グループ3 マチづくり計画の中で設置された歌碑
啄木の歌碑巡りの第3グループとしては、平成5年(1993年)に完了した「米町都市改造事業」「ふるさとふれあい事業」という二つの事業を通して、橋南地区に建立された14の歌碑を紹介します。
数が多いので、二回に分けて紹介します。
「北の海 鯨追う子等 大いなる 流氷来るを 見ては喜ぶ」
釧路近海では、江戸時代に鯨が現れたとする伝承があり、また、捕鯨のための外国船が薪水を求めて厚岸に来航する機会があったとされています。
釧路は、あまり知られてはいないのかもしれませんが、平成14年(2002年)に水産庁から調査捕鯨基地に指定され、同16年(2004年)には「鯨に親しむ市民の集い」が開催されるなど、鯨とは縁の深い町。啄木の歌碑にも、こうして鯨が登場するものがあったんですね。
場所は、「南大通」と呼ばれる米町へ向かう道道沿いのこちらです。
「わが室に 女泣きしを 小説の なかの事かと おもひ出づる日」
この歌で詠まれている「女」とは、啄木と、啄木が振ったとされる女性との仲立ちをしたとされる女性で、その女性が、啄木に振られた女性に悪態をつかれ、啄木の部屋で泣いたという話を詠んだ歌とされています。
そんな複雑とも言える話を詠んだ歌の歌碑は、前回紹介した釧路信用金庫南支店に近いこちらです。
「山に居て 海の彼方の 潮騒を 聞くとしもなく 君を思ひぬ」
先の「北の海~」と同じく、有名な歌集「一握の砂」には収録されておらず、啄木が、釧路新聞の「釧路詞壇」で発表したとされている歌です。
釧路滞在中の啄木は、76日間という短い期間に数多くの女性とのエピソードがあったとされているようですが、ここで登場する「君」とは、少し調べた限りでは誰なのか確認できませんでした。調べてみるのも面白いと思います。
後日別途紹介しようと思いますが、「休み坂」という坂の下に設置されています。
坂の名を記した碑も設置されています。
「三味線の 絃のきれしを 火事のごと 騒ぐ子ありき 大雪の夜に」
これもまた、啄木が贔屓にしていた芸妓のことを詠んだ歌といわれているそうです。
本当、沢山の女性が登場しますね。
場所はこちらです。
「春の雨 夜の窓ぬらし そぼふれば 君が来るらむ 鳥屋に鳩なく」
雨の降る夜に、小奴からの手紙の返事を書いていたときの情景と思いを詠んだ歌とされています。
「米町本通」から「厳島神社」へ通じる参道の入口近くにあります。(こちら)
「顔とこゑ それのみ昔に 変らざる 友にもあひき 国の果にて」
啄木と同郷にして、釧路新聞社の社員でもあった「佐藤衣川」という人物を詠んだ歌とされています。
はるばるやってきた釧路で同郷の友に再会した心情を詠んだ歌と思われますが、この「佐藤衣川」が、啄木と本行寺の歌留多会で知り合った看護婦、梅川操と微妙な関係になったことが、啄木が76日で離釧することとなった間接的な要因とされています。
先日紹介した「定光寺」の正門斜め向かいにあります。(こちら)
最後は、こちらも先日紹介した弁天ヶ浜の踏切前にある、
「さらさらと 氷の屑が 波に鳴る 磯の月夜の ゆきかへりかな」
は、女性絡みではなく、冷たく凍った砂浜を歩いたときのことを詠んだ歌とされています。
啄木の歌碑巡りの第3グループとしては、平成5年(1993年)に完了した「米町都市改造事業」「ふるさとふれあい事業」という二つの事業を通して、橋南地区に建立された14の歌碑を紹介します。
数が多いので、二回に分けて紹介します。
「北の海 鯨追う子等 大いなる 流氷来るを 見ては喜ぶ」
釧路近海では、江戸時代に鯨が現れたとする伝承があり、また、捕鯨のための外国船が薪水を求めて厚岸に来航する機会があったとされています。
釧路は、あまり知られてはいないのかもしれませんが、平成14年(2002年)に水産庁から調査捕鯨基地に指定され、同16年(2004年)には「鯨に親しむ市民の集い」が開催されるなど、鯨とは縁の深い町。啄木の歌碑にも、こうして鯨が登場するものがあったんですね。
場所は、「南大通」と呼ばれる米町へ向かう道道沿いのこちらです。
「わが室に 女泣きしを 小説の なかの事かと おもひ出づる日」
この歌で詠まれている「女」とは、啄木と、啄木が振ったとされる女性との仲立ちをしたとされる女性で、その女性が、啄木に振られた女性に悪態をつかれ、啄木の部屋で泣いたという話を詠んだ歌とされています。
そんな複雑とも言える話を詠んだ歌の歌碑は、前回紹介した釧路信用金庫南支店に近いこちらです。
「山に居て 海の彼方の 潮騒を 聞くとしもなく 君を思ひぬ」
先の「北の海~」と同じく、有名な歌集「一握の砂」には収録されておらず、啄木が、釧路新聞の「釧路詞壇」で発表したとされている歌です。
釧路滞在中の啄木は、76日間という短い期間に数多くの女性とのエピソードがあったとされているようですが、ここで登場する「君」とは、少し調べた限りでは誰なのか確認できませんでした。調べてみるのも面白いと思います。
後日別途紹介しようと思いますが、「休み坂」という坂の下に設置されています。
坂の名を記した碑も設置されています。
「三味線の 絃のきれしを 火事のごと 騒ぐ子ありき 大雪の夜に」
これもまた、啄木が贔屓にしていた芸妓のことを詠んだ歌といわれているそうです。
本当、沢山の女性が登場しますね。
場所はこちらです。
「春の雨 夜の窓ぬらし そぼふれば 君が来るらむ 鳥屋に鳩なく」
雨の降る夜に、小奴からの手紙の返事を書いていたときの情景と思いを詠んだ歌とされています。
「米町本通」から「厳島神社」へ通じる参道の入口近くにあります。(こちら)
「顔とこゑ それのみ昔に 変らざる 友にもあひき 国の果にて」
啄木と同郷にして、釧路新聞社の社員でもあった「佐藤衣川」という人物を詠んだ歌とされています。
はるばるやってきた釧路で同郷の友に再会した心情を詠んだ歌と思われますが、この「佐藤衣川」が、啄木と本行寺の歌留多会で知り合った看護婦、梅川操と微妙な関係になったことが、啄木が76日で離釧することとなった間接的な要因とされています。
先日紹介した「定光寺」の正門斜め向かいにあります。(こちら)
最後は、こちらも先日紹介した弁天ヶ浜の踏切前にある、
「さらさらと 氷の屑が 波に鳴る 磯の月夜の ゆきかへりかな」
は、女性絡みではなく、冷たく凍った砂浜を歩いたときのことを詠んだ歌とされています。