福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「仏説父母恩重経」、「孝経」、「孝養和讃」

2022-09-28 | 頂いた現実の霊験

先日、二週間ぶりに岡山の99歳の継母のもとを訪れ寝ている継母の足を揉みました。継母は半分意識をなくしていましたが気持ちよさそうに大変いい顔になりました。長い確執を経てこういう日が来るとは昔は想像もできませんでしたが、有難いとはこういうことを言うのだと思いました。その直後、難航を極めると予想されていた継母関連諸手続きが瞬時に解決しました。不思議でした。

父母恩重経には最高の親孝行は「三宝」を信じさせることだと出ていますが、継母の場合はここまで来ていないので、もう一息と思われます。

参考までに「仏説父母恩重経」、「孝経」、「孝養和讃」を出しておきます。
仏説『父母恩重経』全巻
「かくの如く われ聞けり。
 あるとき、仏、王舎城の耆闍崛(ぎしゃくつ)山中に、菩薩・声聞の衆と ともに ましましき。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民・および竜鬼神等、法を聞き奉らんとて、来集し、一心に宝座を囲んで、瞬きもせず、尊顔を仰ぎみ奉りき。このとき、仏、すなわち法を説いて曰わく。
『一切の善男子・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらされば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤に受け、形を母の胎に託す。この因縁をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比いあることなく、その恩、未形におよべり。はじめ胎に受けしより、十月を経るの間、行・住・坐・臥、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休むときなきがゆえに、常に好める飲食・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。
月満ち、日足りて、生産のときいたれば、業風吹きて、これを促し、骨節ことごとく痛み、汗膏ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦き恐れて、母と子とを憂念し、諸親眷属みな悉く苦悩す。すでに生まれて、草上に墜つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女の如意珠を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。それよりこのかた、母の懐を寝床となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情を性名(いのち)となす。飢えたるとき、食を求むるに、母にあらざれば喰らわず。渇けるとき、飲み物を求めるに、母にあらざれば喰らわず、渇けるとき、着物を加えるに、母にあらざれば着ず。暑きとき、衣を脱るに、母にあらざれば脱がず。母、飢えにあたるときも、含めるを吐きて、子に喰らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被らす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その揺籃を離れるにおよべば、十指の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十斛となす。父母の恩重きこと、天のきわまりなき如し。母、東西の隣里に傭われて、あるいは水汲み、あるいは火焚き、あるいは臼つき、あるいは臼挽き、種々のことに服従して、家に帰るのとき、未だ至らざるに、今やわが児、わが家に泣き叫びて、われを恋い慕わんと思い起こせば、胸さわぎ、心驚き、ふたつの乳流れいでて、忍びたうることあたわず。すなわち、去りて家に帰る。児 遙かに母の来たるを見て、揺籃の中にあれば、すなわち、頭を揺るがし、脳をろうし、外にあれば、すなわち腹這いして出できたり。空泣きして、母に向かう。母は子のために足を早め、身を曲げ、長く両手をのべて、塵土を払い、わが口を子の口に接けつつ、乳を出してこれを飲ましむ。このとき、母は児を見て歓び、児は母を見て喜ぶ。両情一致、恩愛のあまねきこと、またこれに過ぎるものなし。二歳。懐を離れて、初めて歩く。父にあらざれば、火の身を焼くことを知らず。母にあらざれば、刀の指を落とすことを知らず。三歳。乳を離れて、初めて食らう。父にあらざれば、毒の命を落とすことを知らず。母にあらざれば、薬の病を救うことを知らず。父・母、外に出でて、他の座席に行き、美味珍食を得ることあれば、自らこれを喰らうに忍びず、懐に収めて持ち帰り、呼び来たりて、子に与う。十度帰れば、九度まで、子に与う。これを得れば、すなわち歓喜して、かつ笑い、かつ喰らう。もし過りて、一度も得ざれば、すなわちいつわり泣き、いつわり叫びて、父を責め母に迫る。やや成長して。朋友と相交わるに至れば、父は着物を求め、帯を求め、母は髪を梳り、髻を摩で、己が好みの衣服は、みな子に与えて着せしめ、己は、すなわち古き着物、弊れたる着物をまとう。すでに妻を求めて、他の女子を娶れば、父母をば、うたた疎遠にして、夫婦はとくに親しみ近づき、私房の内において、妻とともに語らい楽しむ。

