福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

太上感応篇(新)

2020-05-29 | 諸経
太上感応篇(道教の経典。南宋 の李昌齢 が太上老君 (老子) のお告げをまとめて編んだ

(第一段落 結論)
太上 曰わく
禍福は門無し。唯人自からまねく。善悪の報いは影の形に随ふが如し。

(第二段落 応報)
是を以て天地には司過の神有りて、人の犯す所の軽きと重きとによりて
以て人の算(いのちのかず)を奪う。算減ずる時は則ち貧しくおとろえ、多く憂患に逢う。人は皆これを悪み、刑禍はこれに随い、吉慶は之を避け、悪星は之に災いし、算(いのちのかず)尽くれば則ち死す。
又、三台(生死・福報・財産を管轄する星の名)、北斗の神君有り
人の頭上にいまして、人の罪悪を記し、その紀算(いのちかず)を奪う。
又、三尸の神有りて、人の身中にあり庚申の日に至る毎に、天曹(天・欲界の最上位)に上昇りて人の罪過を言う。月晦(つごもりのひ)毎に竈の神もまたしかり。凡そ人に過ち有るときは、大いなる紀(としかず(十二年))を奪い、小きときは算(かず(百日))を奪う。その過ちには大小数百有り。長生を求めんと欲する者はまず須らく之を避くべし。
 
第三段落 福報)
是道(よきみち)には則ち進み、非道をば則ち退け。邪径を履まず、暗屋(くらきところ)を欺かず、徳を積み、功(いさおし)を累(かさ)ねよ。心を物に慈み、忠孝友悌なれ。己を正しくして人を化(おしえ)、孤(みなしご)を矜(あはれみ)、寡をめぐみ、老いたるを敬い、幼きを懐(なつけ)、昆虫草木をもなお傷なふべからず。
よろしく人の凶を哀れみ、人の善を喜び、人の急を済い、人の危うきを
救い、人の得たるを見ては、己が得たるが如く、人の失へるを見ては、己の失へる如くす。
人の短を彰さず、己の長なるを衒ふことなく、悪をとどめ善を揚げよ。多きをゆずりて少なきをとり、辱めを受けて恨まず、寵をうけては驚くが如くし、恩を施して報ひを求めず、人に与へて後悔せざる。
善人は人皆之を敬ひ、天道は之を助く。福禄は之に随い、衆邪は之に遠ざかる。神霊(あまつかみ・くにつかみ)は之を守り、作(な)す所は必ず成る。神仙をもねがひつべし。
天仙たらんを求めんとする者はまさに千三百の善を立つべし。地仙を求める者はまさに三百の善を立つべし。
 
第四段落 悪報)
もし或いは、義に非ずして動き、理に背きて行い、悪を以て能となし、忍びて残害を成し、陰かに良善を賊(そこな)ひ、暗く君(天皇)と親をあなどり、その先生を慢(あなど)り、そのつかふるところに叛き、もろもろの無知なる者を誑(たぶらか)し、諸の同学を謗り、虚誣詐欺し、宗親(親族)を攻め訐(あば)き、不仁を剛強し、狠戻(らうれい・道理に反すること)自用(独りよがり)、
(役人は)是非不當(判断が不当)、向背(かうはい・趣向)宜しきに乖(そむ)き、
下を虐げて功を取り、上(かみ)に諂(へつら)ひて旨を希(ねが)ひ、
恩を受けて感ぜず、怨みを念(おも)ひて休(や)まず、
天民(てんみん・国民)を軽蔑し、国政を擾乱(ぜうらん)し、
賞を非義に及ぼし刑を辜(つみ)なきに及ぼす、
人を殺して財を取り人を傾けて位を取る、
降れるものを誅(ちゅう)し、服せるものを戮(ころ)し、
正しきを貶(おと)し賢を排し孤を凌(しの)ぎ、
寡(か)に逼(せま)り、法を棄して賂(まひなひ)を受け、
直(なほ)きを以て曲れりと為し、曲れるを以て直しと為し、
軽きを入れて重しと為し、殺すを見ては怒りを加へ、
(世俗の悪行は)
過ちを知りて改めず、善を知りて為さず、自らの罪を他(ひと)に引き、
方術(価値ある学術)を壅塞(ようそく・閉じる)し、聖賢を訕謗す、
道徳を侵凌(しんりょう)し、
飛ぶを射(い)、走るを逐(お)ひ、蟄(かく)れたるを発(あばき)棲(やど)れるを驚かし、
穴を填(うづ)め、巣を覆(くつがへ)し、
胎(はらめる)を傷け、卵を破り、

