福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は沢庵禅師御入滅の日です

2024-12-11 | 法話

沢庵禅師・・澤庵 宗彭は、臨済宗の僧。天正元年12月1日(1573年12月24日)に生まれ正保2年12月11日(1646年1月27日)入滅しています(ウキペデア)。紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いています。寛永十六年に三代将軍徳川家光の帰依を受け品川に東海寺を開き、その地で没しますが、遺偈に「夢」の一字を書いたといいます。
沢庵禅師の歌に「闇の夜になかぬ烏の声聞けば 生まれぬ先の父母ぞ恋しき」 という歌があります。闇では烏は見えませんし、鳴いてないなら声も聞こえません、さらに父母の生まれるまえなど恋しがるのも不可能です。不思議な歌ですが以下に述べる「妄心」で凝り固まっている我々にも、なにか宇宙のはてを覗くような森厳な、しかしほのぼのとしたものを感じさせます。
沢庵禅師が柳生宗矩に剣の極意を教えた「不動智神妙録」の一部を載せます。「本心妄心と申す事の候。本心と申すは一所に留らず、全身全體に延びひろごりたる心にて候。妄心は何ぞ思ひつめて一所に固り集りて、妄心と申すものに成り申し候。本心は失せ候と、所々の用が缺ける程に、失はぬ様にするが専一なり。たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不レ申候。氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし。心一所に固り一事に留り候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候。心を溶かして総身へ水の延びるやうに用ゐ、其所に遣りたきままに遣りて使ひ候。是を本心と申し候。」


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