福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

日本の国体の基礎は神仏一体である事

2023-02-23 | 法話

日本の国体の基礎は神仏一体である事
日本の国体の基礎はあくまで「神仏一体」です。明治の神仏分離以来是を否定してきたために日本国は数数の危機に立たされ続けているのです。例えば日清・日露戦争、関東大震災、二度の原爆被災・敗戦と天皇制の危機、東日本大大震災と原発事故、コロナ・・。そしてこれらの根底にある政財官の私益追求主義、どれをとっても日本国が存続していることが奇跡です。明治以降わずか150年の間に、このような日本国そのものの存亡の危機に何度も立たされるということは尋常ではありません。いままでの日本歴史にはなかったことです。日本国の基盤がおかしくなっているとしか言いようがありません。この原因は千数百年にわたる日本の神仏一体の精神基盤を明治維新でむりやり壊したことによる他ないと考えられます。
以下神仏一体が日本の基礎であったことの例証を示していきます。
1、まず例えば、西行は伊勢で「さかきばに心をかけむ ゆうしでを おもえば神も仏なりけり」と詠み、西行物語には「胎金両部を統合される大日如来様は伊勢の内宮では胎蔵界大日となり、外宮では金剛界大日となり、並び祀られている」という趣旨の記述もあります。以前の日本ではこういう神仏一体論が常識であったと思われます。
2、こういう神仏一体論の根拠の一つとして、御大師様の記と伝えられる「天地麗気記」があります。この最初には以下の様に記されてあります。
『天神七葉(国之常立神(くにのとこたちのかみ)豊雲野神(とよぐもぬのかみ)宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)伊邪那岐神・伊邪那美神)は過去七佛(毘婆尸仏; 尸棄仏; 毘舎浮仏; 倶留孫仏; 倶那含牟尼仏; 迦葉仏; 釈迦仏)の転じて天の七星(貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍)とあらわる。地神五葉(天神七代に続き、神武天皇以前に日本を治めた5柱の神。天照大神・天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・ 草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は現在の四佛(宝幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音)に遮那(大日如来)を加増して五佛となす。化して地の五行神(土神=ハニヤスヒコノカミ ・火神 =カグツチノカミ・金神=カナヤマヒメノカミ・水神=ミズハノメノカミ ・木神=ククノチノカミ)となる。供奉の十六葉の大神大小尊は賢劫の十六尊なり。おもうに昔因地にいまして菩薩の道を行じたまふ。時に千たび生まれ、萬たび生まれて百葉より百世を重ね千千に旦って國を守ります神に座ます。
・・伊弉諾尊ハ金剛界。俗躰、男形ニシテ、馬鳴菩薩ノ如ク、白馬ニ乗テ、手ニ斤(はかり)ヲ持チテ、一切衆生ノ善悪ヲ、之ヲ量リタマフ。伊弉冊尊ハ胎蔵界。俗躰、女形ナリ。但シ阿梨樹王ノ如シ。荷葉ニ乗ジテ説法、利生ス」と述べ、この諾冊二尊が「幽契ヲ為シテ一女三男ヲ所産ス。一女トハ天照皇太神」・・』
3、各神社の参詣曼荼羅には必ず神仏が一体として描かれてきています。例えば春日曼荼羅には春日社の四所明神等から本地の仏様(お釈迦様、弥勒、地蔵、一一面観音)として現れる様子が書かれていますし、富士参詣曼荼羅にも頂上には阿弥陀様が描かれています。
4、そうしてさらに、日本国の危機の時は、常に神仏一体で祈りが捧げられてきました。蒙古襲来では全国の神社仏閣で神仏一体となった祈願が行われています。一例として八幡愚童記には蒙古襲来時に叡尊上人等七百人の浄侶が石清水八幡で、「大般若一部、最勝王経百部、仁王講百座、・・一切経転読」「狩尾社に・・理趣経転読・・」等の結果神風により蒙古が撃退された、とあります。このように危機の時は神社でも密教の修法を行うことは常識であったのです。
5、明治維新までは天皇の即位式は神仏一体でした。即位灌頂をうけられ大日如来の印信も授かっておられました。

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