法我見とは二乘の鈍根によるをもっての故に、如來は但だ爲めに人無我を説くのみなれば、説は究竟ならざるを以て、五陰生滅の法ありと見て、生死を怖畏し、妄に涅槃を取るをいう。云何が對治せん。五陰の法の自性は不生なれば則ち滅することあることなし。本來涅槃なるが故をもってなり。(復次に法の実体視というのは、声聞・縁覚という二乗の鈍根の者たちの持つ劣った考えである。彼らは色・受・想・行・識という衆生を構成する五つの要素は実在してしかも生滅するものであるとみて、生死を畏れ、涅槃を得たいと思っている。どのようにしてこの誤りを正すか?それにはこう思うべきである。こういう色・受・想・行・識という衆生を構成する五つの要素は仮構されたものに過ぎず、本来は不生不滅のものであるから滅するということはないのである。本来すべては涅槃に入っている存在であるから、と考えるべきである。)
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