日本はコロナ禍で当たり前のように「老人」の「健康」を守るために「若者」と「現役世代」の「生活」に犠牲を強いてきました。
「高齢者の死亡率」を抑えることは出来ましたが、今後犠牲を強いられたことによる「出生数の減少」と「自粛生活が全世代の平
均寿命にもたらす悪影響」のが徐々に明らかになってくるでしょう。きれいごとしか言えない日本は“自国の危機”に向き合えないの
です。「家族」を重視することで、勤勉で秩序ある日本社会の基礎が築かれてきたわけですが、子育てや介護のすべてを「家族」
で賄うことなどできません。もはや行われている事件等からも「家族」の過剰な重視が「家族」を殺す「家族」にすべてを負担させ
ようとするとする風潮そのものがおかしいのです。現在の「非婚化」や「少子化」が示しているように、かえって「家族」を消滅さ
せてしまうのです。「家族」を救うためにも、早急に公的扶助で「家族」の負担を軽減する必要があります。行動を迅速に起こせる
優柔不断ではなく指導力のある政治家が必要ですね。
以下抜粋コピー
今回の新型コロナウイルスのパンデミックは、歴史の流れに何か新しい変化を加えたわけではない、と私は見ています。しかし一種
の“スキャナー”のように、世界各国の状況を浮き彫りにする役割を果たしました。 まず見過ごすべきでないのは「世代間の問題」
です。新自由主義が推進してきた数十年にわたるグローバリズムで恩恵を受けてきたのは「先進国の高齢者(戦後のベビーブーマー
世代)」で、産業の空洞化で最も犠牲を強いられたのは「先進国の若い世代」です。あくまで冗談めいた比喩ですが、コロナによる
死者が高齢者に集中しているのは、あたかも「グローバル化のなかで優遇されてきた高齢者を裁くために、神がウイルスを送り込ん
だ」と見えなくもありません。 ただ同時に、新型コロナは「老人支配」が依然として続いていることも明らかにしました。「死者
数」は膨大でも、その大部分は高齢者。現役世代の死者はわずかで、コロナ以前に想定されていた高齢者の寿命を縮めはしたものの
人口動態全体に与えるインパクトは大きくありません。要するに「老人」の「健康」を守るために「若者」と「現役世代」の「生活」
に犠牲を強いたわけです。日本のように「高齢者の死亡率」を抑えた国でも、今後「出生数の減少」と「自粛生活が全世代の平均寿
命にもたらす悪影響」の方が明らかになってくるでしょう。社会が存続する上で「高齢者の死亡率」よりも重要なのは「出生率」で
あることを忘れてはいけません。 フランスでは、現在、50歳以上ではなく、健康リスクがほとんどない12歳以下の子供を対象に
したワクチン接種の義務化が議論されています。社会全体で感染を抑えることは健康リスクのある高齢者には有益ですが、これなど
も「老人支配」の極みと言えます。
「老人支配」の進む日本
「老人支配」は先進国共通の現象です。2020年時点での各国の中位年齢(推定)は、日本48・9歳、ドイツ47・4歳、フランス41・
9歳、米国38・6歳(総務省統計局「世界の統計2016」)です。こうした「高齢化」は社会にどんな影響を与えているのでしょうか。
私は『老人支配国家 日本の危機』(文春新書)において「英米のアングロサクソン社会が常に世界史を牽引してきた理由」につ
いてこう述べました。「『創造的破壊』という概念と深い関わりを持っています。『創造的破壊』とは、自分が作り出したものを自
分自身で破壊し、新しいものを創ることです。英国人と米国人はそれに長けているのです。しかし、それはフランス人、ドイツ人
日本人には難しい。ではなぜ、英米は『創造的破壊』が得意なのか。その深い理由は、英米の伝統的家族形態、すなわち『絶対核家
族』にあります。絶対核家族においては、子供は大人になれば、親と同居せずに家を出て行かなければならない。しかも、別の場所
で独立して、親とは別のことで生計を立てていかなければならない。これらのことが、英米の人々に『創造的破壊』を常に促してい
ると考えられます」
「何も生産しない老人」が力を持つ国