人の失あらんことを願ひ、人の成功を毀(そ)り、
人を危(あやふ)くして自ら安んじ、人を減じて自ら益し、
悪(あしき)を以て好き(良い)に易へ、私を以て公(おほやけ)を廃し、
人の能(のう)を窃(ぬす)み、人の善を蔽(おほ)ひ、
人の醜きを形(あら)はし、人の私(わたくし)を訐(あば)き、
人の貨財を耗((へら)し、人の骨肉(こつにく)を離し人の愛する所を侵し、
人の非を為すを助く、
志を逞(たくま)しくして威(いきほひ)を作し、
人を辱めて勝たんことを求め、人の苗稼(べうか)を敗(やぶ)り(農婦の再婚を失敗させ)、人の婚姻を破り、
苟(かりそめ)に富みて而も驕り、
苟(かりそめ)に免れて耻(は)づること無く、
(自ら施した)恩を認め、過(あやまち)を推(お) し禍を嫁し、
人の器物を損じて以て人の用を窮(きゅう)せしめ、
他の栄貴を見ては、他の流貶(りゆうへん)せられんことを願ひ、
他の富有を見ては他の破散せんことを願ひ、
他の色の美なるを見ては、之を私せんと心を起こし、
他の貨財を負ひては、他の身の死せんことを願ひ、
干求(もと)めて遂げざれば便(すなわ)ち呪と恨みを生じ、
他の便(たより)を失ふを見ては便(すなわ)ち 他の過(あやまち)を説(よろこ)び、
他の體相(たいそう)の不具なるを見ては之を笑ひ、他の才能の称す可きを見ては之を抑へ、
蠱(まじもの)を埋(うづ)めて人を厭(まじな)ひ、薬を用ひて樹を殺し、
師傳(しふ)を恚怒(いか)り、父兄に抵触し、強ひて取り強ひて求め、
好みて侵し、好みて奪ひ、虜(と)り掠(かす)めて富を致し、
巧詐して遷らんことを求め(詐して昇進を求め)、賞罰を平(たいらか)にせず、
逸楽すること節に過ぎ、其の下を苛虐げ、他を恐嚇し、
天を怨み人を尤(とが)め、風を呵(しか)り雨を罵(ののし)り、
闘合争訟し、妄りに朋党を逐ひ、
妻妾の語を用ひて父母の訓に違ひ、
新しきを得ては故(ふるき)を忘れ、口には是として心には非とし、財を貪り冒して其の上を欺き罔(し)ひ、
悪語を造作して平(たいらか)なる人を讒毀し、人を毀りて直と称し、
神を罵りて正と称し、順なるを棄て、逆に效(なら)ひ、
親(したしき)に背きて疎(うと)きに向ひ、
天地に指して鄙(いや)しき懐(こゝろ)を証(あか)し、
神明を引きて而(しか)も猥事(わいじ)に鑑み、
施し与へて後悔し、仮借して還さず、
分外に営求し(分不相応なものを求め)、力上に施設す(力の限りを尽くす)、
淫欲は度に過ぎ、心は毒にして貌(かたち)は慈(じ)にし、
穢れたる食(しょく)を人に餧(あた)へ、
左道もて衆(しゅう)を惑はし、
尺を短くし、度(ものさし)を狭(せば)め、秤(はかり)を軽くし、升(ます)を小さくし、(標準より短い物差しで長さを狭く測り、標準でない秤で少なく量り)、
偽を以て真に雑へて姦利(かんり)を採取し、良きを圧(おと)して賤(いやし)と為す、
