集団的自衛権の行使は違憲だが、個別的自衛権を行使するための自衛隊は必要であり、かつ、憲法9条の改正は必要ない――と考えるのが、国民の多数派である。しかし、祖父の代からの悲願「憲法9条改正」に燃える安倍首相は、参院選での圧勝を背景に改憲へ舵を切っています。その足元で改憲勢力は『砂上の楼閣』となりつつあります。本来は一角を担うはずの公明党が党本来の護憲の姿勢を示したのです。成立を急いだ安全法制成立の影響です。なんだかぐじゃぐじゃになってきましたが、憲法改正論議は連立の枠組みも含めて、ますます揉めそうです。
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公明党の山口那津男代表は15日、東京都内で街頭演説し、「憲法9条の下で、厳しさを増す安全保障環境に対応するために平和安全法制(安全保障法制)をつくった。これを自ら否定するような議論をするつもりはない」と述べ、憲法9条改正の議論は必要ないとの考えを示した。
山口氏は「(安保法制により)切れ目のない防衛体制をつくっていける法的基盤を整えた」と強調。「日本が自衛権を使うにしても、もっぱら他国を防衛するための集団的自衛権の行使は認めないというのが憲法の考え方だ」とも述べ、安保法制の成立で、憲法9条改正の必要性がなくなったとの認識を示した。
❷多くの国民が、個別的自衛権の行使は憲法9条に違反しないと考えている。従来の政府解釈は、広く国民に支持されていると言えよう。
長谷部恭男・早稲田大学教授が、集団的自衛権行使容認に踏み切る以前の政府解釈は「機能する解釈」だったとするのも(「藤田宙靖教授の『覚え書き』について」(同『憲法の理性』補章Ⅱ)、そのような趣旨だろう。
そうすると、「憲法13条で、憲法9条の例外が認められる」という解釈は、憲法の文言の「素直」な理解であり、帰結も「自然」である。また、多くの「国民の理解」もある。
もちろん、特殊な解釈技法を駆使したり、絶対平和主義の道徳を至上の価値と位置付けることを前提にしたりして、憲法9条を優先させる解釈をすることもできなくはない。
しかし、それは、かなり不自然で技巧的な解釈であり、国民が理解しやすいものでもない。要するに、自衛隊違憲説の方が、「不自然」で「国民に分かり難い」解釈である。
「憲法を素直に読めば自衛隊は違憲だ」式の論壇の議論も、憲法の素直な解釈をしているわけでなく、意識的・無意識的な絶対平和主義の道徳へのコミットメントや、単に日本国憲法の悪口を言いたいという気持ちから導かれた議論なのではないか。
というわけで、自衛隊の合憲性を明確にするために、憲法9条を改正する必要はないだろう。