24日に「自分には徳がないと自覚して僧侶のなった」という比叡山の宮本祖峯師のお話を載せましたが
https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/92261c21a3fcde11a673713494849917
思い出すと数十年前、最重度障害児を預かる鉄道弘済学園を訪問した時、禅僧から施設の職員になったという人に会ったことがあり、其の人は「禅堂で座禅の合間に外にでて田圃を見るとあぜ道を障害児を連れた施設の一団が歩いていた。其れを見て『自分はとても覚れそうにないのだからそれならばこういう障害児を世話することのほうが意味があるのではないか』と思い施設に入った」と言われたことを思い出します。
凡夫にはどちらがいいなどとはとても言えません。自分自身はそれらのケースを遠く外れた軌道を辿ってしまったので・・。