 父母、年たけて気老い、力衰えぬれば、頼るところのものは、ただ子のみ。頼むところの者は、ただ嫁のみ。しかるに夫婦ともに、朝より暮れに至るまで、未だ敢えて一度も来たり問わず。あるいは父は母を先立て、母は父を先立てて、独り空房を守りおるは、あたかも旅人の、ひとり宿に泊まるがごとく、つねに恩愛の情なく、また談笑の楽しみなし。

 夜半、寝床冷ややかにして、五体安んぜず。いわんや、被に蚤・虱多くして、暁にいたるまで眠られざるをや。幾度か転々反則して、独りつぶやく。噫吾れ何の宿罪ありてか、かかる不幸の子をもてるかと。事ありて、子を呼べば、目を瞋らして怒り罵る。嫁も児も、これを見て、ともに罵り、ともに辱しめば、頭をたれて笑いを含む。嫁もまた不幸、児もまた不順、夫婦和合して、五逆罪を造る。あるいはまた急用おこりて、急ぎ呼びて命ぜんとすれば、十度呼びて、九度違い、ついにきたりて給仕せず。かえって怒り罵りていわく、老い耄れて世に残るよりは、早く死して、この世を去られたしと。父母これを聞きて、怨念胸に塞がり、涕涙瞼をつきて、目瞑み、心惑い、悲しみ叫びて曰く、噫、汝幼少のとき、われにあらざれば養われざりき、われにあらざれば育てられざりき。しかして今に至れば、すなわちかえって、かくのごとし。噫、われ汝を生みしも、もとより望みは外れたりと。
もし子あり、父母をして、かくのごとき言を発せしむれば、子はすなわち、その言とともに墜ちて、地獄・餓鬼・畜生の中にあり。一切の如来・金剛天・五通仙も、これを救い護ることあたわず。父母の恩重きこと、天の極まりなきがごとし。
善男子・善女人よ、わけてこれを説けば、父母に十種の恩徳あり、何をか十種となす

   一には、懐胎守護の恩
   二には、臨産受苦の恩
   三には、生子忘憂の恩
   四には、乳哺養育の恩
   五には、廻乾就湿の恩
   六には、洗灌不浄の恩
   七には、嚥苦吐甘の恩
   八には、為造悪業の恩
   九には、遠行憶念の恩
   十には、究竟憐愍の恩

 父母の恩、重きこと天の窮まりなきがごとし。善男子・善女人よ、かくのごときの恩徳、いかにしてか報ずべき。仏、讃して宣わく

【懐胎守護の恩】悲母、子を胎めば、十月の間に、血を分け、肉を頒ちて、身、重病を感ず。子の身体、これによりて成就す。
【臨産受苦の恩】月満ち、とき到 れば、業風催促して、徧身疼痛し、骨節解体して、神心悩乱し、忽然として、身を亡ぼす。
【生子忘憂の恩】もしそれ平安なれば、なお蘇生し、来たるがごとく、子の声を発するを聞けば、己も生まれ出でたるが如し。
【乳哺養育の恩】その初めて生みしときには、母の顔、花のごとくなりしに、子を養うこと数年なれば、容貌すなわち憔悴す。
【廻乾就湿の恩】水のごとき霜の夜にも、氷のごとき雪の暁にも、乾ける処に子を廻し、湿れる処に己れ臥す。
【洗灌不浄の恩】子、己が、懐に不浄を漏らし、あるいは、その着物に尿するも、手づから自ら洗いい灌ぎて、臭穢を厭うことなし。
【嚥苦吐甘の恩】食味を口に含みて、これを子に哺むるにあたりては、苦き物は自ら飲み、甘き物は吐きて与う。
【為造悪業の恩】もしそれ子のために、止むをえざることあれば、躬づから悪業を造りて、悪道に墜つることを甘んず。
【遠行憶念の恩】もし子、遠く行けば、帰りてその面を見るまで、出でても入りてもこれを憶(おも)い、寝ても覚めても、これを憂う。
【究竟憐愍の恩】おのれ生きている間は、子の身に代わらんことを思い、己れ死にさりて後は、子の身を護らんことを願う。
かくの如き恩徳、如何にして報ずべき。しかるに長じて人となれば、声を荒らげ、気を怒らして、父の言に順わず、母の言に瞋を含む。すでにして妻を娶れば、父母に背き違うこと、恩なき人のごとく、兄弟を憎み嫌うこと、怨みある者のごとし。妻の親族来たりぬれば、奥の間に迎え入れて、饗応(きょうおう)し、己(おの)れが室に入れて歓談す。嗚呼、噫嵯、衆生顛倒して、親しき者は、かえって粗末に扱い、疎き者は、かえって親しむ。父母の恩重きこと、天の極まり無きがごとし。
このとき、阿難、座より起ちて、偏に右の肩を袒ぎ、長跪合掌して、すすみて仏に告げていわく。世尊よ、かくのごとき父母の重恩を、われら出家の子は、いかにしてか報ずべき、つぶさに、そのことを説き示し給え。と

