他者を助けるには、財力がどうしても必要な場面が多々あります。東日本大震災の犠牲者中の方々を支援するにも、チベット支援、シリア難民支援にしても必ずいくばくかのお金を必要とします。ここで財力によゆうのないときは吾ながら情けなく思いつつ支援をあきらめることがあります。しかしお経には「財力がなくても利他行ができる」と書いてありました。
大日経巻七には「もし勢力の広く饒益するところなければ、法に住して但し菩提心を観ずべし。佛この中に万行を具して、清浄醇浄の法を満足すと説きたまふ。」とあります。これを金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」に引用していますが、ここではわかりやすく「もし真言行者が財施等の勢力をもって有情を助けることができないならば、ただ一心に月輪観等の法により菩提心を観ずればよい。そうすればそこに自然によろずのみちを具足することができ、佛行を満足できるのである」とあります。ようは自分の菩提心を高めることにより人々に尽くすことができるということです。
大日経巻七には「もし勢力の広く饒益するところなければ、法に住して但し菩提心を観ずべし。佛この中に万行を具して、清浄醇浄の法を満足すと説きたまふ。」とあります。これを金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」に引用していますが、ここではわかりやすく「もし真言行者が財施等の勢力をもって有情を助けることができないならば、ただ一心に月輪観等の法により菩提心を観ずればよい。そうすればそこに自然によろずのみちを具足することができ、佛行を満足できるのである」とあります。ようは自分の菩提心を高めることにより人々に尽くすことができるということです。