しかし現在、アングロサクソン社会でさえ、高齢化により「創造的破壊」にブレーキがかかっています。従来の政治哲学は「中位
年齢が30歳程度の社会」を前提に議論してきましたが、もし「中位年齢が50歳の社会」となれば、そもそもの前提が異なってきます。
例えばフランスは、個人主義的で「普通選挙」が大きな役割を果たしている国です。しかしその「普通選挙」が事実上「老人支配」
の道具と化しています。有権者の高齢化で「何も生産しない老人」が力をもち、「生産をする若者」が疎外されているのです。「普
通選挙」を信奉する私でも「70歳にもなる私のような高齢者からは投票権を剥奪すべきではないか」と思うほどです。「労働する人
々」「子供をつくる人々」こそ社会の中心にいるべきで、政治権力も彼らに戻すべきなのです。 2022年4月に大統領選を控えるフラ
ンスは、マヒ状態に陥っています。右派候補者ばかりで、右派の支持率が合計で約8割を占めているのです。「無秩序」と「革命」の
国であるフランスがこれほど右傾化しているのも「老人支配」の現れです。有権者が高齢化しているだけでなく、「老人的思考」が支
配的になり、若者も「老人のように考える」ようになってしまったのです。かつての若者は退職後の生活やアパルトマンの購入につい
て思い煩うことなどなかったのに、今はそうではありません。こうした若者の傾向は先進国共通の現象です。
韓国、台湾…儒教国家で「老人支配」が進む理由
「絶対核家族(親の遺言で相続者を指名)」の米国や「平等主義核家族(平等に分割相続)」のフランスより「直系家族(長子相続)」
の日本やドイツの方が「高齢化」が進んでいます。しかしまず指摘したいのは「直系家族社会だから老人支配から脱却できない」と考
える必要はないことです。「直系家族」は権威主義的な社会ですが、その強みは、明治維新のように“上からの改革”が得意な点にあり
ます。つまり「老人支配」の問題をエリートが意識さえすれば、方向転換できるチャンスはあるわけです。 ところが現実の日本は“自
国の危機”に向き合えていないようです。「家族」を重視することで、勤勉で秩序ある日本社会の基礎が築かれてきたわけですが、子育
てや介護のすべてを「家族」で賄うことなどできません。「家族」の過剰な重視が「家族」を殺す――「家族」にすべてを負担させよ
うとすると、現在の「非婚化」や「少子化」が示しているように、かえって「家族」を消滅させてしまうのです。「家族」を救うため
にも、公的扶助で「家族」の負担を軽減する必要があります。 日本だけではありません。韓国、台湾、中国といった東アジア諸国も同
様の“危機”に直面しています。欧米諸国における「老人支配」が「普通選挙」を通じたものだとすれば、東アジア諸国では「儒教」の存
在が「老人支配」の度合いをさらに強めています。「儒教」が誕生した約2000年前の中国は「直系家族」(現在は「外婚制共同体家族」
で「兄弟間の平等」という価値観が加わる)社会で、「直系家族の価値観」を正当化するイデオロギーが「儒教」です(中国は核家族→
直系家族→外婚制共同体家族、日本と韓国は核家族→直系家族と変遷)。「親」と「老人」を敬う儒教社会では「成人した子供」が「親
の世話」を担います。しかし「親の世話」の負担が過大になれば、「子供を産み育てる」エネルギーは削がれてしまいます。東アジア諸
国では「1人も子供を産まない女性」が25~30%にも達し、出生率が異常に低く、日本と中国は1・3程度、韓国と台湾は1・0程度です。
出生率は2・0に近い水準でなければ、社会は現状の人口規模を維持できません。 さらに今日「経済至上主義」が世界を席巻し、我々
は眼前にある“危機”に知的に無防備な状態に置かれています。思想が現実に追いついていないのです。「老人支配」の下で「経済」ばか
りが論じられていますが、「人口」こそ真の問題です。その点で最も思想的に後れをとっているのが、韓国と台湾。「経済的に成功した
国」として持て囃されていますが、「人口学的な自殺」を遂げつつあります。いくら経済で成功を収めても、出生率が1・0程度では社会
自体が存続できません。
(エマニュエル トッド氏)