 仏、宣わく。汝ら大衆、よく聴け。孝養の一事は、在家出家の別あることなし。出でしとき、新しき甘果を得れば、持ち去りて、父母に供養せよ。父母これを得て歓喜し、自ら食らうに忍びず。先ずこれを三宝に廻らし施さば、すなわち菩提心を啓発せん。父母病あらば、牀の傍を離れず、親しく自ら看護せよ。一切のこと、これを他人に委ぬることなかれ。ときを計り、便宜を伺い、懇ろに粥飯を勧めよ。親は子の勧むるをみて、強いて粥飯を喫し、子は親の喫するをみて、まげて己が意を強くす。親しばらく睡眠すれば、気を静めて息を聞ぎ、眠り覚むれば医者に問いて、薬を勧めよ。日夜に三宝を恭敬して、親の病の癒えんことを願い、つねに報恩の心を懐きて、片時も亡失することなかれ。
このとき、阿難また問いていわく。世尊よ、出家の子、よくかくの如くせば、もって父母の恩に報ずとなすや。
仏宣わく、否、未だもって父母の恩に報ずるとはなさざるなり。親頑闇にして、三宝を奉ぜず。不仁にして物をそこない、不義にして物を盗み、無礼にして色に荒み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽らば、子はまさに極諌して、これを敬悟せしむべし。もしなお闇くして、いまだ悟ること能わざれば、すなわち、ために譬えとり、類をひき、因果の道理を述べ説きて、未来の苦患を救うべし。
もしなお頑なにして、未だ改むること能わざれば、啼泣歔欷(きょき)して、己が飲食を絶つべし。親頑闇なりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、恩愛の情に牽かれて、強いて忍びて道に向かわん。
もし親、志を遷して、仏の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて婬せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、すなわち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦し、婢僕忠順に、六畜虫魚まで、あまねく恩沢を被りて、十方の諸仏、天竜鬼神、有道の君、忠良の臣より、庶民万姓にいたるまで、敬愛せざるはなく、暴悪の主も、佞嬖(ねいへい)の輩(やから)も、兇児(きょうじ)妖婦(ようふ)も千邪万怪も、これをいかんともすることなけん。ここにおいて父母、現世には安穏に住し、後世には善処に生じ、仏を見、法を聞きて、長く苦輪を脱せん。かくのごとくして、始めて父母の恩に報ずる者となすなり。

 仏さらに説を重ねて宣わく。汝ら大衆、よく聴けよ。父母のために、心力を尽くして、あらゆる加味・美音・妙衣・車駕・宮室等を供養し、父母をして、一生遊楽に飽かしむるとも、もし未だ三宝を信ぜざらしめば、なおもって不幸となす。いかんとなれば、仁心ありて施しを行い、礼式ありて身を正し、柔和にして、辱めを忍び、勉強して徳に進み、意を寂静に潜め、志を学問に励ます者と雖も、一度酒色に溺るれば、悪魔たちまち隙を伺い、妖魅すなわち便りを得て、財を惜しまず、情を蕩かし、忿を発し、怠りを増し、心を乱し、智を晦まして、行いを禽獣に等しくするにいたればなり。

