のところで書いた、私を代ゼミの夏期講習に誘った同級生。彼もまた「高校生クイズ」や「アメリカ横断ウルトラクイズ」が好きで、翌年父親が埼玉県に転勤になったため、彼も埼玉県の高校に進学したのだけど、お互いに全国大会に進出して東京で再会するという約束を果たせなかったというのもまた、残念なことでした。
彼は今どうしているのかなあ・・・。引っ越さなかったら、道内でもトップクラスの進学校に進んでいたであろう実力があり、実際に進学したのも埼玉県内で上位に入る進学校だったそうなので、首都圏の偏差値の高い大学にでも進んだのかなあ・・・。
最後にもう一つ。この年の11月に、今の自宅が完成するという出来事がありました。
二世帯住宅で、当時私と両親の住んでいた地域からは結構離れていたので、先に祖父母が住み始め、私と両親は、私が中学を卒業するまでの間は、少しずつ荷物を運び、土曜日限定で何度か泊まりに行ってたのだけど、新築の家に住むのはこれが初めてだったので、「ああ、これからこの家に住むんだなあ」という実感を強く持ったのを覚えています。
とまあ、これ以外にも思い出は色々とあるのだけど、長くなるのでこの辺で。
そうか、もう30年も経つのかあ・・・。信じられないというのが正直な実感です。
それ自体素晴らしいことだと思うけど、じっくり記事を読んで思わず驚いてしまったのが、「昭和63年(1988年)以来30年ぶり」という表記。
「えーっ、1988年って、もう30年前になっちゃうの!?」と思ってしまいました。
ということで、今日は、1988年を振り返る話。
この年私は中学3年生。ぶっちゃけ色々とあったクラスだったので、いい思い出もあれば、それと同じくらい思い出したくないこともあったのだが、そういうことも含めて、今となっては印象深い一年だったのかなと思える年だった。
前半の出来事としては、6月下旬に、東北へ行った修学旅行がよい思い出。
この年の3月に青函トンネルが開通したので、私達より一つ上の学年までは青函連絡船に乗っていたのが、私達の学年からは、青森まで列車での往復になった。
初日に秋田県の大滝温泉に泊まり、2日目は弘前~十和田湖と回って十和田湖泊、3日目は古牧温泉泊という行程だったのだけど、一番印象的だったのは弘前だったかな。
それまで、城らしい城は松前城しか見たことがなかったので、その大きさに圧倒されていたように記憶している。
修学旅行といえば、今はどうか知らないけど、夜は枕投げというのが定番になっていて、私達も、確か十和田湖に泊まったときにやった気がする。
そんなこともあって夜も遅くまで起きていて疲れが出たのか、戻ってきてから高熱が出てしまうというオマケがついてしまったが、全体的には楽しめたと思っています。
JR青森駅のホーム。
当時はまだエスカレーターはなかったけど、卒業アルバムに、私を含めたクラスの面々が、この階段を下りてくる写真が載っています。
次に夏休み。この頃から、高校受験に備えて夏期講習に通う人が増えだしたが、私は、仲の良かった同級生に誘われて、当時札幌駅北口にあった「代々木ゼミナール」の中学コースに通うようになった。
他のクラスの人も何人か来ていて、ここで新しい友人ができたりもして、勉強は大変だったものの楽しく過ごせたかなと思うけど、一番よく覚えているのは、やっぱりこれかな。
リンク記事にも書いているけれど、オーダーした物を私に間違えて食べられてしまった方、本当に申し訳ありませんでした。
代ゼミには、2学期に入ってからも、土曜日と日曜日のコースに通っていて、土曜日には、早く家を出て、午後3時に講座が始まるまでの間、札幌駅周辺で、今の趣味に繋がっているような町歩きを楽しんだのもよい思い出。
そうそう、夏休みといえば、私達の学年で、大変残念なお知らせが相次いでしまいました。
確か7月の末だったと思うのだけど、違うクラスの男子が交通事故で亡くなってしまい、それから数日後、同じく違うクラスの女子が白血病で亡くなってしまったのです。
このうち白血病で亡くなった女子は、1年生のとき同じクラスで、みんなで千羽鶴を折って、私も含めて数名で病院に持って行ったということがあったので、本当に残念だったのを覚えています・・・。
2学期に入り、みんな受験勉強に本腰を入れることになったけど、私は、高校に入ったら「高校生クイズ」に出場するということが頭の中の大部分を占めていたので、受験勉強もしつつ、録画した放送をビデオで見返したり、日本テレビから出版されていた毎回の本をじっくりと読んだりしたものだった。
その結果は、残念ながら三年間全て第一次予選で敗退というものだったけど、こういう中学時代のことも含めて、「高校生クイズ」は私の青春時代の大切な思い出となっています。
因みに、夏期講習のところで書いた、私を代ゼミの夏期講習に誘った同級生。彼もまた「高校生クイズ」や「アメリカ横断ウルトラクイズ」が好きで、翌年父親が埼玉県に転勤になったため、彼も埼玉県の高校に進学したのだけど、お互いに全国大会に進出して東京で再会するという約束を果たせなかったというのもまた、残念なことでした。
彼は今どうしているのかなあ・・・。引っ越さなかったら、道内でもトップクラスの進学校に進んでいたであろう実力があり、実際に進学したのも埼玉県内で上位に入る進学校だったそうなので、首都圏の偏差値の高い大学にでも進んだのかなあ・・・。
最後にもう一つ。この年の11月に、今の自宅が完成するという出来事がありました。
二世帯住宅で、当時私と両親の住んでいた地域からは結構離れていたので、先に祖父母が住み始め、私と両親は、私が中学を卒業するまでの間は、少しずつ荷物を運び、土曜日限定で何度か泊まりに行ってたのだけど、新築の家に住むのはこれが初めてだったので、「ああ、これからこの家に住むんだなあ」という実感を強く持ったのを覚えています。
とまあ、これ以外にも思い出は色々とあるのだけど、長くなるのでこの辺で。
そうか、もう30年も経つのかあ・・・。信じられないというのが正直な実感です。