今日は孝謙天皇が「造東(大)寺司奉請文」に署された日。(「宸翰英華」に依る)
「造東(大)寺司奉請文」
沙金貮拾陸両東大寺に有り。
「右造寺司請ふ所、件の如し
「宣」(孝謙天皇御宸筆) 巨福朝臣福信
天平勝寶九歳757正月十八日
(異筆)同月二十一日を以て数以を下す。
長官佐伯宿祢今毛人 判官紀朝臣
鍳子巨福朝臣福信 葛城連戸主」
(この奉請文は造東大寺司が東大寺に安置している沙金の下付を請はんとしてその勅許を仰いだもの。「宣」の字のみが御宸筆。孝謙天皇の御宸筆で唯一残っているもの。なお「異筆」のところはこの勅許を得て東大寺が沙金を下したことを示す。孝謙天皇天平勝宝四年には大仏開眼をおこなっています。父聖武天皇は、天平勝宝八年(756)5月2日に崩御し、その皇女であった孝謙天皇は、同じ年の7月8日、聖武天皇遺愛の品々を東大寺以下18の寺に献納して冥福を祈っています。)