・・・「菩提心とは如何」というに、それに対して如来は「実の如く自心を知る也」と答え、続いて「自心とは如虚空の相」にして「自らに尋求すべきもの」と答えておられる。( 「祕密主云何が菩提とならば、謂く、如實知自心なり」。祕密主、是の阿耨多羅三藐三菩提は乃至彼の法として少分も得べきことあることなし。何以故。虚空の相は是れ菩提なり。知解の者もなく亦た開曉のものもなし。何を以っての故に、菩提は無相なるが故に . . . 本文を読む
釈雲照師「十善業道経講義」
「十善業道経に『忍辱の荘厳のゆえに仏の円音を得て衆の衆好を具し』とある・・(以前、「忍辱」とはいかにも消極的な言葉で前近代的で好きになれませんでしたが先日アップしたようにパラリンピアンの「状況を受け入れることは限界を受け入れることではない」という言葉に出会い、この「忍辱」というのはまさにこれであろうと思いました。状況は受け入れるがそこに甘んじるのではなく果敢に状況に挑 . . . 本文を読む