北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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函館との繋がり

2019-01-26 18:52:32 | 釧路&釧根地方
今朝のNHK北海道ローカルニュース番組で函館の特集をやっていたのだが、函館を離れてもうすぐ10ヶ月、色々な所で函館の映像を見たり、函館の情報を入手したりするにつけ、函館が懐かしくて仕方がなくなってきている。
だからというわけじゃないけど、今日は、釧路市内にあるスポットの中で、函館と関連の深いものを一つご紹介します。








以前紹介した、釧路市弥生町(「橋南地区」)にある、釧路最初のお寺と言われる「聞名寺(もんみょうじ)」。








この奥に、函館と関連の深い碑が一つ設置されています。








これは、「雷電丸氷難溺死之碑」というもので、明治25年(1892年)4月3日、釧路港沖合において、浜中町へ向けて航行中であった「雷電丸」という船が流氷に衝突して遭難死、乗客23名、乗員17名が犠牲になってしまったことを悼むものですが、この「雷電丸」は、函館の金森商船株式会社所属の船で、この碑も、同社と亡くなられた乗客乗員の遺族の手によって建立されたものだそうです。

「雷電丸」は、1877年に開設された、函館と釧路を結ぶ定期輸送蒸気船で、函館からは雑貨、釧路からはサケ、マス、コンブなどを積み、鉄道開設以前には旅客輸送も行っていたそうです。
この当時は函館と釧路の経済的な密着度が高く、金森商船株式会社は釧路にも出張所があり、この一件を悼む意味で、供養が続けられているとのことです。

※ 「釧路新書 釧路碑文手帳Ⅰ」より。


「聞名寺」の場所はこちら
なお、この碑は、今の時期こそこうして敷地内の通路から(ズームで)見えますが、春~秋は草木でよく見えず、恐らくは(季節に関係なく)許可がないと立入ができないと思われますので、御注意下さい。
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