武士の家庭では・・甲冑やその他の武器を神聖視することを教えられた。それにいつも手入れをしておくことが義務となっており、それを怠ると合戦のときに不運災難を招くのであった。それであるきまった日に弓や槍や他の武器武具を客間の床の間に飾って供物をそなえたのであった。
庭園もまた神聖なものであった。それで庭園の手入れをするときは守るべき規則が決まっていて樹木や花の神にさからわないように心した。十分な配慮と清潔と塵ひとつないといことはどこにしろ宗教上の務めとして励行されていた。・・
・・・国民は伝統の掟を忠実に守った。この掟への忠順がすなわち敬神であった。不忠順はすなわち不敬ということになった。・・だいたいこれ等の掟は目に見えない神に対しては畏敬、権威には尊敬、両親には敬愛、妻子にはやさしさを、隣人には親切を、依存寄食者にも親切を、義務には勤勉かつ着実であることを、日常生活では節約と清潔を重んずることを・・すべてこうしたことを命じたのである。
・・18,9世紀の神道の大学者たちは・・日本人の高度の資質はこの民族が神の子孫である証拠であるとしている。(記紀によれば天津彦彦火瓊瓊杵尊の天孫降臨に「五部(いつとものお)の神を配(そ)えて侍(はべら)しむ。とあります。すなわち・天児屋命(あめのこやね)(中臣(なかとみ)の上祖(とおつおや))・太玉命(ふとだま)(忌部(いむべ)の上祖)・天鈿女命(あめのうずめ)(猿女(さるめ)の上祖)・石凝姥命(いしこりどめ)(鏡作(かがみつくり)の上祖)・玉屋命(たまのや)(玉作(たまつくり)の上祖)です。)
・・本居宣長は「人間は二柱の創造神の御魂によってつくりだされたものでるから、当然そのなすべきこと、なすべからざることを判断する知識を授けられているはずである。それで道徳体系などのことで心を労することはいわれのないことである。・・理論的な道徳について中国人があんなに騒ぎ立てるのは実践の点で彼らは放縦であったからである。」
賀茂真淵はいう「日本人は人間の性情がまっすぐなので悪行をかばうこともなかったしそれが蔓延することもなかった。それでそのころでは(古代)正邪についての原理原則なども持つ必要がなかった。ところが中国人は心が悪いものだからいくら教え込まれても外見がよくなるだけだった。それで彼らの悪行は大きくのさばってはては社会を毒するものになったのである。所が日本人は真っ直ぐなものだから格別教え込まなくてもちゃんと振る舞えるのであった。」
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