福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大乗起信論・・その34

2023-09-04 | 諸経

(先に、「我見に二種あり。云何爲二。一は人我見。二は法我見。人我見とは、諸の凡夫によって説くに五種あり。云何爲五。一は修多羅に「如來の法身は畢竟して寂寞なること猶ほ虚空の如し。」と説くを聞いて、著を破せんがためなるを知らざるをもっての故に、即ち虚空は是れ如來の性なりと謂う。」と人我見の最初の第一番目を解説したが次に第二番目以降を説くと

二には修多羅に「世間の諸法は畢竟して體は空なり、乃至、涅槃や眞如の法も亦た畢竟して空なり。本より已來、自ら空にして一切の相を離れたり」と説くを聞いて、著を破せんがためなるを知らざるを以ての故に、即ち眞如、涅槃の性は唯だ是れ其れ空なりと謂う。云何んが對治せん。眞如や法身の自體は不空なりと明かす。無量の性功徳を具足するが故なり。

三には修多羅に「如來の藏は増減あることなく、體に一切の功徳を備う」と説くを聞いて、解せざるを以ての故に、即ち如來の藏に色心の法の自相や差別ありと謂う。云何が對治せん。唯だ眞如の義によってのみ説くが故なると、生滅の染の義によって示現せるを差別と説くが故なるとを以てす。

四には修多羅に「一切世間の生死の染法は皆な如來藏によって有り、一切の諸法は眞如を離れず」と説くを聞いて、解せざるを以ての故に、如來藏自體に一切世間の生死等の法を具有すという。云何が對治せん。如來藏には本より已來、唯だ過恒沙等の諸の淨功徳の真如を離れず、斷ぜず、異ならざる義あるがゆえなるを以てす。過恒沙等の煩惱の染法は、唯だ是れ妄有にして性は自ら本より無し。無始世よりこのかた未だ曾って如來藏と相應せざるを以ての故なり。若し如來藏の體に妄法有り、而も證會して永く妄を息めしむるは、則ちこの處りあること無きが故なり。

五には「修多羅に如來藏の故に生死あり、如來藏に依るが故に涅槃を得」と説くを聞いて、解せざるを以ての故に衆生に始ありと謂い、始を見るを以ての故に、復た如來の得しところの涅槃に、其の終盡あって還って衆生となるをいう。云何が對治せん。如來藏には前際無きを以ての故に、無明の相も亦た始あることなし。若し「三界の外に更に衆あって始めて起る」と説かば、即ち是れ外道の經説なり。又た如來藏には後際あることなければ、諸佛の得し所の涅槃と之と相應して則ち後際無きが故なり。

2つ目は経典の中に「世の中のあらゆる存在は畢竟実体のないものであり、覚りとか真如といっても実体のないものである。本来すべ太は何もないのであり、あらゆる相を離れたものである。」と説いてあるのをみて、これが人の執着心を破る為に説かれたものであるにもかかわらず、真実の在り方や覚りは何もないものだと間違って解する。こういう誤解を正すにはどうしたらよいか。それは真如に姿がないのでなくそこには無量のすばらしい働きが備わっていると考えるべきなのである。
3つ目は、経典の中に「如来蔵は増減することなく、それ自体に素晴らしい働きを備えている」とあるのを見て、此の真意がわからず、如来蔵は物や心の各々の様子を個別に備えているのだと解する。こういう誤解を正すにはどうするか。それは如来蔵は真如を説いているのであり、それを迷いの立場から読むのは誤りだ、迷いの立場から個別的に説くときは説き方が違ってくるのだと考えるべきであろう。4つ目は経典に「すべて世の中の輪廻する存在は、みな如来蔵によって存在するのであり、すべての存在は真如をはなれることはない」と説いてあるのを見て、此の真意がわからず、如来蔵にすべての世の中の生死流転の存在を具えているかのごとく解する。此の誤解を正すにはどうすればよいか。それはこう考えるべきである。如来蔵には真如と不離不断の無量の徳性が備わっており、また無量の煩悩は本来あるものではなく、無始以来如来蔵と本質的に結びついたものとは言えないからと考えるべきである。5つ目には、経典中に「如来蔵にもとずいて生死輪廻もあり、如来蔵にもとずいて涅槃もある」と説いてあるのをみて、輪廻する衆生の存在は不生不滅なる如来蔵の上にあるとき突然あらわれるという形でその始まりがあると考え、そのように始まりがあるから生死輪廻の終わりとして如来が獲得された涅槃もまた尽きるときがあり、そのときはまた生死の世界に戻るのであろうと間違って考える。どうやってこの考えを正すか。それはこう考えるべきである。如来蔵には始めはない、無明にも始めはない。随って如来蔵が無明におおわれている衆生にもまた始まりはない。もし生死輪廻する三種の(欲界、色界、無色界)の世界にあるもの以外に別の衆生があって生起すると説くならばそれは外道の説となってしまう。また如来蔵には終わりはないから涅槃にも終わりはないのであると知らなければならない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大乗起信論・・その35 | トップ | 大乗起信論・その36 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事