先ほどNHK「こころの時間」で正眼僧堂師家・山川宗玄老師のお話があり、ハッとさせられたところがありました。師は梶浦逸外老師の隠侍をしていたころ逸外老師はどこでも毎回同じ法話をされるのでつい居眠りをしてしまうこともあったが、あるとき毎回逸外老師の法話を聞きに来る信者の社長に「逸外老師の法話は毎回同じですが毎回違います」といわれてハッとした、ということです。社長は自分が変わっていったのです。
此の伝でいくと、毎回おなじ般若心経をあげても自分が変われば毎回違うはずです。毎回おなじお寺にお参りしても毎回違うはずです。何度同じ札所にお参りしても毎回違うはずです。何度結縁灌頂を受けても毎回違うはずです。毎日同じ仕事や家事のルーチンをこなしていても毎回違うはずです。毎回おなじことで飽きたなどというのは自分の低レベルさを吐露していることになります。
「日に新たに日々に新たに」(大学)とはこういう意味だったのです。反省する事しきりです。