福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶『大日経綱要』の要約その28

2014-11-18 | 諸経
第十,十地
一、大日経には三劫の法門の次に十地の説がある。八心、三劫、十地は相貫通した法門で、八心は悪業の人が善心を生じ道徳を守り、天神を信仰するに至る浄心生起の相を明し、三劫は神我の迷執を破る無我空義の浅深の次第を説かれたるものである。その第三劫において、一心の本性も不可得空であると悟り、一心にも執着しないとき、主客の細念たる極細妄執をも断盡し真に虚空無垢の大覚の体に契合するのは第三劫の究竟位であって、又十地の最初たる初歓喜地である。

(参考、八心関係の大日経の訳、「秘密主よ、限りなく遠い過去から続いてきた生死の廻転(輪廻)のために、今の世に愚か者として生まれてきた者や煩悩に悩まされている普通の人間たちは、自己と自己の所有物とに執着していて、執着しているがために自己の心に無数の相違があると思いこんでいる。秘密主よ、この場合、かれらは自己の本質を知らないで、自己とはこういうものだという執着の心を、あらゆる面で起こしているのだ。
秘密主よ、ところで、愚か者や普通の人間でも、いな、畜生と同じ者どもでも、時には、わずかばかりでも、教えを意識するようなこともあろう。そして斎戒沐浴して、『このことに専念しなければならない』と、わずかながらでも考えて悦び、のちには繰り返し、それを行なうようになるであろう。秘密主よ、これは善業を生じさせる種子のようなもので、心の最初の段階である。このことが原因となって、かれらは日柄の好い日が来るたびごとに父母や息子や娘や朋友・親族の者たちに贈り物を贈るであろう。これは芽のようなもので、第二の段階である。また、その贈り物を未知の人にも贈るであろう。これは木の幹のようなもので、第三の段階である。また、その贈り物を受けるにふさわしい人をひろく探して、その人に贈るであろう。これは木の葉のようなもので、第四の段階である。また、この贈り物を長上の人か音楽師たちに哀心から喜んで贈るであろう。これは花のようなもので、第五の段階である。また、この贈り物を喜びの心に満ち溢れた人々に贈るであろう。これは果実のようなもので、第六の段階である。秘密主よ、また、かれらは天国に生まれるために、戒律を守るであろう。これは包み紙になったようなもので、第七の段階である。秘密主よ、また、このような心を持った人が、生死の廻転を遍歴するとき、ある善き友人(善知識)から、このような言葉を聞くであろう。
『これらの神々は、いずれも偉大な神であり、すべての者に幸福を授けられる。汝はこれらの神を礼拝し供養せよ。その神々とは、すなわち、イーシュヴァラ(自在天)・ブラフマン(梵天)・クリシュナ・ルドラ・スカンダなど、さらに日・月・ヴァルナ(水天)・クべーラ・シャクラ(帝釈)・ヴィルーパクシャ(広目天)そのほかで、賢者はこれらの神々に供養するがよかろう』
と、善き友人からこのような言葉を聞き、非常に嬉しくなり、そのとき心から帰依して、これらの神々の礼拝・供養につとめるようになろう。秘密主よ、これが愚か者や普通の人間など生死に流転する人々にとっては最高のなぐさめであり、また力となるのである。これが第八の心であると、諸佛たちは説かれた。」
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