古今著聞集と今昔物語の上総守時重の法華経書写霊験の話
・古今著聞集「上総守時重千部經讀誦を發願して神感を得る事」
「一条院の御時、上総守時重といふ人あり。千部の法花経讀誦の願、心中に深かりけれとも、身まつ゛しくして僧一人かたらふへ゛き計なし。思かねて日吉社に詣て゛二心なく祈申けるに神感ありて、はからさ゛るに上総守に成にけり。任国の最前の得分をもて千部の経をはし゛めてけり。其夜の夢に貴僧枕に来て云、『善哉善哉、汝一乗の轉讀くはた゛つる事を』とて感涙をなか゛しておはしましけり。時重『かく仰られ候は誰にて御坐候そ』と尋申けれは、貴僧『我は一乗の守護十禅師也』とこたへさせ給て謌をなん詠し給ける
一乗の御法をたもつ人のみそ三世の仏の師とは成ける
時重かたし゛けなくたうとくおほ゛えて『生死をは゛いかてかはなれ候へき』と申けれは゛
極楽の道のしるへは身をさらぬ心ひとつのなをき成けり
さて歸らせ給ひけるが、立ちかへりて又詠ぜさせ給ひける
朝夕の人のうへにも見きくらんむなしき空の煙とぞなる
無常をさとるべきよしを、おはりにしめして、さり給ひにけり。あはれにたうときこと也。」
・今昔物語集「上総守時重書写法花蒙地蔵助語 第卅二」
「今昔、上総の守藤原の時重朝臣と云ふ人有けり。彼の国の司に任じて、国を治め民みを息めて、国に有る事、既に三箇年に及ぶに、年来の宿願有て国の内にして、法華経一万部を読奉らむ、と云ふ庁宣を下しつ。然れば、国の内の山・寺・里に、皆此の経を読み奉らざる人無し。守の云く、『読て後は、各、巻数を送るべし。但し、籾一斗を以て、一部に宛つべし』と。然れば、当国・隣国の上下の僧共、此の事を聞て、各経を読て、巻数を捧て、星の如く館に集る事限無し。而る間、一万部の巻数を既に満ずれば、守、大きに喜て、其の時の十月を以て、法会を儲て供養し奉りつ。其の夜、守の夢に一人の少僧有り。其の形ち端正也。手に錫杖を取て、喜べる気色にして来て、守に告て云く『汝が修する所の清浄の善根をぞ、我れ大きに喜ぶ」と云て和歌を読て云く、
一乗のみのりをあがむる人こそは三世の仏の師ともなるなれ
亦云く、
極楽の道はしらずや身もさらぬ心ひとつがなほき也けり
亦云く、
さきにたつ人のうへをばききみずやむなしきくものけむりとぞなる
と。小僧、此く宣て歩び近付き自ら左の手を延て守の右の手を取て宣はく『汝、弥よ無常を観じて、後世の勤めを成すべし』と。守、此れを聞て泣々く貴て小僧に申て云く『今の教へ給ふ所、皆信ずべし』と。此の如く見る程に夢覚ぬ。
其の後、未だ曙けざるに、智り有る僧を請じ集て、夢の告を語る。此れを聞く僧共、涙を流して『此れ地蔵菩薩の教へ也』と貴む事限無し。」