愚人を謾驀(まんばく)し、貪婪(どんらん)にして厭くこと無く、呪詛して直を求め、
酒を嗜みて悖乱(はいらん)し、骨肉忿(いか)り争ひ、
男は忠良ならず、女は柔順ならず、其の室(しつ)に和せず、
其の夫を敬はず、毎に矜り誇るを好み、常に妬み忌むことを行ひ、
妻子に行無(おこなひな)く、舅姑に礼を失し、
先霊を軽慢し、上命に違逆す、
無益を作為し、外心(ふたごころ)を懐侠し、
自ら呪ひ、他を呪ひ、偏(かたよ)りて憎み、偏りて愛し、
井(ゐど)を越え、竈を越え、食を跳え、子を損じ胎を堕す、
行(おこなひ)に隠僻(いんぺき)多く、
晦臘(くわいらう)に歌舞し(月末・年末に歌い踊る)、朔旦(さくたん・月初め)に号怒し、
北に対ひて涕唾し及(ま)た溺(いばり)し、
竈に対(むか)ひて吟詠し又哭し、又た竈の火を以て香を焼き(香は本来清浄な火でつけるもの)、
穢れたる柴にて食を作り、夜起きて裸を露(あらは)し、八節(立春、立夏、立秋、立冬、春分、秋分、夏至、冬至)に刑を行ひ、
流星に唾し、虹霓(にじ)を指し、
輙(すなは)ち三光(日・月・星)を指し、久しく日月を視(み)、
春月に燎(や)きて猟(かり)し、北に対ひて悪罵し、故なくして亀を殺し蛇を打つ。
此の如き等の罪をば、司命(しめい)は其の軽重に随ひて、其の紀算(きさん)を奪ふ。
算尽くれば則ち死す。死して余責(罪の残り)あらば、乃ち殃は子孫に及ぶ。
又たこれ横(よこしま)に人の財を取る者は、乃ち其の妻子の家口(かこう)を計(はか)りて以て之(これ)に当て、漸(ようや)く死喪(しそう)に至らしむ。
若し死喪せざれば則ち水火、盗賊、器物の遺忘、疾病、口舌の諸事ありて、
以て妄りに之を取るの直(あたひ)に当つ。(みだりに人の財をかすめ取ったものは家族や本人が報いを受ける)。
又た枉(まげ)て人を殺す者は是れ刀兵を易(か)へて相殺さしむ(理由なく人を殺す者は、戦禍によって殺される)。
非義の財を取る者は、譬へば漏脯(ろうほ・腐った肉)に飢を救ひ、鴆酒(ちんしゅ.毒酒)に渇を止むるが如し。
暫くは飽かざるに非ざるも、死も亦た之に及ぶ。
(第五段落 根本を追求するに)
夫れ心に善を起こさば、善、未だ為さずと雖も、而も吉神巳(すで)に之に随ふ。
或は心に悪を起さば、悪、未だ為さずと雖も、而も凶神巳に之に随ふ。

第六段落 究極目標
其れ曾て悪事を行ふことあるも、後自ら改め悔い、
諸悪を作すこと莫く、衆善を奉行せば
久々にして必ず吉慶を獲ん。
謂はゆる禍を転じて福と為すなり(諸悪莫作 衆善奉行。 久久必獲吉慶。所謂轉禍為福)。

第七段落 総括)
故に吉人は善を語り、善を視、善を行ふ。
一日に三善あらば、三年にして天必ず之に福を降(くだ)さん。
凶人は悪を語り、悪を視、悪を行ふ。一日に三悪あらば、三年にして天必ず之に禍を降さん。
胡(なん)ぞ勉めて之を行はざらんや。 (以上)
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