 大衆よ。古より今におよんで、これによりて身を亡ぼし、家を亡ぼし、君を危うくし、親を辱しめざるはなし。この故に、沙門は独身にして、偶(つれあい)なく、その志を清潔にし、ただ道をこれ務む。子たる者は、深く思い、遠く慮りて、もって孝養の軽重緩急をしらざるべからざるなり。およそこれらを父母の恩に報ずるのこととなす。』

 このとき、阿難、涙を払いつつ、座より起ち、長跪合掌して、すすみて仏に申して申さく。『世尊よ。この経は、まさになにと名付くべき、またいかにして奉持すべきや。』

 仏、阿難につげ給わく。『阿難よ、この経は、父母恩重経と名付くべし。もし一切衆生ありて、一度この経を読誦せば、すなわちもって乳哺の恩に報ずるに足らん。もし一心に、この経を持念し、また人をして持念せしむれば、まさにしるべし、この人はよく父母の恩に報ずることを。一生にあらゆる十悪・五逆・無間の重罪も、みな消滅して、無常道を得ん。』

 このとき、梵天・帝釈・諸天の人民・一切の集会この説法を聞きて、ことごとく菩提心をおこし、五体地に投じて、涕涙雨のごとく、進みて仏の み足を頂礼し、退きて、おのおの歓喜奉行したりき。」





孝経より
「曾子曰く、『 敢へて問ふ、聖人の徳、其れ以て孝に加ふること無からんか』と。(曾子曰く、「聖人の徳としては、孝が最高のものでしょうか」) 子曰く、 『天地の性、人を貴しと為し、人の行、孝より大なるは莫し。 孝は父を厳(とうと)ぶより大なるは莫く、父を厳(とうと)ぶは天に配するより大なるは莫し。(孔子が言った。 天地の間では人を最も貴い存在と為し、人の行なうところでは孝より大なるはない。 その孝では父を尊び敬するより大なるはなく、父を尊ぶことでは天に対するようにすべきである。)
則ち周公は其の人なり。 昔者、周公、后稷(こうしょく)を郊祀(こうし)して、以て天に配し、文王を明堂に宗祀して、以て上帝に配す。 是を以て四海の内、各の其の職を以ち来たりて祭り助く。 夫れ聖人の徳、又た何を以て孝に加へんや。 故に親しみ之を膝下に生じ、以て父母を養ひ、日に厳(とうと)し。 聖人、厳に因りて以て敬を教へ、親に因りて愛を教ふ。 聖人の教へ、粛ならずして成り、其の政、厳ならずして治まる。 其の因る所の者、本なればなり』。」( 周公旦はそれを為した人である。 昔、周公旦は祖宗である后稷(こうしょく、周王朝の始祖)を祀って天に配し、父たる文王を明堂に祀って、上帝に配した。 これを見て諸侯は、各々職分を務めて善く治め、祭祀の助けとしたのである。 これ孝による統治の至りにして天に通じている、故に聖人の徳といえども加えるところなしとする。 故に生まれた以上は親しみを以て父母を養い、日々に尊び敬する、これを孝という。 聖人は厳によりて敬を教え、親(しん)により愛を教える。 聖人が統治すれば、厳罰主義によらなくても自ずから治まるというのは、考という人倫の大元を抑えているからである。)





両祖大師(弘法、興教)孝養和讃です。弘法大師は月に九度高野山から麓の慈尊院へ御母堂をお尋ねになり興教大師は「孝養集」を著されています。


「帰命頂礼両大師

いずれも稀世の聖者にて 覚りの道に入りながら

み親の恩に報いんと 尽くさせたまふ尊さよ

高祖の事績を尋ねれば険しき山路も厭いなく

ふもとの母を月に九度省みたもう慈尊院

流祖の真情つずりたる 孝養集の三巻は

後の世までも人の子の心を照らすますかがみ

永久に輝き渡らなん

南無大師遍照尊 南無密厳大尊者」

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