弘仁十三年(822)二月十一日は、大師が東大寺に灌頂道場を建立された日です。高野大師伝に「弘仁十三年二月十一日、下官符於治部省偁「去年冬雷。恐有疫水。空海法師に宣せられ東大寺において国家の為に灌頂道場を建立すせしむ。夏中及び三長斎月、息災増益法を修し以て鎮護国家と為す」 . . . 本文を読む
今日二月十一日は大師が大宰府に住し、大宰少弐田中氏の先妣の周忌斎を行いその願文を起草された日です。「田少弐が先妣の忌斎を設くる為の願文 一首」 「恭んで惟れば身体を陶冶するは二親の恩重し、岳瀆を酬報せんこと仏にあらざれば誰にか帰せん。沒駄の力もって為さざるところなし。これを憑み、これを仰げば怨親なおし子のごとし。神通縁あり、悲願極りなし。利楽抜済の倦むこと憚らず。汪汪たる徳、言絶え、思断えたり。/ . . . 本文を読む
今日は隋心院流祖増俊の遷化された日です。以下密教辞典等によります。増俊は応徳元年1084から長寛3年、永万元年1165、2月11日。堀川中納言国俊の息。幼時に出家し厳覚に勧修寺勝福院で伝法灌頂を受けその法統をついで住坊随心院に一流を立てた。門下に顕厳・禅念。 . . . 本文を読む
日本の国体の基礎は神仏一体である事日本の国体の基礎はあくまで「神仏一体」です。明治の神仏分離以来是を否定してきたために日本国は数数の危機に立たされ続けているのです。例えば日清・日露戦争、関東大震災、二度の原爆被災・敗戦と天皇制の危機、東日本大大震災と原発事故、コロナ・・。そしてこれらの根底にある政財官の私益追求主義、どれをとっても日本国が存続していることが奇跡です。明治以降わずか150年の間に、こ . . . 本文を読む
「また毘舎佉母(びしゃきゃも、古代インドの大臣夫人)の指の環の 落ちて入り江に沈みしも 元の指端に 還りたる ためしは実にいなまれず」これは十善戒の第二、不偸盗戒を讃嘆するなり。昔佛世尊、広厳城より出て逝多林給孤独園(ぜーたりんぎじゅぎっこどくおん、祇園精舎のこと)に来たりて住したまう。そのときに勝光王の大臣の夫人に毘舎佉母鹿子母(びしゃかろくしも、お釈迦様の女性弟子の一人、鹿子母講堂を寄進したこ . . . 本文を読む
「橿原奠都の詔」等(日本書紀巻三)
「・・三月辛酉丁卯の日、命を下して曰く、
『我東に征きしより茲に六年になりぬ。皇神の威を頼りて、凶徒就戮されぬ。辺土未だ清らず。余の妖尚梗(こわ)しといへども、中州之地また風塵なし。誠によろしく皇都を恢廓(ひらきひろ)め、大壮(みあらか)を規(はかり)つくるべし。而して今、運屯蒙(ときわかくくらき)にあひ、民の心朴素なり。巣にすみ穴にすむ習俗、これ常となれり . . . 本文を読む