「日本紀略」・大同三年808正月十三日条 「勅す。頃者。 疫癘方熾。 死亡稍多。 宜令諸大寺及畿内七道諸国奉読大般若経」
天皇は平城天皇。
・延暦九年(790)から全国で疫病が流行し、桓武天皇は早良親王の祟りであると思い
延暦十九年(800)に崇道天皇と追称し、さらに延暦二十四年(805)、親王の遺骨を大
和八島に移葬して、八島寺を建て、大同元年(806)三月、諸国の国分寺に親王のた
めに誦経を命じ、五年(810)その霊を慰撫するために百人の出家を命じています。其の位疫病が猖獗を極めていたということでしょう。
・類聚国史には「(大同三年五月丙子)、去年以来病死流行、横死者衆・・」とあります。